CyberDiary

June 25, 1997 [曇りのち晴れ]

 世の中にはいろんな会社がある訳だが、その分だけ社長がいる訳だ。
 そんな中でもうちの社長は面白い。時には社長然として決断を下すが、あるときはみんなから却下される。怒ることはまずないが、世の中の不条理には殊の外うるさい。
 しかし、タメ口の許される人なのだ。会社全体がほとんどそんな雰囲気だったりして。でも、関連する建築や土木の社長もみんな気軽に話ができる。肩が凝らないというか、みんなユニーク。まあ、一癖も二癖もある人もいるけど、うちの社長はうまく渡り合ってるようだ。
 夏になると草刈りに出かける。手伝うと言っても、一人で早引きして草刈りに出かけてしまう。北海道に帰省したときは、必ず一人一人におみやげを持ってきてくれる。家を一軒建てても利益のでないこともあるし、原価のまま仕事をすることもある。良いのかな?でも、地域のためお客様のためと、こう言うときの決断は早い。
 自分の理屈ばかり言うのが社長ではないと思う。時には決断もいるが、回りの声を聞くことも非常に大切だ。その辺は誰にも大切なことだ。好き嫌いの多い、社員一同ですが、また美味しいところに連れていってくださいね。

June 24, 1997 [晴れ]

 お年寄りが増えていく。しかし、医療費を上げたり、年金の受給開始を遅らせても、減りはしない。
 一番大切だと思うのは、彼らは年の功と言われるだけの知恵や技能を持っていることだ。それを活用することは地域社会のために役に立つ。時間を持て余す、お年寄りにとっては、その時間を地域のために使うことはおそらく苦にならないと思うのだ。
 で、具体的にどういうことかと言うと、自治会を中心にお年寄りのボランティアグループを作るのだ。そして、例えばその地域の空きカンや空きビンなどのごみをひらって回ったり、草刈りなどの清掃を行うとどうだろう。歩くことは健康にも良い。それに毎日なら1時間程の活動でも良いと思う。また、土日は子供たちにも参加をさせて、共同で作業をしてもらう。
 そういう部分から、現代に欠ける人と人、人と地域のつながりを回復することも出来るのではないだろうか。

June 23, 1997 [晴れのち曇り]

 今日、トラックの高速道路における走行規制の法改正について報道があった。
 日本はアメリカと違い、陪審員制度がない。人を裁くのは法なのだ。しかし、法を守るために人があるのではない。人の生活を守るために法があるのだ。
 どうも、日本の場合、規制という形で法律を増やしていく傾向が強い。先のトラックの規制も交通事故を減らすためだという。罰則を設けるだけで根本的な解決はならないことは明白だ。シートベルトの着用義務や、スピード違反への罰則も同様である。ドライバーに問題意識を与えることが重要であって、罰則のために法を守るのではない。
 法律を改正し、複雑にしたり、罰則による規制が増えると生活そのものが堅苦しくなるだけだ。それも事務的に良い、悪いと決めて良いものだろうか。法律というのは簡単で分かりやすく柔軟なものでなくてはならない。だから、アメリカには陪審員がいるのだ。
 もちろん、法の隙間を使った犯罪というものもあるわけだが、それは柔軟性がないからそういう隙間を埋めることができないのだ。隙間の出来事は正当化されることになる。しかも、その隙間を法律で埋めようとする。
 それでも隙間は生まれるものだ。どんなにすばらしいプログラムでもバグが存在すると言われるように、法律にも隙間はなくならない。もはや、何のための法律なのか分からない。法律を作る人間とそれを破る人間のイタチごっこの道具に成り下がっている。やはり、そのときどきで判断が変わっても良いと思う。
 今の日本に必要なのは、そんな柔軟な考え方なのだとつくづく思う。

June 22, 1997 [曇り]

 日曜日、久々の休みである。先週は4日連続で休んだが、日曜日の休みが久々である。しかも、今日は予定がまったくない。
 家で、のんきに「アーク・ザ・ラット2」をやっているだけだ。外は今にも雨が降りそうなほど、厚い雲が空を覆いつくし、遠くの山並みが白くぼやけている。
 とりあえず、昼時の買い出しに外へ出てみた。幸い、雨は降っていなかったが、湿度は非常に高い。近所のスパーは休みなので、駅前のコンビニしかない。しかも、ローソンは店舗改装中である。ここの牛乳は178円なのだ。しかたなく、セブンイレブンの198円の牛乳を買おう。本当はスパーで雪印の228円の牛乳が欲しかった。これが一番自分になじんでいる。たまに、198円で売っているところがあるので、この辺はしっかりと目を凝らしておかねばならない。
 そうそう、最近、新しいカールが出ている。南国カレー味は先日買ったので、もう一つのトマトガーリックを買った。よくわからん。なんとかソーセージとかペペロンチーノだかカルボナーラだかはまずかった。あれはちょっと俺にはダメだね。マヨネーズがダメだから。
 ついでに、近くの「ル・シエル」に寄ってみた。以前、食パンを買ったが、取り立ててみんながうまいというのが分からない。菓子パンもどれも似たり寄ったりだ。クロワッサン(\120)ともう一つ買ったけど、生地がどれも同じ様な感じで、具をアレンジしただけで面白味がない。クロワッサンも生地が硬い。サックリ、パリッとしたのが良いのだ。どれも、そんな硬い生地のようで、見た目もどれも同じではちょっと飽きるよな。一応、イギリスパン(\240)も買っておこう。
 食パンは3日もすればカビがついてしまう。冷蔵庫でもカビがつく、冷凍庫だと水滴がつく。基本的に5枚切りを買う。6枚切りでは薄くて頼りなく。4枚切りでは厚くて途中で嫌になる。5枚切りが一番バランスが良い。これはあくまで腹具合での適量という意味だ。
 さて、イギリスパンは上がこんもりと山型になっている食パンである。食パンをトーストしたときに、ミミの部分は硬すぎてはいけない。サクッとするのがベストだ。そして、山型の場合、この山はカリッとしなくてはいけない。そして、一番重要な内の部分はシットリとしているのがベストだ。もちろん、表面はトーストすることでサクサクとした歯触りとなる。
 少し、焦がしてしまったが、においもトーストの味の一つだ。そして、マーガリン(コーンソフト)をまんべんなく塗る。まんべんなくである。ル・シエルの食パンは焼く前から形がしっかりしていて、引き締まった感じだ。焼くと一層硬く感じる。でも、味は良い。バターかなにか生地に入っているのだろう、マーガリンとは違う味がある。内もシットリとしている。やはり、菓子パンと同じで、全体に硬さがあるので、もう少し柔らかいとベストではないだろうか。まあ、噛みきれないミミではないから、ダメとは言わないけど、重たい感じがするのは生地の目が細かいからだろうか?また、この辺りはパン屋で聞いてみることにしよう。

June 17, 1997 [晴れ]

 今日は大阪ドームで阪神−広島戦を観戦する。まずは大阪に出てから昼食を取ることに決めた。
 前々から雑誌で目を付けていた十三(じゅうそう)の「ステラ・マリア」へ行くことにした。阪急十三駅から歩いて10分ほどの十三公園に近いこぎれいなフランス料理店であった。マンションの半地下部分になっていて、淀川沿いの道から階段を4・5段降りて店のドアに着く。店員がすでにドアを開けて待っていてくれる。中は明かりを極力落として、落ちついた雰囲気を出している。入り口の大きなソファなど年代を感じさせる建具が良い。
 テーブルに案内されると、大きな籐の背もたれの椅子が目に付いた。テーブルの位置はほとんど天井からの明かりはない。代わりにテーブルにおかれたシェードのある小さなランプで料理や手元が分かるようにされている。テーブルは2人掛けが約10卓、4人掛けが4卓ほどである。店内はあまり大きくはなく、静まった状況ではなく、割合話し声でワイワイとした雰囲気で肩の張らない感じだ。
 さて、ここのお昼の特徴は1000円でランチが食べられるということだ。コースは2000円、3000円と3つのコースがあった。もちろん、1000円のAコースを選んだ。
 まず初めに、コールドスープが出た。カボチャを使ったポタージュスープだった。カボチャの甘さと、コーンの味わいが実に美味しく、口の中でザラつくことなく最後までいただいた。
 一緒に出てきたフランスパンは、聞いてみると、阪神百貨店のルビアンというお店のものだということだ。
 次は、メインディッシュの鳥モモ肉のソテーであった。きのこと細く切ったじゃがいもを下に敷き、鳥のソテーをのっけて、その上からトマトソースをかけたものだった。鳥は皮がほとんどなく、柔らかくて美味であった。香辛料の味もなく、トマトソースとオリーブオイル(?)だけで味を付けているようだ。あと、一緒に出てきたサラダは極普通に生野菜にビネガーをかけたものだった。お酢は大嫌いだ。
 最後は、デザートとコーヒー or 紅茶である。マンゴーのムース、チーズケーキ、の2つの小さなケーキに生クリームを添えて、コーヒーは通常の大きさのカップであった。
 十三のステラ・マリアを出てから淀川の堤防に上ってみた。川の方を覗くと河川敷で草野球をしていた。対岸には空中庭園のある梅田スカイビルが見えた。
 阪急や国道124号線の橋が架かっていて、その測道を歩いて渡ることが出来た。20分ほどで、梅田スカイビルにたどり着いたろうか。展望台(\700)には上らなかったが、地下の滝見小路という飲食街に行ってみた。
 二つのビルとビルの上に展望台を乗せた形をしているのだが、その下の広場には大きな5本のステンレスの筒が立ち並び、その上部から水を大量に吹き出していた。これを地下の滝見小路から見ると滝を裏から見ているような豪快なシーンになる。それぞれの、水が落ちる場所にはそれぞれ形の異なる大きな岩石が並べられていた。その地下飲食街は昭和初期の雰囲気の外観で通路や店が作られていて、タイムトリップのできる場所になっている。
 JR大阪駅に向かって、日差しの照りつける中を歩き出したが、大きく迂回して行かねばならなかったので、随分と時間を要してしまった。40分くらい歩いていただろう。GARE(ギャレ)が休みだったので、ミスタードーナツで小休止の後、大阪環状線の大正駅へ向かった。
 大正駅ではすでに、ドームへ行く人の群があった。帰りの切符を買ってから、その群と一緒にドームへ向かった。10分もかからなかっただろう。15時30分だったか、18時のプレイボールまでは随分と時間がある。インターネットで知っていた「pa・dou」へ行ってみることにした。ドームの手前にあるアミューズメント&レストランのある施設だ。セガ・アリーナでゲームを少ししてから、「パパミラノ」でサーモンとバジルのピッツァ(\1300)とカプチーノ(\400)を食べながら時間をつぶした。ピッツァは30cm程の大きさでボリュームが多かった。しかし、あまり美味しくなかった。トマトとチーズにサーモンの切り身が少し乗っているだけで、バジルも2つの小さい葉っぱが乗っているだけだ。まったく、芸がない。また、店員の訓練がなされていないようで、応対の鈍さが目を引いた。半分近くが空席なのに、入り口では10名以上が待たされていた。また、お客の帰った後が片づかないまま10分以上そのままになっているテーブルもあった。そこが片づく前に店を出たが、どうもコンビネーションが悪いのか、一人一人が最後まで仕事をこなせないのか分からないが、あれはよろしくない状態だ。これで、まだうまけりゃ良いが・・・
 さて、17時まで時間をつぶしたら、大阪ドーム内に入ることにした。まだまだ、人は続々とやってくるようだ。入場してからフロアを2つ上がって内野側上段の指定席へ座った。1塁側だが、ほとんどバックネット裏になっていた。すぐ後ろはプレスやテレビの解説エリアになっている。また、ホテルの1室のような部屋がこれより、上2段に設けられ、部屋の中やテラスで野球を観戦できるようになっていた。また、外野側にはレストランで観戦できるようになっているのである。
 グランドは見おろすようになっているわけだが、傾斜が急で、かなり恐い感じがする。深い谷間を見おろしているようだ。グランドも小さく感じる。しかし、徐々に目が慣れるとやや横に大きく感じ始めた。
 試合は、いつの間にか始まっていて、取ったり取られたりとハラハラドキドキであった。ボールが打ち上げられると一際歓声が大きくなる。はっきり言って、どこにどう飛んでいるのか分からない。距離感がまったくつかめず、それがどういう角度で飛んでいるのか分からなくて、よもやホームランかと思ったら内野フライだったりする。もう、これだけでもドキドキするのだ。
 広島の金本に打たれたホームランは弾道も低く見えた。おお、あれが入ってしまうのか・・・。新庄の打球が天井に当たりそうなくらい上がったが、これは内野フライだった。
 しかし、関川のエラーがらみで取られた3点は悔いが残る。5対3で迎えた9回の裏、2アウトからの2点を取って同点に追いついた。もう、ファンは狂喜乱舞である。スタンドは完全にファンが一体となっていた。
 結局延長12回に、なんと広島のピッチャー佐々岡をフォアボールで出してしまい。それが仇となって1点を取られてしまって、ゲームセット。打つには打ったが、無駄が多かったのも事実である。
 10回から田村が登場し、強気のピッチングで三振を奪っていく様は見ていて気持ちが良かった。それを11回裏にピンチヒッターを出したがために、12回のピッチャー葛西がフォアボールを4つもだす羽目になるのである。
 123456789101112
広島0011002100016
阪神0100020020005
 9回には佐々岡から2点も取ったのに・・・。どうも、あと1発で勝負が決まるというときに、それが続かないのだ。しかし、3回の関川の暴投で1点、7回のパスボールで1点、12回のもパスボールで1点、これは痛かった。まだ、バットで打ってくれたから良かったものの・・・。それにしても、新庄!一番良いところでバッターが回ってくるのに何をしている。4番の桧山も悪いが、12回の裏、満塁にしてそれでも打てなかった新庄には怒っているぞ。
 試合が終わったときには11時を過ぎていた。疲れた・・・
 試合が終わると走ってスタンドを出たが、駅までは人混みであった。持っていた扇子を落として無くした。もったいない。
 何とか大正駅ですぐに来た電車に乗り込み、大阪駅で新快速に乗って野洲まで帰ってきた。もはや日付が変わり、1時を回っていた。本当に疲れた・・・

June 16, 1997 [曇り]

 今日は朝早くに、大阪狭山市へ向かった。祖母の実弟の葬儀のためである。
 狭山の自宅では、記憶にない人たちが沢山集まっていた。しかし、向こうは1才とか2才の自分を知っているのだ。何とも不思議なもので仕方がない。葬儀は神式で行われ、厳かに進行された。しかし、その場に重苦しい雰囲気がなかったのは幸いであった。どちらかというと、10年、20年の記憶の隙間を埋める楽しみがあるようだ。そうして、懐かしい顔が笑って棺を送り出せたら良いよな。葬儀と同時にもう次の未来に向かって前向きに進んで行くってのは、良いね。
 さて、行ったことのない場所へ車で行くときに便利なのが「カーナビ」だ。カー・ナビゲーション・システム、道案内をしてくれるコンピュータのことだが、GPS(Global Positionning System)と言われるものはその手法の一つを指す。
 4年前、カーナビを購入する時点で2つのポイントを見当した。ひとつは、CD−ROMの汎用性。もうひとつは、ナビゲーションプログラムの使いやすさである。
 ここで、パソコンと専用コンピュータの違いに目を付けると、パソコンはフロッピーディスクやCD−ROMでソフトウェアを動かすため、ソフトウェアを新しくすることが可能なことである。
 結論として発売されたばかりのケンウッドのGPX−07という本体とタッチパネル式のモニタを購入した。まず、CD−ROMがナビ研対応ということで、大半のメーカーと同じCD−ROMを使用すること。そして、ソフトウェアがICカードで供給されるため、ICカード内のプログラムを書き換えることでソフトウェアのバージョンアップがなされる2点でチェックポイントに合格した。また、特筆すべきは、リモコンだけでなく、画面を触ることで操作ができることだ。指でなぞれば画面がスクロールしたり、拡大・縮小が可能なのだ。そして、おまけの機能がボイスナビゲーション。声で命令を登録しておくと、自分の声でカーナビを操作することができるのである。
 2度のバージョンアップを経て、自動経路設定が可能になり、目的地を指定すればそこまでの道のりを計算し、地図の上をなぞってくれる。しかし、これがくせ者だ。
 今日も、帰りは道に迷って帰ってきた。カーナビが思ったところを指示してくれないからである。私がカーナビの指示を無視するからではない。いや、それもあるが、それだけではない。
 西名阪を使い、天理まで出て、宇治まで行き、京滋バイパスに乗って、名神で帰ってくるシナリオだ。もしくは、名神だけで帰ってくるつもりだった。しかし、ひたすら一般道を走っていたのである。しかたなく、高速道路の入り口を指定し、そこを通るように設定をし直す。ここで、問題は自分がどこにいるか分からない場合に、都合良く近くの入り口を指定できるかということだ。また、幾つか考えられるルートから最適なルートを導く必要があるのだが。その選択枝が分からないのである。
 もっと、おおまかに希望を聞いてくれると便利である。名神を使う。1号線をひたすら走る。そんな風にだ。
 また、道を間違ったときに即座に修正を施して欲しい。ホンダの純正カーナビにはその機能がついている。指示された道から外れると、即座にそこから元のルートへ復帰するルートをつけ加える。また、この反応が早い。ソフトが機能アップしてもスピードが遅いのは、実は困っている。
 まあ、何よりちゃんと動いてくれないのが一番困る。計算したルートが表示されなかったり、来たときのルートが表示されるはずが消えていたりと、画面の表示がでないことがある。一番困ったのは、道に迷ってふっと画面を見ると、カーナビもフリーズ(凍結)していたことだ。お前が道に迷うんじゃねえ。と、つっこみが入るのであった。

June 7, 1997 [曇りのち晴れ]

 今朝は曇りがちであったが、10時頃には快晴となり、青々と輝く空が眩しくてしかたなかった。早速、十二坊へ登り琵琶湖や比叡山に向かって写真を撮影しに行った。
 こうして、撮影した写真は会社のホームページの素材となる。また、デジタルカメラを使って、毎日、菩提寺の風景を送っている。
 今や、インターネットは仕事だけでなく、生活の中に随分と入り込んでいる。10日程修理に出している間、あれこれと不便を感じていた。しかし、まだまだ課題が多いことも忘れてはならない。
 特に、Microsoft が Internet Explorer でのセキュリティが不備で問題を起こしているが、誰もが使えるようになると不正・犯罪に対する防備が必要となる。しかし、ことは単純ではないと思う。
 ブラウザだけがセキュリティをしてもダメなのだ。例えば、不正なプログラムがインターネットを介して勝手に入ることはないにしても、一度入り込んでしまうと、インターネットを使って個人のデータが流出する危険性が高くなる。それが、正式なプログラムに組み込まれてしまう危険性もあるのではないだろうか?
 例えば、Windows の場合、OSそのものがインターネットの ID やパスワードを管理している。もし、Microsoft がその気になれば、Windows に秘密の機能を取り付け、インターネットにアクセスすると同時に、個人情報を取り出して Microsoft のコンピュータへ転送することは簡単だ。そうすると、Windows が管理するデータは全て把握されてしまう。ID やパスワードだけでなく、どこのプロバイダを使っているか、どこのブラウザを使っているか、どんなブックマークを持っているか、どんなサイトを利用しているか。そんなことは簡単に見ることができるのだ。外部のプログラムでは難しくても内部に仕組めば、見つかり難いし、簡単なことだ。場合によっては、外部のプログラムでも簡単に出来るのではないだろうか?その場合、常に動いているプログラムでないと意味がないが、タイマーやスケジューラーのようなソフトであったり、ブラウザそのものにそのような不正のプログラムを組み込んでしまうことは簡単であろう。
 そう考えると、何も信用できなくなる。もちろん、それを否定できないからだ。

June 5, 1997 [曇りのち雨]

 北海道旅行3日目。この日も朝はバイキング。
 朝食後、すぐに出発し、中央市場の場外市場で買い物タイム。もういいって感じだけど、みんなは何やら買い足していた。
 10:50、羊ヶ丘展望台に到着する。ここにはクラーク博士の銅像があった。
 ここに着いたときは非常に寒く、風もあった。そして、ついに雨がポツポツと降り始めた。
 千歳に移動し、昼食を取る。なんとイクラ丼だった。うーむ、食えないのだ。北海道に来てもうにとイクラは食べられないのだ。鮭と蟹は大丈夫だけど。
 13時過ぎには千歳空港に到着していたが、飛行機は15:10発であった。ラーメン食べたり、インターネットしたりしてなんとか時間を潰すのである。
 16:50頃にやや遅れて名古屋空港に到着し、18:50には会社に返っていた。

[北海道写真集]


 さて、空港での待ち時間の間に修理に出していたマックが返ってきていることを知ったので、自宅へ帰る前にマックを受け取りに行く。
 コプロエラーを出して、起動しなかったり、フリーズを連発していたのに、現象確認できずに戻ってきた。一応、CPUボードを交換したようだ。
 さて、インターネットができるように、まずは環境を整備しなければならない。今までは ConfigPPP を使用していたが、OpenTransport を使って見ることにする。Apple Internet スタータキットをインストール使用としたが、OpenTransport が入っていないと警告が出た。しかし、システムCDにもそんな項目はない。どちらにしても、雑誌に最新版がついていたので、それをインストールすることにした。
 何とかそれぞれをインストールできたが、肝心の Open Transport/PPP が機能しない。モデムの設定に使用しているモデムがないのである。汎用の設定がなく、似たようなものを選んで見たが、電話をつないだままエラーを出す。融通の利かないシステムだ。仕方なく、スタータキット内の Apple Internet Dialer を使用して PPP の接続ができた。何とかインターネットに接続し、50通ものメールを受信することができた。
 晩飯を食べるのも忘れてようやく落ち着いたが、夜中の1時になろうとしていた。お腹は空いていたが、もう寝るしかない。今日は北海道から帰ってきたばかりである。
 と言いながら、SoftWindows95 をインストールした。しごく簡単にインストールは終わってしまった。初めての起動時には様々な設定を自動で行うため時間がかかるが、問題なく動作している。ザ・コンビニをインストールして見るとちゃんと効果音もBGMもなっている。動作も問題なくスムーズにキャラクターが動いていた。さすがは PM8500/180 というところか。603e/120MHz では、かなり遅いらしいが、604e/180MHz では、スイスイと動いている。これで、ようやく Magic: The Gathering のゲームソフトを動かすことができそうだ。

June 4, 1997 [曇り]

 北海道旅行2日目。朝はバイキング形式の朝食に始まった。出発時間は7時50分。ゆっくりと朝食を楽しんでいる暇はない。
 さて、出発すると山の中をくねくねとバスは走った。オロフレ峠であった。目指すは洞爺湖(とうやこ)である。この日も天候は曇ったままだった。走っている間に太陽が顔を出したものの、羊蹄山(ようていざん)はついに顔を出すことはなかった。昭和新山も有珠山(うすざん)も頂上付近に雲を携えたままであった。
 昭和新山のふもとからロープウェイで有珠山の山頂まで登った。山頂は昭和新山と同様に溶岩の固まった岩が突き出ている。展望台に登ってもまったく周りが見えなかった。下が見下ろせるだけで、周りの景色は洞爺湖さえ見ることができなかった。バスで5分程も離れてないのにである。火口原の見える展望台から戻る途中で、風向きが変化した。後ろを振り返ると展望台は煙の中にかき消えていた。慌てて階段を降りてくる人達が見えていた。その煙はどんどんと後ろから近づき、ついには山頂を煙で覆い隠してしまった。

 次に、近くの洞爺湖展望台へ移動した。ここから洞爺湖に浮かぶ4つの島が見える予定だった。かすかに3つの島影を見ることはできたが、その先は白い闇の中であった。逆の方へ目をやると畑の中の水蒸気が地嵐という現象を起こしていた。地中から煙が上がって見えるのである。地面から白いベールが沸き上がる様は幻想的であった。
 また、広大な畑の中に作業をする人影をひとつ見つけると、その雄大さの中にある小さな人間の存在が何とも素晴しく見えるものだ。逆に、その小さな人影にみなぎる生命力は大自然にも劣らないのではないかと思わされるようであった。

 さて、展望台での休憩を終え、昼食のため一路、京極町を目指す。雪解け水があふれる「ふきだし公園」で、ジンギスカンを食べようというものだ。肉はマトン(羊)であるが、独特の味付けがなされていておいしい。水のほうは肌寒かったせいかあまり冷たく感じず、無味であったことだけ分かった。
 13:15 に余市町のニッカウヰスキー原酒工場に見学のため立ち寄る。工場内を一通り案内されて、最後にウイスキーの試飲会場へ招待される。飲めない人のために「シロップ」とかかれたものが用意されていた。とても甘くてそのままでは飲めない。水で薄めると、薄くて味が変だった。結局、とうもろこし(\250)を買って食べた。ただボイルしただけのとうもろこしであった。やっぱ、醤油で焼いたのが食べたいね。
 15:00 には小樽市内に入っていた。1時間半の自由行動であるが、どこに行く目的もないのでまずは、北一ガラスに向かった。ガラス工芸品が所狭しと並んでいる。そう言えば、長浜市の黒壁ガラスには2度3度と行ったことがあったのを思い出す。
 次に小樽オルゴール館へ行ってみた。これもよく考えると長浜に同じものがあるのだ。早々にそこを出て、交差点の向かいにある「銀の鐘」へ行った。
 銀の鐘の一階はオリジナルの洋菓子が並んでいた。そして、2階が喫茶店である。ここのメニューは3つ。ホットコーヒー、アイスコーヒー、オレンジジュースなのだ。このどれもが300円で、小さなスポンジケーキが付いている。そして、コーヒーのおかわりは自由なのだ。そして、一番の売りは使ったカップを持って帰れることなのだ。ちゃんと化粧箱まで用意されている。小さいカップなのでお土産としても邪魔にならないし、すっきりとしたデザインなので誰もが気に入ると思う。真っ白な小さな陶製のカップにはダークブラウンで店の名前が入っている。
 その後は、たこやきなんぞを食べながら、運河にかかる橋を渡って、倉庫街を歩いた。

 18時前にJR札幌駅前の「第2ワシントンホテル」に到着した。ここはビジネスホテルである。晩飯は外で食べることになり、二条市場にある「魚道楽」という魚専門の炉端へ行った。
 きんき、関鯖、うに、ほっけ、ホタテを食べ、最後に蟹の刺身と焼き蟹を食べた。やはり新鮮なものはおいしいのである。
 食後、解散し、大通り公園を目指して歩いた。20:45頃、雨が降り始めてテレビ塔へ逃げ込んだ。地上90mのテレビ塔の展望台(有料)へ上がると、ネオンのきらめく大通り公園だけでなく、札幌市内全景が光の集まりで見ることができた。雨が強くなる中、21:00になると営業時間の終了のアナウンスがなり、強制的に明りが切られた。土砂降りの中をテレビ塔から追われて、すぐに地下鉄に逃げ込んだ。
 そこは地下鉄の大通り公園駅であった。東豊線の同駅から西の南北線の同駅へ地下通路を10分か15分かけて移動する。札幌の地下鉄はゴムタイヤをはいている。ホームから見下ろすと線路は1本のレールのみで、その両脇にタイヤの痕がついていた。列車が到着しても金属的な音は少ない。風を押し進む音だけが聞こえるのだった。
 地下鉄の南北線大通り公園駅からひと駅(\200)、札幌駅で降り、地下道を伝ってホテルまでたどり着いた。ホテルの自室へ戻るとテレビを見ながらそのまま寝てしまった。

[北海道写真集]

June 3, 1997 [曇り]

 今日から社員旅行で北海道へ行く。北海道へは行ったことがないので実に楽しみだ。しかし、どうも向こうにいる3日間は天候が良くないようだ。飛行機から地平線を彼方に眺めることを期待している。
 早朝8時10分に会社に集合し、2台の車で名古屋空港へ向かう。今回はわれわれ5名と別社の5名の合同であった。竜王インターから名神高速道路に乗る。先月末で栗東-小牧間のリフレッシュ工事が終わったばかりで、舗装の色合いが新しかった。小牧まではしごく順調であったが、料金所は大渋滞。料金所を通過し、国道に出るまで30分を要した。それでも、10時30分には名古屋空港に到着することができた。
 名古屋空港からパック旅行に合流するのだが、参加者は他に2名のみであった。
 11:30発のJASの飛行機に乗り、千歳空港へ13:05 に到着予定だ。厚い雲の上へと飛び立つと、明るい日差しが下方に雲塊を写し出す。新潟上空を通過し、予定通り千歳空港へと降り立った。あいにく、機内から地平線を見ることはできなかった。しかし、地上を見ると、大きな矩型に分割された畑が生前と並び、その一角には赤とか青のトタン屋根の家屋があった。その整った四角い区画はずっと向こうの方まで規律良く並んでいるのだ。平地が延々と続く様子を見ることはできた。また、それらの畑の真ん中に突然ビルの密集地帯が現われる。また、その様子も整然と矩型を乱さずに存在していた。山の谷間に沿って家々がある風景とはまったく異なる。無駄なものはそこにはないようであった。
 やはり空港の外は涼しく、気温も15度前後しかなかった。ジャンバーを着て丁度である。
 さて、千歳空港を出るとすぐに近くのノーザン・ホース・パークへ向かった。ここは社台ファームが経営するテーマパークで、馬に乗ったり、馬車に乗ったり、アウトドアで家族で楽しめる施設となっている。そう広くはないので、30分も歩けばおよそ見て歩くことができる。
 14時まで、そこで時間を使い、次は宿泊先の登別温泉にある地獄谷を目指す。苫小牧を通り、ほぼ海岸沿いに高速道路を西へ移動する。道中は車も数台しか同行しないような状態で、名神とは比べられないくらいの少ない交通量である。北海道ではこれが普通だそうだが、高速道路の料金が安くならない理由が良くわかる気がする。
 16時頃に地獄谷に到着した。雨が今にも降りそうな天気になっていて、一段と肌寒くなっていた。煙の立つ谷を見下ろしても、あまり硫黄のにおいを感じなかった。下に近づくと徐々にそのにおいが強くなったが、蔵王で感じたようなきついにおいではなかった。確かに蔵王の場合は、道の横を流れる川からモウモウと煙が吐き出されていたから、その距離が違った。谷に降りれないように柵がしてあるが、その内側にキタキツネがいた。どうやら、観光客から餌をもらおうとしているようだ。おそるおそる近づき、警戒をしながら戻って見せたりする。誰かが何かを投げると直ぐにそれに飛びついていたようだ。40cm程の体長で大きくなかったので、愛敬があった。
 雨がポツポツと降り始めた頃にそこを離れすぐ近くの「登別プリンスホテル石水亭」に到着した。温泉を引いたお風呂が7階にあり、一つはズーンと50m 以上の奥行きを持っており、湯船も30m 程の湯船から露天風呂まで用意されていた。
 夜の食事も、別段なんということはなかった。ただ、大根などの生野菜があったが、醤油がないのが淋しかった。
 夜はあまりにもいびきがうるさくて眠れなかった。なんとも辛いものだ。考えた末、ヘッドフォンをして、MDウォークマンを聴きながら気を紛らわし、いつの間にか眠ることができた。

[北海道写真集]

May 22, 1997 [曇り]

 今日は夜、もう一度「カーサ・コロニカ」へ行った。今日はおごってもらえることになったので、安心して行くことが出来る。
 夜は昨日とは打って変わって静かな雰囲気の店内だった。しかも、ほとんどの客はカップルだった。まあ、おめかしした主婦2人組もいたから、男2人組でもOKだね。
 さて、一つはこれを食べようと実は決めていた。昨日食べられなかったもう一つのパスタ、「ボロネーズ(\1800)」だった。いわゆるミートソースのことだ。やはり、これを食べないとパスタは語れない。合い挽きのミートが存分に乗っていた。これはストレートにうまい。
 あと、「ノルウェーサーモンのグリル(\2400)」を注文した。これは、大きなサーモンのブロックが出た。いやいや、実は白いものの中に隠れていた。細く長いその白い物は揚げ物のようであった。何だろうと食べてみると何だか甘い。甘いと言っても野菜の甘みだ。食べたことのある野菜の味だ。後で聞いたらタマネギだそうだ。そう言われるとそうだった。
 そのこんもりとしたタマネギの奥に、サーモンのブロックが眠っていた。また、これが大きいのだ。サーモンは皮を下にしていて、簡単に身を取ることができた。味は淡泊で、サーモンというより、鱒のような味だった。
 最後にエスプレッソ(\450)で締めくくった。営業時間をオーバーして22時までくつろいでしまった。また行きたいと思うけど、今度は4人以上でコースを食べたいな。

May 21, 1997 [雨]

 今日は、守山市にある「カーサ・コロニカ」で昼食を取ることにした。ここのオーナーの友達に勧められていたのだった。イタリアで修行した女性オーナーが3年程前に開店したそうだ。
 駅前から新幹線の方へ向かう側にあるのだが、琵琶湖大橋の取付道路から細い道を入るので、非常に分かりにくい。古い工場に看板が取り付けられていて、その看板の反対側にある小さな橋を渡ったところだ。背の低い工場を利用しているので、外観は広く感じる。
 中へ入ると暗く落ちついた雰囲気であった。正面にカウンターバーがあり、その奥に四角いテーブルが並んでいる。左手には吹き抜けの広い空間があり、螺旋状の階段が2階へとつながっていた。すぐ横には大きな厨房を覗くことができた。また、奥にVIPルームが用意されている。とりあえず、その広い場所の丸テーブルについた。20人程が座れる横長のテーブルは主婦の団体が2つ使用していた。おかげで店内はにぎやかな雰囲気であった。
 さて、メニューをもらって値段を見ると2000円前後の料理が多い。また、コースが主であるようだ。事前に聞いていたことは、1皿の量が2人前はあるので、多く注文しないことだった。確かに値段も2人前であった。
 とりあえず、2人で1品ずつ頼むことにした。「フレッシュトマトとバジリコのスパゲッティ(\1800)」と「サフランのリゾット(\1400)」に決めた。パスタもリゾットも2種類しかない。
 深い大きな器でパスタが出てきた。取り分け用のさらに自分の分を取って食べる。思ったよりも味が淡泊な感じがした。そんなに「これだっ!」という感じはなかった。
 リゾットは明るい黄色の米粒の中にホタテやエビなどが混ざっている。これは海産物のうまみがリゾットにしみ込んでいて実に美味しかった。ところが、これを食べた後に先のパスタを食べると、思わず2人で顔を見合わせてしまった。味が急に濃くなったのだ。トマトの味が際だってパスタが美味しくなった。これには、驚いた。なんだかワクワクする。
 それにしても、男2人で十分な量であった。3皿はちょっとしんどかったろう。
 最後に、カプチーノ(\600)を飲んだ。カップサイズは普通のサイズである。ゆったりと時間を過ごして、満足良くランチタイムであった。
 目立たない場所にあるのは非常にもったいないが、混んだ店は嫌いなので、これでいいのだ。ポポラーレは最近、昼も一杯で入れないことがあった。こちらは900円でランチが食べられるので、貴重な存在だったのだけど・・・

May 14, 1997 [雨]

 朝から、雨が降っていた。悪い予感はなかったが、釈然としないものだ。昨日のボーリングが腕のだるさに残っていた。
 車で東新川駅まで送ってもらったが、電車は動いていなかった。小郡行きは、まだ一本も動いていなかったのだ。昨日の雨がひどかったので、線路を点検しているのだろう。事故ではないと言う。
 9:08 の電車に乗るつもりであったが、いつ電車が動くか分からないと言われ、とりあえず、方々に電話を入れて、連絡か電車を待つ。
 10時前になって、ようやく電車が動き始めたらしかった。しかし、徐行運転のため何時に到着するかは分からないと言う。10時を過ぎて20分以上の遅れと言われた。そして、電話が鳴った。
 留守電のメッセージを聞いて三谷が電話をくれたのだ。とりあえず、駅まで来てくれることになった。そうこうしていると、管内放送で電車の到着時間不明のアナウンスが流れた。そのメッセージが終わらぬ内に、電車の到着を予告するベルが鳴りだした。なんだこれは?と思っていると、本当に電車がやってきた。そして、それがホームに入ると同時に迎えの車が来てくれた。
 結局、電車には乗れなかったので、小郡まで送ってもらうことになった。よかったよかった。
 小郡まで40分と道中は長い。小郡から東へは正常に動いているらしく、新幹線もまったく問題がないと聞いていた。実際には3分程遅れていた。
 小郡駅に 10:55 に着いた。ちょうど、こだまが出発するところだった。しかし、次の次にあるひかりの方がそのこだまを抜いて5分前に新神戸に着くと言うことで安心して待つことにした。45分後に出発する新幹線が5分も早く着くなんて、何だかすごいことだ。
 おみやげに、夏みかんだんご(\530)を2つ買って、早々にホームへ上がった。そこで、駅弁のあなごめし(\850)を買った。一面にあなごが並べられ、ごはんも味付けがされているようだったが、どれもあっさりしすぎていて味がないかと思うくらいだ。あなごもご飯も冷たくなっている割には食べやすかった。噛めば噛むほどジワジワと味が出てくるようだ。まあ、これはこれで良いと思う。しかし、漬け物は酸っぱかった。ありゃなんだ?
 小郡(11:40)から新神戸(14:00)まで新幹線(\11550)は快適に走った。「新・電子立国」の3巻を読んでしまった。
 この巻は「ビジカルク」から始まり、「ロータス1−2−3」の開発・経営の物語、そして、後半はジャストシステムの苦難の物語である。「一太郎」を生み出すまでの苦難辛苦が描かれていて面白い。また、テレビでは放送に間に合わなかった「ATOK」開発に関するインタビューが入っている。
 神戸の市街を見たことがなかったので、是非とも立ち寄ることにした。本当は南京町まで行きたかったのだが。
 新神戸で降りてから三宮駅を目指して歩くわけだが、地下道がないので雨降る中を傘もなく歩くしかなかった。駅構内から外へ出る前に一度地下鉄の入り口へ入った。そこからOPAに入って、エスカレーターで1階まで戻った。ここまでは、雨に濡れることなく移動できるわけだが、道路を1本渡っただけでしかない。
 そぼ降る雨の中を20分程、ヒタヒタと歩いた。途中、壁のほとんどをツルに覆われ、その緑の葉が見事な教会があった。雨に濡れながら名ので、道中から見える物だけを見ながら歩いていた。
 三宮駅前は良くテレビでも見たが、大きなビルは一昨年の震災から復旧しているため、その爪痕はうかがい知れない。道中に建物を撤去した跡や、まだ鉄骨だけの建設中のビルが2・3見受けられた。しかし、駅前に続く歩道のタイルが波を打ったままで、亀裂もおびただしい。まだ、所々直している最中のようだ。
 三宮駅に着いて時刻表を見ると、もう間もなく次の列車が来る。この時点で神戸に来た目的をすっかりと忘れていた。とっとと、切符を買って、長浜行きの電車に乗り込んでしまった。
 三宮(14:38)から野洲駅(15:57)までの新快速(\1690)で、楽々と家まで帰ってきた。いや、実に疲れた。

May 13, 1997 [大雨]

 今日は朝から雨が降っていた。辺りは暗かったが、強い雨ではなかった。宇部から小郡を通り抜けて山口市の湯田温泉駅まで車で送ってもらった。JR山口線の小さな駅だった。
 今回の旅行の1番の目的は湯田温泉にある中原中也記念館(0839-32-6430)に行くことであった。
 湯田温泉駅から歩いて10分程だったろうか。高田公園に向かって歩き、公園の北東にある路地を東にはいると白い近代的なデザインの建物があった。入り口には大木がそびえている。この記念館は消失した中原邸跡にあるのだが、この大木だけは中也が生まれたときから今でも生きているのだった。
 中にはいると小さな空間であったが、天井が高く吹き抜けとなっている。初めはそれにも気づかなかったが、2階に上がって初めて吹き抜けに気づいた。また、いかに小さいかも分かった。確かに、貴重な資料が現物として並んでいた。彼の愛用したコート、フランス語を学んだレコード、小学校の通知票は全て「甲」がついている。甲・乙・丙の3段階評価の一番良い評価が全ての学科と全ての細目に付けられていた。小学6年生の時の100点の答案には、とても子供とは思えない記述もあった。問題とは関係ない部分の意味について細かい解説を加えていた。当時の写真、手紙、雑誌、日記などなど・・・。
 持っている資料で見ていたものの大半がそこに実物であったようだ。なんだかんだとじっくり時間を使ってそれでも1時間でそこを出た。
 湯田温泉駅に戻り、津和野行きの電車を見ると30分程の余裕があった。というより、上りも下りも極端に本数が少ない。1時間半に1本程度である。駅前でラーメンを食べてから 12:06 の特急おき(\2100)に乗り、津和野(12:57)へ出発した。
 途中で停車した駅は山口駅と三谷駅だけだった。山口駅もとても県庁所在地とは思えないほど小さくボロい。思いっきり田舎の駅である。まだ、野洲駅の方が立派なものだ。まあ、篠原駅(滋賀)のようなああいう感じである。
 三谷駅は山中の駅で、回りには数件の民家と田園風景のみ。津和野に着くまでずっとそんな田園風景が続いていた。
 湯田温泉を出発するときにはショボショボと降っていた雨も、途中から強くなっていた。津和野に降り立ったときには土砂降りの雨となっていた。傘を指していても風で揺れてしまう。とりあえず、車の走っている道を歩くことにした。茶店と数件の定食屋を通過して行くと、みやげ物屋やホテルが一角に偏っていた。
 特に気を引くものがないので引き返すことにした。途中「葛飾北斎美術館」の看板を見つけた。
 とりあえず、雨が一段とひどくなり止みそうにないので茶店に寄ることにした。「みのや」というお店で、看板のよもぎだんご(\350)が気になっていた。席に着いてしばらくして3本の団子が出てきた。
 あぶって醤油と青海苔をかけたもの、黄粉をまぶしたもの、つぶあんをかけたものの3本だ。それぞれ同じ大きさの小振りの団子が3つづつ串にさしてある。まあ、これがうまい。特に、あぶって醤油は香ばしいことこのうえないのである。
 さて、雨はどうしても止まないので、早く帰ることにして、とりあえず駅に戻る。一時間以上の待ち時間がある。そこで、葛飾北斎美術館(\450)を探すことにした。これが分かりにくいところにあった。また、入り口も小さく、中も小さい。
 確かに彼の筆致は目を見張るものがあるが、展示品が少なく、本物の代わりに写真パネルが置いてあるものもあった。それでも、下書きのように細い線で書かれた漫画のような絵が多くあって、堅苦しい芸術ではなく遊び心に溢れた北斎の気概を知ったような気がした。
 時間は余ったが、雨は一向に収まらない。帰りは一両のみの各駅停車で津和野(14:49)から小郡(16:21)を目指す(\1110)。途中、山口駅で三両編成の電車に乗り換える。そこからは特に学生が多く、車内は満員に近くてガラスの内側は結露して外が見えなくなっていた。
 小郡で電車を降りてみたものの、駅前には本屋すらない。駅舎の中にコンビニがあったが、他にはバスターミナルがあった。結局、どこに行く当てもなく、東新川へ戻ることにした。小郡(16:50)から東新川(17:23)まで480円の切符を買って、何とか帰り着いた。
 東新川駅から歩いて山口大学の近くまで行こうとしたが、道を尋ねるとまったく反対に向かっていることが分かった。何となく歩いていると大きな本屋を見つけた。ここなら時間つぶしが出来るし、待ち合わせ場所としても分かりやすい。ここで、三谷と待ち合わせた。
 さて、無事合流した2人がした行動は、下関へ行くということだった。大雨の中、国道2号線をひた走る。しかも、この日買ったばかりの軽自動車はガラガラと大きな音を響かせて走る。カセットテープの歌声が全く聞こえない。
 下関まで2時間はかかっただろう。途中、セガ・ワールドで時間を費やしたが、20:40 に関門橋の近くにある海峡ゆめタワーへ到着した。1階の駐車場から国際貿易ビルに入って4階まで上がり、それから一旦外に出て、タワーの入り口に入るのである。そこで入場料600円を支払い、エレベーターに案内され、地上143mの展望台まで一気に上昇した。タワーは外観は鉄骨を網の目のように組んだ上に球状のガラス玉を載せたようであるが、タワー本体も全てガラスで覆われている。その中にあるのは2機のエレベーターだけであった。
 あいにくの雨はガラスの向こう側を流れており、余計に視界を奪っていた。雨粒が上から落ちてくるかと思うと、左から渦を巻くように右下へ向かってねじれていったりと複雑に気流が混じっているようだ。それでも、九州の明かりは良く分かった。細かい地形は見えないが、門司市の明かりの一群ははっきりと見て取れた。もちろん、360度見ることができるので、その外周を歩いて回ったが、1週するのに5分とかからない。2組のカップルがいただけで、明かりも暗く、俺たちは何をしてんだろうと思わずに入られない。
 いいか、次はお前とは来ないぞ!とお互いに誓っていた。さて、球体の展望台は3階層からなっており、エレベーターを降りたのがその3階にあたる。どうやって数えたのか、正確には30階にあたるそうだ。2階へ降りるとカクテルバーとレストランがあった。そして、1階は再び展望台になっており、ここから下へ降りるエレベーターに乗るのだ。(20:55)
 下に戻るとそこにイタリアン「Mare Piatto」があった。水曜日には20:30 までに行くと食べ放題のディナーブッフェがあるようだ。(男性\2500/女性\2000/小学生\1200)
 さて、ピザを食べることにした。カプリチョーザ(\1300)にAセット(\450)のパン3種とコーヒー、コーンスープ(\350)を頼んだ。ピザはトマトソースにカットしたゆで卵が色鮮やかで、オリーブと小エビとベーコンが載っていたと思う。生地はカリッと薄く焼かれており、専用の釜で焼いているのが分かる。味は非常にあっさりで、ちょっと物足らないくらいだ。ラウンドは大きく、直径30cmくらいだった。コーンスープはコクがあり、とても美味しかった。パンはチョコの粒が入ったデニッシュ、刻んだレモンの皮が入ったパンとバターを塗ったフランスパンであった。バターが程良く溶けたカリカリのフランスパンは良かった。デニッシュはしなっとなりすぎていて、レモンのパンは少量のツブツブはあったものの、それ以外は普通のロールパンのようだった。
 山口県内東部には大雨警報が出ていた。帰り道は最も雨風の強い中を気を付けて宇部まで帰るのであった。何とか無事0時過ぎに帰ることができた。
 宇部に帰ってからボーリングをした。4ゲームをして徐々に得点を上げたが、最高得点は157であった。上出来だね。

May 12, 1997 [晴れ]

 朝、8時に起きて、まだ迷っていた。野洲駅に問い合わせると今の期間は青春18切符がないということだった。
 車で行くか、それとも新幹線か、それとも・・・
 迷ったあげく、とりあえず鈍行列車で山口は宇部を目指すことにした。昨日の飯の残りを2つのおにぎりにして持って出た。
 歩いて5分でJR東海道線の野洲駅に着く、さて、どうなることやら。予定の行程は、野洲から東海道線を小郡まで行き、そこから宇部線に乗り換えて東新川駅まで行くということだった。まずは、目的地東新川駅までの切符(\8,720)を買う。しかし、この時点で、まだ時刻表を見たことがなかった。前日、ジョルダンのホームページで乗り換えと運賃のみ確認していた。
 野洲駅(10:17)から新快速に乗り終点の姫路(12:17)を目指す。この段階ではまだまだ気持ちに余裕があった。天気も良く、見慣れた風景が窓の外を流れていく。「新・電子立国」の2巻を読みながらのんびりとしていた。
 大阪から向こうは、鈍行列車で行くのは初めてだった。神戸を通り、明石を通る。須磨海岸辺りでは、海沿いの風景を楽しみながら電車に揺られていた。滋賀から大阪までの景色にはないものね。姫路に着くとすぐに上郡行きの電車があった。なんだ、もう小郡か?なんておもったら、「おごおり」じゃなくて「かみごおり」だった。
 さて、姫路(12:34)を出た各駅停車の列車は上郡(13:09)に着く。しかし、ここからが電車の本数がめっきりと減ってしまうのだ。姫路を出て以来、窓の外の風景も山や田圃が多かった。上郡駅で次の電車を待っている間、風がずっと心地よく吹いていた。気温は28度であったが、まったく暑さが気にならない爽やかな風だ。これは順風な旅行を暗示する幸先良いことと思っていた。
 上郡(13:37)から三原(15:57)行きの電車に乗ったが、途中で岡山と福山を通る。福山は駅前にお城がそびえており、駅のホームから白を見上げることが出来るのであった。もちろん本物だ。色々教えてくれたおばあさんが尾道(おのみち)で降り、すぐに三原に着く。尾道辺りは造船所が多く、一見軍港のような様相であった。あちこちに、何かをつかむようなクレーンが見えた。列車の左は海沿いの風景と大きな工場がひしめいていたが、右はすぐに山であった。急な斜面に家がへばりつき、細い階段が縦横に見える。独特の風景だった。
 しかし、三原駅に着いたもののこのペースでは夜の9時を回りそうであった。まだ、広島、徳山と行程は長い。そこで、急遽、新幹線を使用することにして、三原(16:07)から小郡(17:30)までこだまに乗って移動した。
 これで随分と時間を短縮した。早速、宇部線のホームへ降りたが、30分の時間待ち。しかし、実に古いホームだ。やはり、電車の本数も少ない。1時間に1本程度だ。さて、小郡(18:01)から東新川(18:44)まで移動するころには空が曇っていた。日も傾き、暗くなってきた。駅に降り立った時には雨がポツポツと降り始めていた。
 駅に着くと友人A(三谷)が待っていてくれた。山口大学に行っている彼はその近くのアパートに住んでいた。彼にマジックを教えるために4つの Deck を持ってきていた。これはちょっと重かった。まあ、そんなことで再会を祝して、夜更けまでマジックをしていたのであった。

May 1, 1997 [晴れ]

 今日は映画「SLEEPERS」を見た。これは俗語で少年院上がりの者を指すそうだ。
 他愛ない悪戯から人に怪我を負わせ、4人の少年が少年院に送られてします。そこは彼らを人間として扱わない看守たちが、昼夜を問わず彼らを食い物にする。そして、彼らは復讐を決意するのだ。その復讐の場は法廷であった。検事にブラッド・ピッド、弁護士にダスティン・ホフマン、そして証言台に立つのはロバート・デ・ニーロというそうそうたる面々である。ちなみに被害者はケビン・ベーコンだ。うーん、彼は異常な役が多すぎるような気がする。「Apollo 13」のときもそういう意味でハラハラして見ていた。

April 30, 1997 [晴れ]

 久々に昼間に京都へ行ってみた。
 第1の目的は「ギルド京都店」である。ここは Magic などのトレーディングカード関係を並行輸入している。
 さて、案内をしてもらって寺町を御池から四条へ向かって下ると漫画専門の看板を挙げた「喜久屋書店」がある。いつの間に!と驚きながら2階へ上がると、これまたアニメ関係の世界。そこから非常階段に出る。すると隣のマンションに繋がり、そこに「ギルド京都店」があった。ワンルームマンションだった。靴を脱いで上がるとスポーンの人形から洋書(雑誌)から、Magic 等のカードが山積みされている。
 また、これが安い!1,350円のスターター・パックが990円、450円のブースター・パックが330円だ。ほとんどの通販顔負けの値段である。しかも税込み(消費税5%)だ。BOXで買うと17,000円はするところ、11,880円である。5千円も安くなるのである。
 さて、目的を果たし、昼食を取ることにした。迷ったあげく、四条寺町にあるイタリア国旗に誘われて、「カリビアン・ブルー」に入った。奥に厨房とレジがあり、そこで注文をすることになる。カフェテリア形式というのだろうか。
 フェットチーネ(キノコとトマトソース)を食べ、足りずにカプリチョザ(特製ミックスピザ)を半分食べた。うまかった。ピザなんか特にうまかった。後からじわじわと味が迫ってくるような感じだ。よくわからん・・・
それから大丸の「ポール・スミス」へ行きシャツを2枚買った。最近、品揃えにちょっと不満である。それにスラックス・ジーンズがあいかわらず5ボタンが多すぎる。ファスナータイプが2種類程しかないのはつらい。慌ててトイレに入ってもボタンを5つもはずすのはすごく大変。考え直すように。
 それと定番のシャツが減った。特に、白のソフトシャツ。仕事用のYシャツとして使っているので、ノーマル、ボタンダウン、タブカラーは揃えて欲しい。そういえば、ベストが見あたらなくなっていたが、あまり目新しいのはなかったようだ。靴やカバンやパンツなど新しい小物を置いているけど、基本アイテムを大事にして欲しいな。私はネクタイや靴下はポール・スミスの派手な物は買わないし、シャツもプリント柄の派手なヤツ以外は地味な黒が中心だし、ベストにしてもギラギラするやつは嫌いだ。
 まあ、忙しい中をいつも手助けしてくれる山中さんには感謝している。
 大抵、今日はシャツを2枚買うぞとか、スラックスを1本とか、時間つぶしだと決め手から行くので衝動買いは滅多にない。でも、本当は衝動買いをさせてしまう品揃えでないとダメなのだと思う。やっぱり、良い物はその時しかないし、インスピレーションなんだよね。だから、無駄遣いかどうかだけ考えれば、勢いで買うのも楽しいものだよ。
 帰りに大津で西武に寄った。1階のドンクへ行き、ミニクロワッサンを買った。100g、130円と量り売りだが、ほとんどが限界の500gずつ買っていくようだ。並んでいると前の人がかっさらって行ったので、無くなってしまい、5分間焼き上がりを待つことになった。あんなに買ってどうするのだろう。でも、安い。
 焼き上がったミニクロワッサンに刷毛で何かを塗り付けていた。どうも、それが甘いようだ。100gだけ買ったが、6個もあった。サクッとした感触よりも詰まった感じがあった。いつも昼に食べている「バンセンヌ」のクロワッサンの方がサックリとしていて良い。まあ、同じ値段で倍程のものが食べられるのは○かな。

April 17, 1997 [晴れ]

 さて、今日は念願の大津市石山にある「アル・デンテ」へ行った。ここは水曜日が定休なので、仕事の休みと同じなのだ。しかし、パスタ好きの話によると滋賀県ではここが一番と言う。さてさて、ようやくこの日が来た。
草津から湖岸道路を南下し、瀬田のロイヤルオークの前を通過する。そして、瀬田川の唐橋を渡って南(左)へ1分もかからない場所にアル・デンテはあった。ちょうど名神高速の手前である。車で走っていると建物はほとんど見えない。気づいたときには走りすぎている。看板もイタリア国旗も歩道にかからないようになっているので、手前の電柱が邪魔になっているようだ。川沿いの左側に注意して走らねばならない。店の手前から裏へ入り、駐車場に車を止める。15台程のスペースが用意されている。外観は派手でなく、ファミレス程度の大きさに見える。いや、それより小さく見えるかも知れない。
 入り口にはランチメニューが飾られていた。Bランチが2,700円らしい。ちなみにカードで支払いOKだ。中に入って、その広さに驚いた。中心部が中庭になっていて、太陽の下で食事ができるように2つの白いテーブルがある。その回りを廊下が渡してあり、その外側に各テーブルが用意されている。広く感じたのはその中央の空間と自然光の仕業であろう。それから奥へ行くとテーブルの向こうにカウンターが用意されていた。案内されてその席に着いた。ここは少し明かりを落とし間接照明が天井にあり、落ちついた場所になっている。
 ランチメニューは3タイプ、Aタイプは前菜、パン、パスタ、デザート、コーヒー(紅茶)で1,400円。BタイプはAタイプに肉か魚が付いて2,700円、そしてCタイプが3,400円となっている。
予算からいうとAタイプかBタイプであるが、昼食で1,000円以上は辛いものだ。今回はAタイプにしておこう。
 カウンターの前は一応厨房になっていた。その裏も厨房のようである。前には2人のシェフが仕込みのようなことをしていた。フルーツをひたすら剥いている。グレープフルーツ、キーウィ、パイナップルなど・・・。パスタをゆでる場所がないので、これは裏にあるようだ。
 さて、まずは、前菜である。これには4品が載っていた。むきエビ、カボチャと赤ピーマン、小さなキノコ、スモークしたハムだった。キノコはオリーブオイルに漬けてあったような味だ。エビもプリッとしていたが、味は分からない。カボチャとピーマンはどっちも苦い。ハムはレタスと一緒に食べた。これは美味しい。
 そして、次にパンが出てきた。切り分けた2種類のパンである。一つは細かくつぶしたクルミが入っているようだ。クルミの味は分からなかったが、何となくそうらしい。もう一つは、バターの黄色をしていて、サクサクとしている。手に薄い油が付くのでバターに違いない。仕込みをしているシェフに聞くとどちらもそうであった。バターのパンはブランブッシュというそうだが、今年の3月から自家製のパンを出しているそうだ。どちらも柔らかく、クルミパンはしっとり、バターパンはサックリしている。
 さて、ランチのパスタはその日の2種類から選ぶのだが、娼婦風ピリカラトマトソースというのにした。出てきたのは皿の中央に山高帽のようにこんもりと盛りつけた、トマトソースを絡めたパスタだった。鷹の爪とオリーブが入っているようだ。おおこれは!goodである。ソースの味が何か分からないが、初めて味わう感触だった。どこがどうとは言えないけど、奥深い感じだ。養殖の鱒と海の鱒のような違いである。味は同じだが身の感触と味の濃さが違うのだ。素材は特別なものはないと思う。オリーブオイルが違うのだろうか?パスタは中位の細くないものだった。そして、確かにピリッと辛い。コップの水を2杯も飲んでしまった。まあ、汗をかくほどではないが、辛いものに弱い私には十分だ。
 そして、最後はデザートとコーヒーだ。コーヒーは普通のカップサイズだ。デザートはイチゴのシャーベット。これが美味しい。本物のイチゴの味である。もちろん、粒々も本物なら甘さも本物のフルーツの甘さだ。味も濃く非常に新鮮であった。
 もう、十二分に満足である。さて、会計のシステムが少し一般の違う。テーブルに番号札が置かれており、それをレジまで持っていくのだ。そう、会計伝票は置かれていないのである。その辺の説明はなかった訳だが、番号札に簡単な説明が付いている。そういえば、ホールスタッフはあまりしゃべらない。細かい説明等はしないようだ。それと、メニューはドリンク用とランチ用とあったが、アラカルト(単品)用もあるので、必要の場合は言えばよい。
 店を出る頃には半分のテーブルが埋まっていた。カウンターは10人程、テーブルは4人掛けで7・8台だった。中庭のテーブルは2人掛けが2台だ。実はうわさに高いトイレには入らなかった。もちろん、女子トイレだからだ。というのも、広くてとても綺麗らしい。少なくとも、アル・デンテを知っている女性の話では必ず出てくる。男性のトイレは普通だそうだが。

April 8, 1997 [曇り]

 久々の日記となった、日記に使用しているサーバーが書き込みできないので、サーバーの変更を考えている。
 今日は会社のみんなと八坂神社へ夜桜見物だ。昨年も行ったが、アップライトに照らし出された枝垂れ桜は妖麗というのだろうか、不思議な魅力を持っている。
 神社へ行く前に木屋町で魚料理を食べた。ちいさなカウンターの店で、店主が独りで切り盛りしていた。魚はどれも新鮮で、普段食べ慣れたと思っているものも違うのだ。例えば、鱒。海で取られた本物の鱒だ。基本的に味は養殖と同じだが、味が濃いのである。また、それ以上に身が引き締まりプリプリとしていた。初めは刺身でいただいたが、その鮮烈なオレンジ色は新鮮な鮭そのものだ。またこれが脂がのってトロッとしているが、しつこくはない。次に焼いてもらった。先に感じたように味が濃くてプリプリしているのが良く分かった。
 また、ホッケもうまかった。普段食べているものは干したものらしいが、生のホッケはこれまた身が引き締まっていてプリプリだ。もちろん、焼いてもらった。
 後は、知らないものを食べた。美味しかったが名前は覚えていない。マグロのような赤身の魚もあった。タラの芽や菜の花も美味しかった。一人当たり7,000円と個人的には高くもあるが、内容から言えば安いのではないだろうか。四条から上に一筋上がった場所にある「碇」というお店だ。
 さてさて、腹ごなしも完了し、いざ八坂神社へ。正面の階段を登り、境内を抜けて丸山公園に入ると、その中央に巨大な枝垂れ桜がある。この桜は2代目で昭和22年に植えられた。桜の回りには楽器を持って演奏する人たちが何組かあった。また、宴会で騒がしい連中もいる。公園の中の道沿いには様々な露店が用意されている。ことしもダーツをやった。中途半端に点を取ってもはずれよりひどい景品だ。昨年と同じものをもらってしまった。
 桜見物はもの5分もかからない。訳の分からないお化け屋敷も今年もあった。パチンコ台も並んでいた。いろんな人が桜に集まってくるのだが、ゆっくりと桜を観賞しようという雰囲気ではない。もちろん、それ以外の楽しみが大きいのかも知れない。うーん、酒を飲まない私にすれば、桜以外に楽しみはないのだが・・・

March 19, 1997 [曇り]

 今日は昼から「ジォルナータ」へ行った。前にも食べた、ボロネーゼ(ミートソース)のパスタランチ(\1000)だ。その後、ディオ・ワールドで買い物をして、奈良を目指して出発した。
 奈良には、Magic のトークン・チットを買うために行くのである。しかも、フォールン・エンパイアやアライアンスのカードがいまだにあるという。すでに、滋賀・京都では手に入らず、大阪近辺でも見かけないアライアンスが眠っているのだ。
 先日、アメリカへ Visions と Alliances のBOXを注文したが、そこでさえ、Alliances が値上がりしているのである。いったい、奈良はどうなっているのだろうか。
 草津市のAスクエアを出発し、近江大橋へ続くバイパスを走り、橋の手前で国道1号線へ出た。石山の唐橋を渡り、石山寺を通り過ぎて、瀬田川を南下するルートを取った。宇治を抜けて、木津を抜けて、奈良市へと入っていった。1時間程で奈良ビブレの向かい(裏?)にあるショップに到着。
 とりあえず、各種トークン・チットを1枚ずつ購入した。アライアンスは580円程の価格で、通常380円だから随分と値上がりしている。これは買わずに、バラ売りの Clockwork Avian 4枚と Reverse Damage 1枚を買ってしまった。そして、早々にその場を退散することになった。というのも、駐車場所がなかったためだ。
 良く分からないまま石畳の路地を入り、鹿公園の中を通って帰ってきた。道路の両脇ではウジャウジャといる鹿が、一心不乱にムシャムシャと草を食べていた。中には飛び上がって松の木ををかじってるヤツもいた。うーぬ、気楽なやつらだ。その近くを4人の芸奴風の女性が歩いていたのは奈良だからだろうか?
 そして、帰りは、和束町を通る木津信楽線を使って信楽を抜けて、水口へ寄り道して帰ってきた。思ったよりも時間はかからなかった。ただ、道があまり良くはなく、山道で狭く時間がかかってしまった。それさえなければ、奈良も十分に行動範囲として通用する。信楽を抜けると渋滞もないので、その点は楽だった。道は多少クネクネとしているけれども、石山から宇治へ抜ける道よりも交通量が少ないし、スピードも出せないのでかえって良いようだ。

March 12, 1997 [晴れ]

 ようやく、「新・電子立国(1)」を読み終えた。ビル・ゲイツの幼少期から現在に至るまでのサクセスストーリーを中心に、マイクロソフトを取りまく業界の情勢も同時に進行している点が面白い。ビル・ゲイツの天才ぶりも、周りの環境や絶好の機会に寄るところが大きいことも良く分かった。
 何より、小学校にあったテレタイプを子どもたちに自由に使わせる環境があったことである。親たちがバザーを開き、コンピュータの使用料を工面する。しかし、子どもたちの行動には関与しないのである。子どもたちが夢中になってテレタイプを使ってコンピュータを操作しているのを見ても、もちろん意味など分からない。でも、それを無駄なことと子どもをしかるのではなく、子どもたちが夢中になること自体が意味のあることだと理解していた点が大きいのだ。日本人にはとうてい考えられないことである。  また、マイクロソフトを起こす際にも多くの銀行を歩き回る。アップル社もそうだが、そこに投資家など彼らのやりたいことを理解した人間に巡り会い、出資を得ることができるので会う。これも日本ではあり得ないことだ。特に銀行などは人に金を貸すのではなく、土地や建物という物にしかお金を貸さない。彼らにとっては人間よりも物が大切なのである。
 ビル・ゲイツの成功は回りの人間が次から次へと後押ししているようであった。それに比べて、日本は前に前進しようとする人を押さえることしかできないという、大きな隔たりを感じるに至った。
 アップルやIBMがパソコンを生み出していく過程も非常に興味深く、以外と多くの人が楽しめる本だと思う。

March 3, 1997 [晴れ]

 昨日の夜で「新・電子立国(4)ビデオゲーム・巨富の攻防」を読み終えた。久々の読書であった。NHKでテレビ放送したものを原稿にしたものだが、放送を見ていなかったので、本屋で気になって買ってしまった。
 買う前にちらちらと中を見たが、アタリやハドソン、タイトー、任天堂などの名前があり、パソコンを始めた頃の話題が詰まっていた。
 実際にゲーム産業の始まる前段階から、その黎明期の日本とアメリカ、そして現在に続く市場の情勢までを実際に関わった人たちへのインタビューで綴っている。
 私自身、パソコンを勉強しようと思ったのが、昭和56年、小学校6年生の時だ。翌年の1月にお年玉を兄弟の分もかき集めてNECのPC−6001を買った。そんな時代の中、昭和47年にアタリ社が生まれた。アタリと言っても、日本では馴染みが少ないと思う。実際にそのゲーム機を見たことのある人はどれだけいるだろうか。私自身は小学校の2年生の時(昭和53年)に実は家で遊んでいたのだ。弟がスーパーの福引きで1等を当てたのだ。それが、アタリの家庭用ゲーム機だった。それが、コンピュータゲームとの初めての出会いである。
 そのゲーム機はオレンジの箱形で、テレビにつないで画面を映した。本体に2つの回転ダイヤルが付いていて、2人で遊ぶことができた。ゲームの種類は3・4種類だったと思う。ダイヤルで縦長の白い矩形を上下に動かし、飛んでくるボールを打ち返すのである。それを左右のプレイヤーで跳ね返し、ボールを返せないと点数を取られる。これが、「テニス」ゲームだった。
 その時代からすると今のゲームソフトは芸術作品である。ひとりで、こちょこちょとベーシックでゲームを作って遊んでいた頃の苦労を思うと、今や絶対にゲームを作ることはできない。何せ、ゲームのコンセプト作り、ストーリー、グラフィック、音楽、効果音、そして、プログラミングができないと今や一人前のゲームソフトではない。映画の様にいくつかの才能が寄り集まってできているのだ。
 その点、ホームページはまだ、楽だ。作業は文字が中心で、レイアウトに使用するタグの位置さえ理解すれば、間違いなくそれを他人に見てもらえる。また、デジタルカメラやフリー素材を利用すれば、アイコンや写真なども簡単に加えることができる。エンターテイメント性は少ないものの、利用者はコンピュータと向き合っているのではなく、そこにホームページを制作した人の人間像を見ることができるのである。インターネットは決して、コンピュータを相手に戯れているのではなく、その先に存在する隣人とのコミュニケーションなのだ。
 それはさておいて、ゲームデザイナーを目指したい人やその業界を垣間見たい人は是非手に取って欲しい。人間の遊びに対するアイデアの戦争がそこにある。

February 26, 1997 [晴れ]

 今日は石山(大津市)の「アル・デンテ」に行った。休みだった。ちゃんちゃん・・・である。
 しかし、それでは終わらない。途中で新しいイタリアン・レストランを見つけた。ロイヤルオークホテルの並びを北へ200m程の新しいビルに「ヴィラ・ガリチ(Villa Galicci)」があった。ビルの1階に大きなガラス張りで、外には白いテーブルが並んでいる。お昼時で、お客も結構入っていた。
 メニューを見るとパスタが8種。ピッツァも8種。リゾットは3種。そして、前菜(アンティパスト)が12種ある。で、ランチはパスタ(\1500)、ピッツァ(\1600)、リゾット(\1800)の3タイプ。それぞれ、サラダ、デザート、コーヒーが付いている。
 まず、驚いたのはメニューと一緒に伝票を置いていったことだ。ここに書いて置いてくれと言う。そして、私はモツァレラチーズとチキンを使ったピッツァランチ、友達がパスタランチを書き込んだ。
 そして、待つこと5分程で、まず、パスタとピッツァが出てきた。いくら何でも早すぎるくらいである。おろ、サラダが出てないぞ。といいつつも、昔のLPレコード大のピッツァを眺めていた。紙のように薄いピッツァの話を何かで読んだが、このようなものをいうのだろう。カリカリで、2mm程の厚みである。この薄くて大きなピッツァは、4等分に切られていた。大きすぎる。テーブルにあるナイフではまったく切れなかった。しかたなく、半分に折ってしまい。具を中に閉じこめてかじるしかなかった。
 ここで気が付いたのだが、お手拭き(おしぼり)がないのである。素手で食べる料理なのにいかにも不具合である。店員に言うと、テーブルにある膝掛けの紙しかないので、何枚かいりますか?というのである。ないと言われりゃ仕方がない。まあ、入店して真っ先にトイレを使ったので手は洗っていた。そのトイレも電気が自動で点くのでスイッチがない。それも中に入らないと電気が点かないので、何か不安である。
 まあ、それはさておき、ピッツァの方は美味しかった。具は至ってシンプル。トマトとチーズ、そして、薄いチキンである。生地が薄い分、具との割合が高いのであろう。オリーブオイルもたっぷりかかっており、手に取ると流れ落ちてくる。やはり、手が汚れるのは気になってしまう。紙の布巾ではどうにも綺麗に油が落ちない。まだ、サラサラしたオリーブオイルだからべたつくことはないが・・・
 途中、サラダが出た。3種程の生野菜にビネガー風のドレッシングがかかっている。そして、後はデザート。ムースのようなものにブルーベリーのソースがかかっている。2口で終わりだ。コーヒーは小さなデミタス。ここで、ミルクをちょっとこぼした。ピッツァと一緒に紙の布巾もなくなったので拭くものがない。
 どうも、この店はお客への愛情が少ない。トイレで手を洗ってから、伝票を取ってレジへ行ったが、見ると客に書かせた伝票の上に別の伝票をつけて、店員が伝票を書いているのだ。何だかあきれた気持ちだ。そして、支払いの段になり、別に支払うからと言って、ピッツァだよと言っているのに、先にパスタをやらせてくれと言って、パスタの値段をレジに打ってしまっている。これには腹が立った。ここまで、自分勝手に自分のペースでやられたのでは二度と世話にはなりたくない。味は良かったとしても、自分たちの立場で接客してばかりでは、客に食わしてやってると言ってるようなものだ。しかも、カチンときたのは全部同じ店員であった。一応、フロアチーフのようである。
 店の作りで言うと、床を沈めて作っているので、客のテーブルがガラス越しの歩道と同じ高さだ。前面を道路工事しているとはいえ、角地にあるため側面は多少の人の往来がある。外から見降ろされるのもいい気持ちではない。ガラスの下部を磨りガラスにすればまだ、良かったろう。本当は外に花壇を作って歩道との間を作ったほうが良かった。

このビルの隣には「Vee-Vase」の入ったビルが並んでいる。近江八幡にあった手作りと輸入の家具屋の新店舗だ。ここも水曜日は定休日のようで、残念ながら開いていなかった。この後は、トイザラスの2階にある三洋堂書店に立ち寄った。ここで、「VIVA LA PASTA」というカラー写真の入ったパスタの本を買った。装丁も大きさもおしゃれな一冊だ。いつか、これを見てパスタソースを作ってやるぞ。

February 23, 1997 [晴れ]

 今日は大津市の堅田にて M:TG のトーナメントが開かれた。良く行く地元のゲームショップが主催での初めてのトーナメントだった。そのお店は元々ファミコン、プレイステーションなどのゲーム機用のソフトを扱うお店だが、Magic のカードを置いて徐々に売り上げを伸ばすと、いつの間にか30種程のコレクタブル・カードゲームを扱う様になってしまっていた。
 私自身も今まで参加した中では最大のトーナメントだ。と言っても30人程だが・・・。ともかく、県内の各地からプレイヤーが集まった。いつも、水口でやる甲賀トーナメントで会う面々も多数参加していて、初めからリラックスムードだ。しかし、始まってすぐにそうも言っていられなくなった。
 私が優勝候補と睨んでいた川嶋君と1回戦で当たることになったからだ。これは手痛い。昨晩、30分で改造したデッキでは対抗できそうもない。最後まで思案して、若干の修正をしたものの、見事に玉砕してしまった。しかし、高校の後輩である川嶋君が結局は優勝したのでめでたしではある。
 また、カードの交換(トレード)も多く行われていたが、私は肝心なものを忘れてしまい、あまりトレードできなかった。最近はプレイする機会が減ってしまい、また、ホームページの更新に時間を割いているので、余りカードの整理や研究が進まなくなった。年末から4BOXのカードが未整理のまま残っている。
 それに、Black Lotus を $300 で買うかどうかも悩みの種だ。1枚30円程のカードが、その入手の難しさや、人気の高さによって高値になるが、現在のレートで36000円程の値が付くとおいそれとは手が出ない。しかし、まあ、日本とアメリカでは随分と違う。向こうで実質 $60 ドルのカードセットが日本では定価のままで 17000円もする。これに関しては国内の総代理店が圧力をかけているとして独禁法違反で調査を受けている。遊びにもお金がかかり、大人の遊びのようになっているが、じわじわと子どもの遊べるカードゲームも出てきている。また、Magic そのものも昨年日本語版が発売され、プロトーナメントが賞金総額 $10,000 で開催されるなど賑わいを見せている。今年は $20,000 のプロツアーに日本もプロトーナメントを行って参加する。この盛り上がりに水を差さないように、メーカーも代理店も気を付けて欲しいものである。自らの首を絞めないように。
 しかし、メーカーにも文句を一つ。カードを次から次へと出しすぎだ。新しいカードが出ると、ルールも変わり、また、使えるカードも新しいものばかりになるので、結局は大量に早くカードを手に入れないとゲームに勝てないようになる。もちろん、それだけではないが、自動的に自分の使っているカードが古くなり、トーナメントでは使用禁止にされていくのでどうしようもないのだ。これはメーカーの売りたい姿勢ばかりが、目に付いてしまう。いくら賞金を上げたって、一般のプレイヤーにその負担が行くようでは、長続きしない。まるで、借金を増税で賄うしか脳がないどこかの国のようである。ああ、ここか・・・。

February 21, 1997 [晴れ時々曇りのち雪]

 日本の行政はいつまで経っても口先だけで、国民のためでなく大企業のためにだけ機能している。寄らば大樹の陰で、大樹を守るためには個人を捨てる。
 今日のニュースの中で投稿者の弁「個人が裏金を作れば、業務上横領で犯罪なのに、役所が組織的に行うと犯罪にならない。裏金作りと呼ばずに集団横領と呼べばどうか」と言うのだ。まさに、その通りである。個人は罰しても、組織は罰せない。というより、責任をトップが取らないのである。それだけでなく、批判を消すことに一生懸命で、本当に罪を償おうという意識がないのだ。
 企業もそうだ。使い捨ての文化を作っているのは間違いなく日本の大企業の姿勢である。商品を次から次へと売るために、修理して使うことをさせない。それがどれだけの環境問題を引き起こし、現在と将来の人々に迷惑をかけているのか。
 企業倫理などというが、日本人そのものに倫理感が薄いのだ。だから、全てにおいて筋の通ったことができない。例えばテレビを見ても分かるではないか。タレントが犯罪を遊びのように笑って自慢する。公共電波が平然と倫理をないがしろにしている。
 そのうち、人の顔を見ても「おはよう」「ありがとう」の言えない国民が大量生産されていく。何もかも変革のときが必要なのである。旧態依然の国会組織が日本の頂点にあることが、全ての縮図なのかもしれない。

February 20, 1997 [晴れ]

 今日は草津市のAスクエアにある「ジォルナータ」へ行った。夕方であったが、相変わらず盛況で、半分以上の席が女性客で埋まっていた。
 前菜が20種ほどあるのに対し、パスタは5種ほど。価格も1200円前後だ。コースは3500円と5000円があった。店の中はおしゃべりの声でにぎやかだ。かえって気兼ねなく話をしながら食べられる。静かに食べたい人向きではないが、緊張して食べるよりはましだ。
 「フェットチーネ」(\1300)とカフェ・オ・レがないので「マイルドエスプレッソ」(\400)にした。フェットチーネとは平べったいパスタである。それにさやえんどうと角棒状にしたベーコン、松の実が入ってチーズの味がするソースであえている。色合いに緑の細かいヤツが入ってる。あと、鷹の爪が1本入っていた。
 ベーコンはカリッとボリュームがあった。松の実も見た目はトウモロコシの粒ですが、表面はカリッとして中はサクッと豆のようで面白い。ただ、チーズは好きでないので、ちょっとつらかったか。まだ、本格的なチーズの味でなかったので何とか最後まで食べることができた。
 エスプレッソは透明な大きめのカップででてきた。ほとんどチョコレートのような色で、表面は細かな泡で覆われている。砂糖を入れてもちょっとやそっとじゃ甘くならない。
 そうこうしている内に、隣に子ども連れのお母さんお婆ちゃんがきてうるさくなった。ゆっくりとコーヒーを飲みたかったのに残念だ。

February 19, 1997 [曇り]

 午後から念願の「琵琶湖博物館」へ行って来た。あまり時間がなかったので駆け足で見ることにした。
 車で草津市の烏丸半島へ行き、そこにある駐車場を利用する。博物館を利用すれば500円の駐車料は無料だ。そして、博物館の入場料も500円。入り口を入った受付で拝観者のステッカーをもらい、それを服に張り付ける。中に喫茶やグッズショップがあるので、展示室の利用者と分かるようにするためのようだ。なんかこういうのって恥ずかしいものだ。
 館内は3つのゾーンに分けられている。「琵琶湖のおいたち」のA展示室には化石の標本が所狭しと並んでいた。また、顕微鏡を覗いたりや魚の解剖を見ることのできる部屋もあった。まあ、あまり興味を引くものはなかった。
 次に「人と琵琶湖の歴史」のB展示室へ行く。ここはもっと早く素通りした。細々とした話題が次から次へと並んでいて、いったい何がどういうことだか分からない。化石の発掘の話があったと思うと、昔の船の輸送量のグラフがあったり、昔の食事を再現していたり、どこでどう繋がっているのかが良く分からなかった。
 ここまで足早にきて、次は「湖の環境と人びとのくらし」のC展示室前半だ。ここが以外に面白かった。まず最初に、床に滋賀県の大きな衛星写真がある。そこでワゴンの形をしたルーぺを使い、好きなところを拡大してのぞけるのである。また、壁の展示には多くの人が立ち止まって見ていた。そこには昭和30年代からの暮らしぶりの辺かを当時をしのぶ品々で展示していたのだ。映画のポスター、レコードのジャケット。そして、おもちゃの数々。ゴレンジャーの超合金には笑ってしまった。マジンガーZのおもちゃも昔を思い出させたが、鉄腕アトムのビニールの人形も時代を感じさせる。また、家電製品も並んでいた。昔のトースターも懐かしいばかりである。
 その次のスペースも実に面白かった。田舎の農家を再現したセットである。しかし、そこには田舎の土のにおいがあった。本当ににおいがするほど、それらは本物だったのだ。鶏小屋、汲み取りトイレ、表札や牛乳入れの箱、家の中にも昔のテレビが置いてあった。
 その後はいろんな動植物を展示したスペースだった。また、ここもどれをテーマに見ていいものか分からない状態で、いろいろなものが入り組んで設置されていた。小学校の自由研究を集めたような場所である。きっと、目的を持って見れば楽しい空間であろう。例えば、みみずが巣を作る様子を飼育箱で見たり、蝶やは虫類の標本があったり、環境問題のちょっとした見方を教えてくれたり、蛍のことや水のことなどいろいろなことをテーマとしていた。ビデオやコンピュータなどの機材を多く配置しているのでじっくりと勉強したい人向きである。特に小学生が自由研究の課題を決めるにはもってこいだ。
 さて、C展示室の後半は「淡水の生き物たち」ということで水族館になっている。まず初めに、水槽の中を突き抜いたチューブを通る。右も左も上にも魚が泳いでいる。しかし、10m程の長さしかない。ちょっと残念だ。しかし、淡水魚というのは非常に地味である。みな、同じ濃い灰色をしていて、釣りもしないし、魚も見分けられない素人には、全部同じ魚に見える。分かるのは、大きいなとか、いっぱいいるなということくらい。それにしても、水槽が小さくないかな?魚が群をなして泳いでいるのは壮観だが、水槽の半分が魚で埋まっているように見える。たまに、魚がいるのかいないのか分からないのもあるけど。でも、思った以上に距離があり、見応えのある水族館だ。「海遊館」のような派手さはないが、本当に研究者が自分の好きなように作っている感じがした。
 たしかに建設費230億円をかけている感じがする。あれだけ魚がいたら餌代も馬鹿にならんだろう。それと、カメラで撮影している人が何人かいたが、館内で、ことに展示室の入り口で使い捨てカメラの自販機を見たが、そこまでしていいのか?とも思った。さすがに、水槽はフラッシュ禁止だが、参加型の展示が多いことを考えれば当然のことかもしれない。
 琵琶湖のことをもっと知りたい、小学生の子どもがいる、魚が大好きという方には是非とも良いのではないでしょうか。そうでなくても、500円以上の価値はある。

February 18, 1997 [曇り]

 毎日、必死になって「ファイナル・ファンタジー VII」をやっている。ようやく2枚目のCDに入ったけど、3枚もあるこのゲーム、まだまだ先が分からない。
 このFF7はただ、枚数が多いだけでなく、内容もしっかりと充実している。また、ところどころにあるミニゲームもクオリティが高い。バイクで走りながら敵のバイクを攻撃するゲームもスピーディでスムーズ、スノーボードでコースを駆け下りるのも超ロングコースで動きも良くできている。しかし、突然始まるので、どうするのか一瞬戸惑ってしまう。でも、戸惑ってる場合じゃないけど・・・。ゲーム中のゲーセンでまた遊べるところが良い。隅々に手抜きをせず、それぞれが高い技術の元で作成されていることが分かる。
 ゲームの展開も意外な展開が次々と起こり、グラフィックも盛りだくさんだ。プロジェクターを使って100インチの画面で遊ぶと召喚魔法の迫力が倍増する。ソニーの7万円のプロジェクターだが映画・ゲームに使うとやっぱり迫力が違う。
  ともかく、今のレベルは55。まだまだ、これからだ。

February 13, 1997 [晴れ]

 「ラ・クレマンティーヌ」で久々にディナーを食べた。メニューが若干変更されており、ランチも1700円と2500円になり、ディナーは4000円と7000円になっていた。
 ここは4000円にする。前菜・パスタ・魚・肉・デザート&コーヒーと重量感はあった。
 前菜は「白子のフライヤーとサラダ」だ。お酢が苦手であるが、サラダにかかっていたドレッシングが私には酸っぱすぎた。ちょっと食べられなかった。ちなみに、うめぼし、ヨーグルト、納豆、チーズもダメである。ついでに、明太子、いくら、たらこもダメだ。白子もちょっと普通では食べられない。しかし、この白子を衣でからっと揚げたものはとても美味しかった。薄い皮の中にはとろっととろけるクリームコロッケのような白子である。塩で味が付けられていて、意外なうまさだ。
 次にパスタ。「キノコと生ハム・ベーコンのパスタ」だった。これはホワイトソースのかかった平たいパスタである。オーソドックスな味ではないだろうか。具は好みのものばかりで良い。
 魚は「カワハギのムニエル」だ。赤ワインで甘く味付けをしている。白身がほっこりとして良い。
 肉は「骨付きラム」だ。見事に赤いラムはとても柔らかく香辛料を効かしていた。味付けは良く分からないが、結構手の込んだものではないだろうか。また、添え物のポテトも美味しい。短冊に小さく細切れにしたポテトを丸く焼いて4等分に切ったもので、コショウで味付けされていた。
 デザートは3種。洋なしのタルトチーズを使ったムースジャスミンティのプリンにはカラメルで表面を焼いていた。飲み物はエスプレッソにした。
 今日は幼なじみに10年振りに会った。やはり積もり積もった話は果てしなく続く。そこで、京都で食事をしながら昔話に花を咲かせたわけだが、やはり、同級生というのは肩が凝らなくて良い。言いたいことも何でも忌憚なく言えるし、冗談も本当に冗談として通用する。こんな楽な会話も久々な気がした。

February 8, 1997 [晴れ]

 さて、”おかま”というのは何だ?なんだろうか?車が前の車に当たる事故である。しかし、どうして「おかま」なのだろう。
 もちろん、その意味を問うのではない。車のおケツに後ろから突っ込むからである。だからそういうことだ。それで良いのだ。いや、良くないのだ。どうして、みんな平気な顔で「おかま」という例えができるのだろうか?
 よくよく考えると、どうにも例えがよろしくない。追突事故で良いんだよね。そうなんだけど、それでみんなに伝わるのだろうか?衝突事故ではない、追突事故だ。辞書にも「後ろから当たること」とある。
 昨晩も、追突事故を見た。最近、立て続けに事故が起こっている。先日は死亡者が出た。それも、真っ直ぐな道で、歩道の外の電柱に当たってだ。どの事故も、スピードの出し過ぎが原因である。単純なことだが、スピードを遵守することが、注意力を増し、緊張を解き、気持ちの余裕を生むのである。
 ときには、知らない町、田舎の風景、静かな林道の中をゆっくりと走ってみるのも良い。しかし、いつもの道もゆっくりと走ってみると、また違う風景が見えるものである。心のせわしなさに隠れていたものが見えてくるのだ。

February 5, 1997 [やや曇り]

 今日は琵琶湖博物館へ行くつもりが、寄り道をして間に合わなくなってしまった。これはまた来週にしよう。
 帰りに夕食のため「ポポラーレ」に寄った。18時30分だが、相変わらず空いている。1組が奥のテーブルにいた。まあ、これがいいのだ。しかし、シェフが二名でウェイトレス三名は多すぎではないか?その後、3組のお客があったので良しとしよう。
 最近、ピッツァが妙に食べたいので、今回は「トマトとサラミのピッツァ」(\850)と「カフェ・オ・レ」(\400)にした。やっぱ、ピッツァは出来立てが良い。ピッツァに限らないか・・・。
 スタンダードなピッツァであった。大きさは10inch(22cm)くらいか。先日の「ジオ・ジオーノ」は15inch(35cm)、「イタリ・キタリ」は8inch(18cm)くらいだった。サラミはあまり目立たなかったが、トマトとチーズが良かったのだろう。熱々は上手に持てないけど、また食べたいと思ったことは間違いない。でも、ピッツァは3・4種類なので、ちょっと寂しいかな。

February 4, 1997 [雪のち曇り]

 今日は昨日からの税務調査が続き、とうとう完了せずに持ち越すことになってしまった。税務署の役人も大変ですね。
 それは、別にして今日はお昼に菩提寺唯一のイタリアンレストラン「イタリ・キタリ」へ行った。今回で2回目となる。
 お店そのものは小さく、道路沿いにしては静かである。駐車場が舗装していないのと、溝ブタが完全にされてないので、夜は気を付けないといけない。
 で、前回は鮭を使ったパスタだったので、今回はオーソドックスに行くことにした。トマトのミートソースに牛肉の入ったパスタ(880円位)にした。それと、牡蛎のピッツァ(880円)、カフェ・オ・レ(500円位)だ。ここで、注意。この店は注文して物が出てくるまでが結構長い30分以上は待たされるだろう。また、混んでいて入れないということはない。一番気を付けないといけないのが、13才未満の入店禁止である。家族連れはこの点に注意が必要だ。
 まず、牡蛎のピッツァは美味しかった。やっぱり、焼き立ての熱々ピッツァは良い。牡蛎も瑞々しくて美味しかった。ここのパスタはやや細目で、つるっとした感触である。腰があるのか、なかなかフォークだけで巻き取るのは大変である。味は悪くないが、もう少し濃くてもいいかもしれない。小さな牛肉の切れ端が入っていたが、これだけ別の味付けのような感じで、甘い感じであった。カフェ・オ・レのカップは普通のサイズより一回り小さい。デミタスよりは大きい。
 味は文句はないが、やはり出てくる時間が長すぎて、12時過ぎに店にはいると13時に帰ろうと思うと、来た物を急いで食べて、とっとと帰るしかない。その後は、食べ過ぎてなんだかお腹がもたれてしまった。ちなみに、ピッツァは2人で分けた。

January 31, 1997 [晴れ]

 今日、カロリーメイトが一箱届いた。一箱といっても2本入りの箱が60個入った段ボール箱だ。
 これは何かというと、インターネットで行われた「電脳学園祭」で当てたのだ。アンケートみたいなフォームに書き込んだら、昨年末に当選のメールが届いたのだ。それが今日やってきたという訳。
 大塚製薬から直送されたその箱を開けると、出るわ出るわの黄色い箱、箱、箱・・・。誰が食うねん!と、叫びたくなるくらいである。しかも、これは栄養食だからあまりバリバリ食べる物ではない。カロリーメイトをダイエット食と勘違いしている人もいるが、大きな間違い。こればっかり食べてると太ってしまう。病気などの食の細い時に食べると良いと思う。
 チョコレート味のカロリーメイトは5箱づつ分けた。みんな嫌がるなよ。まあ、プレーンはチーズみたいで嫌だけど、これは甘くもないしいけるよ。あのフルーツ味はお菓子みたいで好きだったけど。
 そんな訳で今日もプレゼントのページを見つけてはせっせとメールを出すのでした。

January 28, 1997 [晴れ]

 今日は珍しくもビデオを借りて、しかも邦画である。先日、テレビで伊丹十三監督の「タンポポ」を見た。私は邦画では彼の映画くらいしか見ないのであった。実に楽しい映画だった。彼の映画は娯楽として楽しめるのだ。しかし、今回は岩井俊二なのだ。話には聞いていたが、どれほどのすばらしい才能を持っているのかこの目で見たかったのである。
 基本的にみんなが良い良いという映画は見ない。上映が始まるまでに、予告を見て、映像の出来、俳優、大筋を確認して決めておく。邦画は予告の段階で、真剣に見ていないので、ほとんど上映を見たことがない。
 で、どうして、岩井俊二なのかというと、昨年の「イェン・タウン」である。実は予告の段階で非常に気になっていたのだが、邦画ということもあり、いまいち気分が乗らずにいたのだ。しかし、辛口の映画評論家が岩井俊二のことをベタボメにして、「Love Letter」の映像・演出を評価していた。これはやはり見ておくべきだと思った。
 で、とっかかりとして、「Love Letter」を選んだのだ。実に最後まで飽きさせずに見せてくれる。急展開のどんでんがえしのようなことはないが、見ていて思った以上に感情移入の出来る映画だった。また、流れるようなストーリーも初めは何が起こってるのか分からずに戸惑うが、ああ中山美穂が2人いるのかと分かってからは、心地よく見ていられるのだ。
 神戸の中山美穂が、死んだ恋人の昔の住所に手紙を書く。そして、その手紙は同姓同名の女性「藤井 樹(ふじいいつき)」の元に届くのだ。これが小樽の中山美穂である。その2人の手紙のやりとりが映画をどんどん進行させていく。そして、最後には昔の恋人のことを整理し、また、小樽では忘れていた思い出が、暖かな温もりを持ってよみがえるのだった。
 確かに初めから展開が予想できそうだったが、それを映像とテンポで見せていく。手紙を使うことでそれぞれの気持ちをはっきりと映像の中に映し出していく。それが自分の視点で見ているような気になってくるのだ。
 最近は少なくなったが、少し前までの邦画は、話題性、出演者だけで売っていた。あれが良くなかった。しかし、近年の邦画は映像も良いし、演出も良くなっている。カメラワークもそれらを見事に表現している。これから彼の映画を通して日本映画の進むべき方向が見えてくると嬉しいと思う。


 東ハト「バナナチップス」を食べた。温めたバナナを食べているような感じだ。サクッとした円形のゆがんだチップスで、昔のサツマイモスナックを思い出す形だ。今も、おさつスナックがあるけどね。どこだかのバナナチョコも美味しいよ。バナナの形をした小さな粒チョコで、小箱の角についたくちばし状の取り出し口から取って食べるのだ。お猿の絵も愛嬌あってなかなかのものである。

January 22, 1997 [雪]

 昨日夕方からの雪が積もり、今日は各交通網が乱れていた。そんな中、友人と京都へ行くことにした。
 先日、Alliances のカードが手に入らなくなったので、アメリカのメール・フレンドであるアレックスに聞いたら向こうには売っているという。そこで、日本語の4thと英語の Alliances を交換することになったのである。今までにも3度程、カードのトレードをしていたので話はスムーズに進んだ。そこで、限定版(黒枠)の4thを探しに行ったのである。
 まずは、JR京都駅を出て、駅前の「ジオ・ジオーノ」で昼食を取ることにした。ここはイタリアン・レストランで前菜を自由に取れるランチタイムがあるのだ。今日はピッツァが食べたかったので、ピッツァのランチセット(\950)にした。出てくるまでに時間がかかり、前菜とラスクやサラダを食べながら待った。15分くらいして出てきたピッツァの大皿は直径30cmはあったろう。その皿に目一杯の薄いピッツァが入っていた。オリーブオイルとタバスコがテーブルに置かれた。見た目はとてもシンプルで、特に大きな具は乗っていない。マッシュルーム、ベーコン、オリーブ、ピーマンがあったかな?でも、美味しかった。カリカリの生地を中心側から折り畳んで食べた。こうすると具がずり落ちないので食べやすいのである。
 その後、四条まで地下鉄で移動する。そこから、いったん「ジュンク堂」(本屋)へ向かった。ここに幼なじみが勤めているのだ。しかし、4thの限定版はないという。そこで、唯一の専門フロアを持った書店「(だん)」へ行く。するとあったのだ。まだ、数箱(BOX)が残っていた。しかし、英語版の Mirage や Chronicles はなくなっていた。ここは Fallen Empire は早くに売り切っているので、よもやと思ったが、京都では一番大きいので在庫もうまく残っていたのだろう。しかし、京都では定価でしか買えないのが辛い。滋賀も同じだけど、通販も安いところはないので、あきらめている。
 ジュンク堂の友人と待ち合わせてから、談の地下にある「ジロー」へ行った。ここはケーキと喫茶のお店で、シフォンケーキの種類が多く、珈琲か紅茶とのセットメニューがある。今回はチョコバナナのシフォンケーキ・セット(\900)にしてみた。とにかく、シフォンケーキはでかい。あまり、余所で食べたことがないが、普通のショートケーキの倍の大きさに切り分けられている。また、珈琲も2杯分の入ったポットで出てきた。このチョコバナナというやつは、チョコレートのシフォンケーキにバナナと生クリームを挟み込み、回りも生クリームで覆ったものを切り分けているのだ。甘くないのと、スポンジの中に空気孔が多くあいているので、お腹も膨れないで時間を掛けて食べられる。
 それから、藤井大丸で時計を見て、寺町をうろついて帰ってきた。京都駅のホームは満杯で、電車が軒並み遅れていた。すぐに来た普通電車に乗れたので以外に楽に戻ってこれた。
 昼以降は雪もほとんど降らなかったようで、車上の雪も数センチしかなかった。今回の雪はこれで降らないようだが、菩提寺の雪はすぐにはなくならない。特にサイドタウンの雪は1週間以上残るだろう。

January 18, 1997 [晴れ]

 「おばはん、ええかげんにしいや」
 今日、仕事の帰りに本屋に寄ったが、車で駐車場を出るとときにおばさんドライバーが曲がりきれずに俺の前で車を止めた。本来なら車の右をすり抜けているはずだ。仕方ないのでバックするが、礼の一つもできない。そして、続く車のおはさんも曲がりきれないで、駐車場に入れないでいる。どけ!じゃまじゃ!こうして怒りが爆発するのだ。
 先日もそうだ。交差点を曲がったところ、右折レーンに入るために信号で停車する車を追い越して正面から軽自動車が走ってくる。あわててあぜに避けて、元に戻ったところへ、もう一台の軽自動車が突っ込んでくる。これは間一髪であった。こら!おばはん!死にたいんか!
 これは、おばはんドライバーへの偏見ではない、事実である。あれが、典型的な日本人を作っているのだ。先日も若い連中のマナーが悪いと言ったが、おばはんもたちが悪い。おのれらが馬鹿な若者を作っとるんじゃ!
 「くそばばあ、ええかげんにせえよ!」

January 10, 1997 [曇り]

 今日、テレビで映画「シンドラーのリスト」が放送された。現時点(11:50)では途中であるが、私が初めてこれを見たのは、1年半ほど前である。ビデオを借りてこの作品を見終えたとき、どれほどの感動を覚えただろうか。また、オスカー・シンドラーの名を知らなかったことを恥ずかしいとさえ思った。
 彼は全財産をなげうって、自社工場で働くユダヤ人労働者1200人をアウシュビッツから救ったのである。何故、そのような立派な人物の名前を私たちは知らなかったのだろうか?スティーブン・スピルバーグが生涯をかけて作りたかったと言った映画だけあって、その作り方もすばらしいのだが、何よりもそこにあるすべてが、第2次大戦中の事実であるということが大切なのだ。今更、戦争云々は言わないが、せめてこの映画だけは若い間に見ておいて欲しい。
 シンドラーは引き取ったユダヤ人を砲弾の工場で雇うわけだが、この工場からは戦争に使える砲弾は出荷されなかった。そして、工場の倒産寸前に終戦を迎える。そして、戦犯となり全てを失った彼に一つの言葉が贈られる。
たった一人を救うものは、全世界を救う
 しかし、彼は最後まで「あと、たった一人だけでも救うことができたのに」と悔やむのだった。
 全世界の人々が彼の存在を知っておかねばならない。そうすれば、つまらない差別などなくなるのだから・・・。

January 8, 1997 [晴れ]

 先日購入したマックのキーボードが動かないので、代わりのものを探しに大阪は日本橋へ行くことにした。新大阪で待ち合わせ、地下鉄で恵美須町へ。早速、ソフマップへ行った。最初に行った方は中古のものばかりで、それでも1万円ほどのものだ。結構汚れていて、とりあえず後回しにする。しかし、次のソフマップに希望のタイプがあった。エルゴ・タイプのクニッと曲がったキーボードで、手前にマウスの代わりをするトラック・パッドが着いている。これで、1万円だ。前の動かないやつが、18,000円位だったから安い。純正なら40、000円するのである。
 その後、梅田へ移動し、ホビットへ行く。マジックのカードを見に行ったが、イタリア語のカードが値上がりしていた。The Dark の Booster Pack が1つ720円である。また、カードの単品もあったが、価格が適正かは分からない。
 それから、JR大阪駅前の大丸へ行き、ポールスミスの店に懐かしい顔を見に行った。彼は京都四条の大丸にいたが、昨年4月から梅田店に移動になったのだ。まあ、それだけだが、駅から駅の移動で店に行けるので、ここも良いかと思ったりする。店も前の2倍の大きさになって品揃えも良くなっていた。
 しかし、実は主目的はアップルパイだったのだ。同じ大丸の6階にある「珈琲ハウス 蘭館」はボリュームがあって安い。カフェ・オ・レ(\450)とアップルパイ(\300)が750円だ。しかも、大きめのアップルパイには生クリームが添えられている。これが淡い味で美味しいのだ。私の嫌いな干しぶどうも入っていないし、全体に甘くないのだが、生クリームと一緒に食べると何故か美味しい。ナイフとフォークで綺麗にカットして食べられるのも good である。場所が紳士売場の階なので極端な行列はできないと思うが、この日は3組が店の前で待っていた。それでも2・3分の待ち時間で入ることができた。お持ち帰りもできるので、近くへ来たら是非とも寄っていただきたい。

January 3, 1997 [晴れ]

 今日は、11月1日にオープンした大津パルコへ行く。JR膳所(ぜぜ)駅を降り、商店街の坂を下って国道161号に出る。すると目の前に西武、その左手にパルコがある。
 外はさほどではないが、中に入ると人出は多く、老若男女であふれていた。外のFM滋賀サテライトスタジオでは生放送中であったが、目的は7階の7シネマだ。ここには7つのスクリーンがあり、来客の状態に応じて劇場が入れ替わる仕組みになっている。しかし、「ファイナル・プロジェクト」「インディペンデンス・デイ」とも3時間後の上映であったため、帰ることにした。また、人気のイタリアン「カプリチョーザ」はうわさ通り行列であった。どこも満席でゆっくりと昼食を取る気分ではなかった。
 パルコは外から見ても大きくはない。そこにあれだけ人が集まるのだから、なおさら狭く感じる。5階には紀伊国屋書店Tower Records があり、両者とも県内最大の本屋とCD店であろう。Enya の過去3作をセットにした「THE ENYA COLLECTION」を買った。昨年、「ANYWHERE IS」に感激してアルバム「THE MEMORY OF TREES」を買ったのだが、調度、それまでの3枚をブックレット付きで買うことができた。また、「THE BEST OF EARTH, WIND & FIRE VOL.II」を一緒に買った。
 その後は、西武に行き、「Loft」と「無印良品」を覗いて来た。駅前に戻って、ケンタッキーフライドチキンで遅い昼食を取ってから帰ってきた。
 大津市内のJR膳所駅は新快速が止まらないので、大津駅か石山駅で普通列車に乗り換えないと降りれない。また、京都駅からは3つ目の駅ということもあり、大津パルコには約6割が京阪神からの来客だということだ。それに京都にパルコがない。若者向きのパルコであるが、今は来客層が広い。人の波が落ちついてからもう一度行ってみようと思う。

January 2, 1997 [晴れ]

 今日は、金閣寺(鹿苑寺)へ行く。京都駅前の「プチ・コアン」(京都タワー地下)で昼食を食べてから行ったが、ビーフカレーが880円(普段は\750)とさりげなく正月料金になっていた。さすが、京都の商売人である。
 金閣寺は拝観料400円とお安い。その上、入場券が家内安全のお札になっているのだ。さすがに、観光客が多かったが、陽光に照らされる金閣はきらびやかでありながら荘厳で美しい。これぞ、京都の絶景である。しかし、昨年よりも人が多かった。夕佳亭が工事の囲いの中にあって見れなかった。また、出口の手前に休憩所ができて、名物のお茶を売っていた。去年はなかった名物が誕生していたのは何故だろうか。
 交通費をまとめると、JR京都駅から市営地下鉄で北大路まで230円、バスターミナルから市営バスで220円だ。そして、拝観料が400円だから手軽に京都の美を楽しめるのである。