CyberDiary

December 30, 1997 [曇り]

 今日はバイオハザードの攻略3回目であった。3時間を切るために攻略ページを探して参考にし、遂に2時間43分でクリア。しかし、同じゲームを良く何回も遊べるなぁと思った。元来、私はそんなことはしないのだ。よっぽど暇だったのか、バイオハザードの出来が良いのか。
 それよりも、何よりも同じゲーム中で無駄に時間を費やすことほど嫌いなことはない。やられて、また元からやり直すのも時間の無駄だ。最近は1回の戦闘で30分以上を費やすRPGも少なくない。結果が見えているのに、どうして機械相手に根気を見せねばならないのか。同じボタンを押しているだけでも疲れるのだ。
 今、サガ・フロンティアをやっている。いきなり敵が強くて困る。カブトムシは回復するし、能力も増強するし、嫌なヤツだ。粘って魔法が使えなくなった所から少しずつダメージを与えるのだが、同じ作業の繰り返しが30分以上続いた。
 そして、巨大スライムの前でなすすべなく困っている。何をやっても生き返るし、攻撃以外の触るというコマンドを使うようだが。まったく、変化がない。30分も同じことをしているのにだ。これを無駄と言わんのか。楽しくも何ともない。買った以上はそれを無駄にしないために遊ぶわけだが。時間を無駄にされるとこれ以上に腹の立つことはない。
 やい!スクエア!調子に乗ってんじゃねえ!

 ふっと、気が付くと30日だった。ああ、今年もあと1日であった。

December 28, 1997 [晴れ]

 せっかく菩提寺までコーヒーを飲みに行ったのに休みだった。
 昼飯を食べてから、草津へ向かった。ジーンズとスニーカーを買いに行ったが、サイズがなかった。
 電気屋で、ビデオ画像と音声をコードレスで飛ばしてしまうAVコードレスシステム(ソニー、\10800)を買ってきた。
 映像出力側には、LD、PS、サターンがある。入力側にはテレビ、コンポ、ビデオプロジェクター、マック(キャプチャー)があるのだ。
 1セットくらいではどうにもならないが、部屋の端々にケーブルを引かなくて良いようにしたい。とりあえず、AV切替器も使ってすっきりとしたレイアウトを完成させよう。

December 27, 1997 [晴れ]

 今日は久々に京都へ出た。
 京都駅ビルの中にある「ビバビバ」というパスタの店に入った。ランチ(\1000)はパスタとピッツァとドリンクのセットにした。まあ、大したことはない。
 その後、四条に出て買い物をした。大丸へ寄って、それから寺町を上に歩いた。
 三条にあるフライドチキンのお店に入った。新手のアメリカ系ファーストフードのようだった。
 チキンを食べてから、さらに寺町を上に行き、本能寺の前を通って御池に出た。京都市役所前の地下街「ゼスト御池」へ行く。30店舗程のある小さな地下街で、他の場所と比べるとかなり人出が少ない。
 地下街から木屋町に出て、今度は四条まで下る。そこから烏丸方面へ歩いて、ジローでシフォンケーキ(\900)を食った。相変わらずでかい。
 歩き回って足がだるくなった。

December 25, 1997 [晴れ]

 今日で仕事は終わり。忘年会は久々に「徳志満」で焼き肉だ。
 帰りが遅くはなったが、みんなの本音が吐き出されて良かったのではないか。
 特に社長を交えてのこういう席は年間でも1・2回しかないのは問題であった。そのために底辺部分での人間関係ができあがらないのである。
 仕事上での人間関係はやはり表面的なモノだ。仕事外の時間を共有し、会食することはお互いの内部の話を引き出すことができて、スムーズな人間関係を作る糧となる。
 社長には色々うるさく苦言を呈しているが、それをしっかりと自問してくれる社長は偉い。しかし、しっかりしてくださいよ。社長あっての会社でないと、看板のない会社になってしまいます。
 「王佐の才」を目指していますので、これからも苦言を述べ、甘言はいたしませんので。

December 24, 1997 [晴れ]

 住民投票をやって反対が過半数を越えたというのに、その意見を無視した決定を行い、なおかつ市長職を明日で辞めるなどというのは無責任にも程がある。
 やるなら最後まで責任を持つべきだし、辞めるのなら住民の意志に従ってからのすべきである。
 辞めるというのは責任を果たすことではなく、責任を放置する行為だ。政治家はそれを履き違えている。辞めて良いのは罰則を受ける場合だけだ。
 市長としての責務を果たせなかった処罰を甘受し、一市民として自分の決定したことを推進する努力をして欲しい。そこまですれば矛盾もなくなるだろう。

December 23, 1997 [晴れのち曇り]

 うっ、お腹が痛い・・・
 責任を取るのは政治家の最大の仕事ではないか。今更、取り繕って問題を先送りにしても、誰も責任を取らない。
 馬鹿なヤツらのことを考えるときりがない。頭が痛い。

December 21, 1997 [曇り]

 伊丹十三監督が自殺した。とても信じられない。
 スランプに悩んでの末とも噂されているが、果たしてそうなのだろうか。映画「マルタイの女」の撮影後、暴漢に襲われて入院した後も精力的に良い映画を作ってきた。その黒い影が再び彼の身を襲ったのだろうか。
 日本映画の中では唯一、期待をして見ることのできる映画は彼の映画だけだ。それも、時間潰しではなく、新しい映画の在り方を見せてくれた。ああ、こんな映画もあるんだと、毎回感じることができた。
 それだけに、彼は次はもっとと思っていたのだろうか。きっとそんな気負いはなかったと思う。彼が普通に行ったことが、我々にとって新鮮だったのであって、彼は特別なことをした積もりはなかったのではないか。
 今、これを伝えたい、これが撮っていて面白い世界なのだと感じるままに映画を作っていたはずだ。そうやって、特別な業界内部をコミカルに躍動的に描いて見せた。決して、片意地を張っていたわけではない。使命感があったとしたら、スランプに悩む必要はない。時間は十分にあったのだから。
 ともかく、日本映画の巨星が一つ消え失せたことは残念でならない。

December 19, 1997 [晴れ]

 年賀状を書く枚数が次第に減っている。
 そもそも、筆無精である。しかし、パソコンで年賀状を作るのも面倒である。
 昨年からインターネットで年賀状を送るようになり、今年も早々に年賀状サイトを利用した。大した景品はないが、それでも一つの楽しみがある。また、同時に幾人かに送れるので楽なのだ。
 その楽した分、ホームページの冬支度、クリスマスのデコレーション、正月の挨拶と考えを巡らせた。
 結局、会社のホームページは、日曜日に壁紙が雪景色になるようにした。クリスマスまではトップ画面にリースが飾られる。そして、正月には年賀状を画面に表示するように JavaScript を使ってカレンダーに連動するように自動化した。
 そうなると、その年賀状を実際にも使えるので、年賀状まで出来てしまった。
 パスタを黒い盆に並べて数字を作り、デジカメで撮影。部屋にある置物もセピア調で撮った。それらをレタッチで合成し、文字や光の効果を入れて出来上がりだ。
 デジカメを使ったら人文字でも簡単に年賀状に張れるぞ。これは便利だな。
 しかし、問題は印刷能力。安いプリンタではどうにもならない。せっかく色調補正してコントラストを上げたパスタが汚くなっては面白くない。
 そういえば、年賀状も買ってなかったっけ。

December 18, 1997 [曇り]

 16日の夜、ポケモンのTV放送を見て、子供らが病院に運ばれたニュースが流れ、夜が更けるにつれ数が400人を越えた。
 録画のビデオを見て大人まで失神してしまったという。
 うーん、昨日は冗談でポケモンのビデオを見て、誰が最後まで生き残るかサバイバルができるなと言ってたが、笑えない状況だ。
 かといって、ポケモンという商品が悪い訳じゃないし、それの魅力は知らないけど、子供の楽しみを奪う結果だけは避けていただきたいものだ。

December 17, 1997 [雨]

 久々に草津のジョルナータでランチを食べた。
 松の実が好きなので、ボロネーゼをあきらめて「松の実とベーコンの軽いクリームソース」(\1000)とやらにした。
 ソースというより、牛乳のようなスープ上で、松の実がオイルに包まれて浮いていた。どうも、パスタが伸びてしまっていてフニャフニャになっていた。これはイカン。
 野菜は相変わらず大盛りで、パンも何故か2つもあった。パンは残して持って帰ってきた。
 しかし、どうにもあのパスタは納得行かず店員に言ったら、ちゃんと頭を下げて応対したので気分は悪くない。
 まあ、これで次もう一度行こうという気になるのであった。

 実は、カーナビ(ケンウッド)が完全に動かなくなった。電源ランプはついているのだが、画面はおろかCDを出すことすらできない有様。修理と点検に出してからひと月も経っていない。
 それを見てもらうために草津まで行ったわけだが、問題は解決せず、全部取り外した。また、2・3週間後に行くことになる。ああ、どうなってんだケンウッド!

 先日、注文したマジックのカードはブースターのつもりが、スターターを3箱注文していた。開けてビックリである。ああ、何だか全てが悪い方へ向かっているようで怖い。
 日本の行方より身近な問題が重く感じるのであった・・・

December 16, 1997 [晴れのち曇り]

 最近、憂鬱な雰囲気がつきまとっている。
 砂の城の番人になった気分だ。逃げることもできず、守ることもできず、崩れる時が来ることも知っている。

December 14, 1997 [晴れ]

 テレビ番組でパソコンを使ったバービー人形の着せ替え遊びのソフトを紹介していた。今や、女の子の遊びもパソコンを使うのである。
 そう言えば、グアムでもテレビCMで同じようなものを見た。バービーCD-ROMのCMだった。たぶん同じモノではないかな。すごい時代だな。
 しかし、女性がコンピュータを味方に付けると男性以上の武器になるとは常々思っている。
 小売業・サービス業は女性をターゲットにすると成功するというのは常道である。最近は、サービス提供者に女性が立つことも増えている。マンネリ化した業界でも女性のアイデアによって生まれ変わる。たぶん、女性の方が気持ちの上でアイデアを出す余裕があるのかもしれない。
 ともかく、企業の立場で言うと、女性をいかに活用するかが不況脱出の鍵でもあるわけだ。全ての社員が力をフルに出し切れるような企業体質作りが必要だということ。
 自由に意見が述べられるフラットな構造が求められる。肩書きに捕らわれない議論には電子メールやBBSなどの活用が最も簡単だ。
 レンタル建設機器のニッケンだったかな。全社員がニックネームで呼び合い、決まった座席も存在しないという大企業があるのだ。社長(昨年亡くなられた)も亀太郎とかいうニックネームで、全社員と電子メールで話をする。営業先でも本名は決して使わないという徹底ぶりで、スゴイの一言である。
 理想を究極の形で実現した一例である。社員が1000人いる会社でも社長が断行すれば体質を変えることは可能だということだ。

December 13, 1997 [曇り]

 組織には同じ方向を向く人間が必要だ。より出来る者はより遠くを見据え、別の方向を見ている者は諸刃の剣となる。

December 12, 1997 [曇り]

 言葉は思いも寄らぬ所でねじ曲がる。
 言葉の一部を判断材料とせず、もう一度自分の言葉で見直すことが重要だ。
 曖昧なモノは曖昧なままで良い。無理に白黒を付けると判断を誤る元となる。

December 11, 1997 [晴れのち曇り]

 指導者に必要なモノ。余裕を見せて、余裕を与えないこと。

December 9, 1997 [雨のち曇り]

 企業の危機、それはサドンデス。

December 8, 1997 [雨]

 仕事は一つのサイクル(循環)である。
 サイクルは完結してこそ達成感をもたらす。

December 7, 1997 [曇り]

 RPGゲームをやっていて、時々虚しくなることはないか。苦労して進んだところで死んでしまったときだ。
 ゲームの中では、この「死」というものが、非常に簡単に訪れる。そして、あきれるほど簡単にやり直しがきく。命というのは、ゲームの中の短いサイクルの終端でしかない。
 シビアな世界を冒険するのは理解できるが、余りにも簡単に「死」と「生」を分けてしまったのではないか。RPGの中には、昔、光栄が作った「タイムエンパイヤ」というえげつないモノもあった。キャラが死ぬと、セーブデータを初期化してしまうのだ。そうでなくても、ゲームオーバーは腹が立つ。
 思えば、インベーダーゲームが作られたとき、初めてゲームに背景のストーリーが付けられた。そして、宇宙の侵略者から人類を守るというシナリオができると、必然、負ければ人類の死という命題が課せられたのだ。以来、多くのゲームにシナリオと同様な命題が用意される。
 ゲームは所詮は遊びである。その中で軽く生死を、ゲーム(遊び)のレベルで扱ってしまっているところに問題はないだろうか。
 例えば、「ドラゴンボール」という漫画(アニメ)では、それと同様に生と死が扱われている。あれも、思えば恐ろしいことだ。同じ鳥山明作の「ドクタースランプ」では、どれだけハチャメチャであっても、キャラクターの死は描かれていない。
 ただ、漫画やアニメは、そこに自分の存在がなく、ストーリーは読み手とは無関係に進んで行くからそれらをその中の出来事として捕らえることが容易い。しかし、ゲーム、特にRPGは別の意味を持っている。
 そもそもRPGとは、「ロールプレイングゲーム」すなわち、「役を演じる」ゲームなのだから、ゲームの中に自分の存在があるからこそ面白みがあるのだ。ゲーム中の己の分身が傷つけば、痛みはなくとも苦しく思うのだ。だからこそ、ゲームを最後まで行くことに達成感もある。
 人生はゲームの用にリセットはできない。それは理解できる。それと同じようにゲームの中の死は、リセットできることも分かっているのだ。これらが別の触れることのない世界と理性で割り切っていれば何の問題もない。しかし、理性を越えることも起きる。
 コミケに顔を出さなくても想像はできるだろう。そういった、作り出された世界に埋没したり、その人物に惚れ込む人たちがいるという事実だ。それはそれで、良い。しかし、それが接点のなかったはずの現実と仮想を同一視したときに弱い心が仮想の世界に吸い込まれるのではないだろうか。
 ゲームオーバーになって腹が立つのも、仮想世界にいたからである。しかし、どちらかというと、現実に戻って時間の無駄を感じて腹が立つことが多い。もはや現実に怒っているのか、ゲームに怒っているのか分からないときもある。
 情報を分類して嗅ぎ分けることよりも、現実と仮想を明確に切り替える理性を保てるかどうかを心配しなくてはいけない。

December 6, 1997 [晴れ]

 昨晩、23時からINPA(Internet Proffessional Advisor)の試験を受けた。
 前日までにインターネットで申し込み、受験番号とパスワードをもらう。受験料(\9800)を振り込み、インターネット上で試験を受けるのである。
 全部で50問、インターネットのなりたち、TCP/IP など専門用語の知識、HTMLのタグ、プロバイダのサービス内容、ブラウザやHTMLエディタの機能などなど。
 特定のソフトウェアについても知識が問われるのは辛いよな。ブラウザ以外使ったことないもの。
 ともかく、たっぷりと時間をかけて、回答を送信するとすぐに合格発表。だーん!なんか、ありがたみないね。
 12問間違って76点。で、合格らしい。やばかった。
 それにしても、お金のかかる試験なのだ。合格後、認定書をもらうのに5000円、また、一年後には再受験料5000円に、認定書発行2000円という仕組み。いやらしくないか。マイクロソフト、アップル、富士通、NECなどが運営しているにしてせこい。マイクロソフトならやりかねんか。
 ソフトウェアの検定なんてしょっちゅうソフトがバージョンアップするから大変だ。ソフトメーカーはそういうところでも、利益を求めてやまない。そういうのは大嫌いだ。まあ、仕事の一環で資格は取ったが、個人的に更新はしないつもりだ。

December 5, 1997 [晴れ]

 空は晴れてても、むちゃくちゃ寒い日が続いている。
 車に乗っていても寒い。特に、朝は冷蔵庫のようだ。
 それにしても、日焼け後の体中の皮があちこちはがれ落ちている。時間差でいろんな部位がはがれてきた。
 まだまだ、グアムの跡は残っているのだった。
 私の車にはカーナビが付いておる。もちろん、勝手に付いているわけではない。高かった。
 よく、故障もしたが、最近は文句も言わずに働いている。
 さて、気になることが一つある。
 遅いのだ。2秒置きくらいに、ポイントをチェックし、さらにもう数秒を使って位置補正を行っている。
 この位置補正をもっとまめに、正確に行えないモノだろうか。
 地図上の現在位置から、近くの道路に対して、垂直に補正を行う。しかし、これでは、余計にずれることがある。
 車の動きと、地図上の道路の形は必ず一致するはずだ。もちろん、いくらかの誤差を修正しなければならない。そこで、実際の車の動きを曲線データで記録し、その曲線と道路データの各ベクトルを合致させれば正確になるのではないか。
 近年、随分と正確さを増してはいるが、あくまでハードウェアを利用してのことだ。FM電波によるビーコンで、微調整をするらしいが、田舎の道では役に立たない。

 ソニーや、パナソニックなどがカーナビでインターネットができる機種を出してきた。ますます、本体の処理能力向上が必要となる。さて、どこまで便利になるのか。カーナビも、インターネットも・・・

December 4, 1997 [曇りのち晴れ]

 預金の解約、保険の解約と人の動きがあわただしい。
 それにしても、郵便窓口の応対は毎日騒動を起こしているそうだ。
 しかも、局長クラスが頭を下げる事態を耳にした。
 それでも、また、起こるのだろう。

 グアムの入国審査でも、書類の書き漏れが一つでもあったら、書いてこいと言って書類を突っ返される。ま た、長い列に並ばねばならない。
 あれは素っ気なかった。言葉が分からないのだから、子供扱いされているのかそれ以下だろうが、ようする に馬鹿にされている。その場で書いてくれれば済むのにだ。
 そういう事態が郵便窓口でも起こっているのだ。

 しかられて成長できる人間と、まったく成長できない人間がある。
 しかし、成長しないとダメなのだ。少なくともしかられたことを前向きに受け止め、自分の欠点を見つめ直 す機会とすれば良いのである。
 それにしても、それを正してくれる人もいないのだろうな。


 そういえば、同姓同名の容疑者が誘拐殺人で捕まっていたな。
 最近、くだらん事件が多すぎる。それもなぁ、いらずら目的で小学生をって、馬鹿でないのか。

December 3, 1997 [晴れ時々雨]

 セガサターンのソフト「カルドセプト」を買いに行った。お金用意して行った。なかった。次の店に行った。なかった。
 うーむ、これは良く売れているのでは?
 守山のららぽーとへ行った。なかった。全然ダメ。近くのおもちゃ屋にも行った。なかった。まったくダメ。
 あきらめて家に帰った。牛丼を食べたらやる気がでた。(暇になった)
 イエローページを使って電話を掛けた。菩提寺、なし。石部、なし。後は・・・、守山か、これで最後だ。おぉっ!あった!
 ということで、それはようやく手に入ったのだ。
 カードゲームとボードゲームを融合したというコンセプトだが、その世界観はマジックの小説に活かせる雰囲気を持っている。しっかりとはまっていたりして・・・
 結局ららぽーとで音楽CDを買ってしまった。セリーヌ・ディオンの「Let's talk about love」とエンヤの「Paint the sky with stars」だ。エンヤには完璧にはまっている。比較的柔らかな音楽なのだが、これが沸々とやる気を起こさせてくれる感じがして好きだ。こう、生命力を活性化するような、精神を研ぎ済ましてくれるような感覚なのだ。是非!

December 2, 1997 [曇りのち雪]

 今日は朝から格段に寒かった。夜になって寒さがピークに達し、雪が一面を多い始めた。
 今日はサッカーのトヨタカップ。ヨーロッパの覇者と南アメリカの覇者がクラブハウスチームの世界一を賭けて戦った。
 やっぱり、パス回しを見てもアジアのサッカーとは違う。例えば、ボールを持っても相手と競って引きつけてからパスを出す。例え4人に囲まれていようとパスを受けて、ワンタッチでパスを返す。近くのパスでも鋭いし、またその鋭いパスに選手が付いていくのだ。
 結果は欧州代表のドイツ・ドルトムントが2−0でブラジルのクルゼイロを下した。
 かなりハードな試合で退場者も出たが、それでもあのスピード感溢れる試合は見ていて楽しい。

November 30, 1997 [雨のち曇り]

 環境問題はかなり深刻だ。将来へのビジョンのない人間にはピンとこないだろう。
 特に日本人は市民レベルでの問題意識が足りない。まあ、政治にしてもそうだが、目の前の札束が税金だ何だと言われて持って行かれると気が付くのである。
 まだまだ、余所の話だと思っていてはいけないのだ。兆候が出て、そこらじゅうで温暖化の被害が起こると、取り返しの付かないことになる。例えば、東京への水源が干上がってから、どうしようと考えてもないモノはないのだ。車を規制したところで、すぐに水が出るわけではない。枯れた木が1年で生き返るモノではない。
 ビジョンがなく、行き当たりばったりに目の前の人参を追いかけていた人たちは、人参が枯れてから行き先を考えるのだろうか。その時、自分がどこにいるのかも分からないのに・・・

November 29, 1997 [雨]

 最近、付近のガソリンスタンドはしのぎを削っている。全国平均のレギュラーガソリン単価がようやく100円を切ったというのに、滋賀県南部では86円が大半である。ハイオクで100円、近所には99円という店が1件だけある。
 ガソリンスタンドがサービスを切りつめて価格を下げた時が以前あったが、その時は88円位から反発して値上がりした。しかし、今回はそれを下回り尚かつ窓拭き等のサービスを続けている。
 セルフタイプのガソリンスタンドが登場すれば、ますます価格競争は必至で、半分以上の業者が潰れるかもしれない。しかし、利用者としては価格が安くなりサービスが良くなることを望む。ただ、不要なサービスはやはりいらないのだ。
 そのためにもサービスを選択できるようにするとどうだろうか。
 基本的にガソリンスタンドに望むことはガソリンを安く提供することである。それ以外のサービスは全て不要とも言える。だから、必要な人が必要なモノだけを買えばよい。
 欧米のチップのように、サービスに対してワンチップ払うというのが良いのではないか。例えば、窓拭きをしてもらうのに100円というように、チップを払ってやってもらうのだ。
 ワンチップサービスには50円か100円が適当だろう。もし、50L のガソリンを入れて、50円のチップを払えば、リッター当たり、1円の利益だ。これは、ガソリンスタンドにも大きなメリットである。もし、サービスに満足すれば100円のチップを払い。それを担当者とスタンドで半分にする。そうすれば、担当者も時給にして200円とか300円を余分に稼げるかもしれない。そうなれば、益々サービスは自ら向上する。これは利用者のメリットにもつながるだろう。
 利用者にとって、サービスを選択するメリットと、向上心溢れる従業員の存在が、スタンドの選択基準となるだろう。そういう方法で安値が安定してくれて、スタンドが潰れないことも利用者のメリットではないだろうか。

November 26, 1997 [曇り時々雨]

 保険会社、証券会社、銀行へと日本経済の崩壊が目に見えてきて、一段と国民の目は厳しくなっている。もちろん、生活も苦しくなる一方だ。
 政治家は、簡単に公的資金で預金者保護だと言うが、それがどれだけの割合だというのか。1%にも満たない者のために、国民全員に借金を背負わしているだけだ。これこそ、資本主義の原理に反する。今の政治が政党の専制政治になっていることを露見しているだけだ。
 建前ばかりの一時的なことに無駄に税金を使う必要はない。この先、10倍も20倍もの破綻がやって来るだろう。その時になって、財政も同時に破綻しかねない。自ら国家の寿命を縮めるような判断をするなんて、政治家として失格どころか、犯罪に等しい。
 一流大学出の大馬鹿者が、そろいもそろってまだ骨をしゃぶっているのである。膿を出しきらないといけないのに、それまですすろうとしているのだろうか。

November 25, 1997 [晴れのち曇り]

 そういえば、グアムへの行き帰りはJAL(日本航空)であった。
 特に、行きの便ではスチュワーデスの対応が良くないと感じた。でも、スチュワーデスって何なんだ?と、いう疑問は初めて飛行機に乗って以来感じている。
 ようするに、彼女らの仕事は飲み屋のねぇちゃんと同じではないか。ジュースを配って、食事の用意をして、毛布を配ったり、と雑用ばかり。これらを見るにつけて申し訳ない気持ちになるのである。
 一流の大学を出て、立派に語学も修得した彼女たちが、どうしてこんな詰まらぬことをしなければいけないのだろう。それも15名も乗っているのだ。うーむ、もったいないぞ。
 ジュースなんか、飲みたいときに飲みたいのだから、セルフでいいのに。もしかしたら、日本人の為だけの過剰サービスなのではないだろうか。メシもまずいしいらないよな。駅弁みたいに買って乗るってのはどうかな。好きなん選んでね。
 ともかく、当の本人たちはああいう仕事に満足しているのだろうか?よくわからん。そういう不満が出たときに、始めに感じたような応対の悪さになるのだとしたらやめるべきだね。

November 24, 1997 [曇り]

 21日に関西空港を出発し、グアムへ行って来ました。そして、今日ようやく帰ってきた。
 天気は良く、30度の気温でも心地よい風が吹いていた。海は浅瀬で、なまこがウヨウヨ転がっている。その様は黒く太いのでまるでウンコに囲まれているようであった。いや、ホント。しかも、200〜300mも浅瀬が続くので、どこまで行っても膝丈なので避けて歩くのが大変だ。クロールしようものなら底の砂に手が突き刺さる。
 ホテルの中は冷房が効いていて、かえって寒い。夜はホテルのテレビで映画を見た。まもなく日本でも公開の「Men in Black」(トミー・リー・ジョーンズ)と「Air Force One」(ハリソン・フォード)だ。もちろん、英語だから、訳わからん。
 どこも日本人がウヨウヨいるが、実は中国人も多いのだ。フィリピン系も人口の23%程いるそうだ。
 免税店なども行ったが、おそらくほとんど日本人。あまりものは安くなかった。「Paul Smith」もあったが、シャツも200ドル(129円/ドル)していた。日本でも大抵15000円までが多い。「NIKE」は安かったが、109ドルの靴はサイズがなかったので買えなかった。
 そうそう、ストリートのスポーツ用品店にマジックのカードが置いてあった。「Fallen Empires」からあったが、「Tempest」や「Weatherlight」は置いてなかった。FEは半額になっていたが、MIは定価($2.95)のままであった。
 残念ならがダイビングはできなかった。それでも、たっぷりと海で泳ぎ、プールで泳いだので、体中が真っ赤である。今でも体から赤外線が出そうなくらいホコホコしている。家に帰ってきてシャワーを浴びたが、お湯では痛いので半分水で調度良かった。
 日本ではもちろん今にも雪が降りそうな寒さなのだろうが、全くそれを感じない。寒さで体が震えるかと思っていたが、体が中から温かいのだ。きっと体温が2度くらい上昇しているのではないだろうか。

November 20, 1997 [曇り]

 今日、久々に散髪をした。明日からグアムへ行くのに、ダイビングに長髪は邪魔である。しかし、常々散髪は高いと思っていたし、時間もかかるという面倒もあって、余り頻繁に行くことはない。
 どうしても、邪魔な分だけカットして欲しかったので、一度交渉してみることにした。
 家の近所にある散髪屋は夕方だが、忙しそうだ。髪を伸ばしてここ数年は美容院ばかりで、散髪屋は久しぶりで、ここは初めてであった。イスは3つなのに5人の店員がいる。
 扉を開けてから、まずは、後ろの長い髪だけのカットで安くしてくれないかと聞いてみた。ちょうど手前に居たのが店長さんのようだ。すぐに、良いですよと言ってくれた。2000円と言うので、1500円でできませんかと聞くと、即答で良いですよと返ってきた。
 やっぱり、言ってみるものだ。しかも、サイドも切ってもらって、さすがに前は遠慮したけど、細かく気を使ってくれた。
 少し短くすきすぎたため後ろで髪をくくれなくなったが、まあ、贅沢言ってはいけない。

November 19, 1997 [晴れ]

 今日は久々に「ポム・ド・テール」で昼食を食べた。ステーキランチ(\1500)を食べてみることにした。
 肉厚は 1cm 程だが、柔らかくて香ばしい。炭で焼いたような編み目も良く、ミデアムで食べやすい。添えた野菜は人参、カブ、豆、ジャガイモであった。これらもそれぞれおいしかった。
 カボチャの温かいスープ、ご飯、サラダ、コーヒーがついている。
 窓際に座っていたので、シェードはあるとはいえ暑くなった。しかし、外は随分と気温が低く背中を丸めて歩いていた。
 夜もカルボナーラ(\800)を食べに行った。平井君が遊びに来て、結局夜の1時までいたのだ。久々にデュエルもしたし、トレードも行った。やっぱり、それなりにお金をかけないと楽しくないことも改めて分かった。
 また、アレックスにカードを売ってもらおうかな・・・

November 16, 1997 [雨のち曇り]

 先週からうちのマンションの同じ階、しかも同じ間取りの部屋が2280万円で売りに出されていた。仕事を終えて、歯医者から帰ってきたところを隣の奥様たちに呼び止められた。
 どうも、私の部屋が売りに出されているのではと思ったらしい。実は広告の間取りはうちとは裏返しなのだ。お隣はまったく同じ間取りらしいが、自分ではないのでもしやと思ったそうだ。
 新築してもうすぐ満2年である。確かに1年目で売りに出していた部屋もあったが、そう簡単に何千万もするものを買ったり売ったりできるのだろうか。もちろん、個人的な事情はあるだろうが、一般にはそこで生活をする訳だから、他に生活の場がない限り簡単に売って出るわけには行かない。ましてや、買ったばかりで借金を大量に背負っていればなおさらだ。
 日本の金持ちがゆがんでいると思うのは、金の使い方を知らないというか、邪道だということだ。一般人が生活のすべとするものをわざわざ買わなくてもいいだろうと思う。そのために買えなかった人もいるのだ。
 どうせ大金を使うのならもっと建設的で世の中の役に立つことに使いなさい。
 米屋が米を買い占めて米相場を高騰させて、挙げ句には米騒動を引き起こしてしまったような愚行を未だに繰り返しているのである。米騒動は起こらないが、世の中よりも、自分の金にしか興味を示さない姿は刹那的である。棺桶まで金を持っていくやつほどつまらん人間はいないぞ。
 やった!思わず叫んでいた。岡野よくやったぞ。日本サッカーの新しい夜明けだ!ワールドカップ出場おめでとう!

November 15, 1997 [雨時々曇り]

 NTTに電話をいれた、どうやら今回の確認ハガキの件は始めから平謝りの様子だ。どうも他にも多くの苦情があったのではないだろうか。
 今回のハガキは無視して欲しいとのことで、改めて12月に最終確認として先日の申し込み内容での確認をするとのことだった。もうええっちゅうねん。
 まあ、電話のおばちゃんにこれ以上怒ったところでどうしようもないので、それで了解した。

November 14, 1997 [雨]

 先日のNTTへのメールに対しての返答は一切ない。明日、電話で文句を言おう。
 前にも書いたが、返答をしないのなら質問はこちらなどとフォームを用意するなってんだ。
 京都の某FMラジオ局に、かかった曲名を聞きたいと思って、メールのアドレスを探したら質問はここってあったので、クリックするとリクエストのフォームが出た。出たんだから、そこに書くわな。なのに2週間たっても音沙汰なし。わざわざ何時何分にかかった曲だって書いてやってもダメなのだ。そういうのはホームページをするなって。
 ホームページの受注も仕事としてするのだが、基本的にホームページは自分の個性を出すことに意義があるというのは変わらない。それでも出来ない人にはできないから、ホームページくらいはやろうと。でも、せめてメールのチェックは自分でやって欲しい。挨拶されて挨拶を返すのは最低限のマナー以前に常識だと思う。
 よく、忙しくて返事ができませんとか、メールの量が多すぎて・・と断っているページもある。それはそれでよい。当然書く側もそれを前提にメールを書く。しかし、BBSを用意してまとめてでも自分の言葉で答えることは必要だと思うな。
 それがあってこそ、コミュニケーションの道具としてのインターネットが成り立つと思う。決して商売の道具ではない。人が自分の長所を認め合うことのできるコミュニケーション社会の基盤だと思いたいのだが・・・

November 12, 1997 [晴れ]

 今日は栗東にある「DASOLO」でディナーセット(\3300)を食べた。国道1号線沿いにあるが、個人でやっている小さなイタリア料理のお店だ。
 前菜、パスタ、肉 or 魚、デザート、カプチーノ or エスプレッソの流れとなる。フランスパンはおかわり自由。サラダは忘れてたみたいだ。
 前菜は5品。パスタはペンネのミートソースにした。ペンネはマカロニ型を薦めてくれたのでそれにする。ミートソースのミートは大きめで淡泊な味だったが、食感は良かった。
 肉は鶏肉のローマ風ということだが、蒸し焼きにしてトマトソースと香辛料で味付けしてあるようだ。鶏の大きな片足丸ごとで、関節部分が2カ所になっていた。フォークで簡単に骨から身が取れていく。パスタよりも満足感が大きかった。
 デザートはリンゴのタルトとパンナコッタのオレンジソース掛けだった。甘すぎず食べやすかった。エスプレッソには堅いクッキーの様なモノが付いていた。
 これで、2800円以下ならまたこれに使用と思うのだがなぁ。
 自宅に帰ってみるとNTTから封書が来ていた。来年から始まる番号通知の方法を再度確認するためのモノである。否定的な回答を行ったため、再度確認のため送り返さないと否認したことにならないというのも前回と同じだ。これでは、面倒を押しつけて無理矢理認定させようとしているように感じる。
 明日、電話で文句を言おうと思ったが、ホームページがあるというのでそこで文句を言うことにした。意見の書き込みは中断しましたということで、メールを送るようになっていたので、以下のようなメールを送った。
先日、「回線ごと非通知」でハガキを返送しましたが、サイド確認ということで同様の手続きの書類が送られてきました。
しかも、返送ハガキには「通話ごと非通知」となっておりますと書いてあり、再度ハガキを送らねばいけないよう書いてます。
わざわざ、書類(ハガキ)を書いて出しているのに、どうして同じことをもう一度するのでしょうか。もし、確認が必要なら、「回線ごと非通知」を前提としてこれで間違いないですねというのが筋です。
しかも、同じ書類を書いて出さないと、無理矢理「通話ごと非通知」にしようというのはあまりにも横暴なやり方です。

そもそも、番号通知を有料サービスとしている点が嫌なのです。
サービスそのものは社会的に必要と思っていますが、有料でないと利用できないのに、そのための情報(電話番号)を提供するつもりはありません。
これを無料で提供するのが基本だと思います。その上で、回線ごと非通知を原則とするのなら何も言わないのです。

どちらにしても、この再度の確認はやりすぎと感じます。

 電話を使用するためには最低限NTTとの契約をしなければならない。こういう態度をとられると、「嫌ならやめればいいじゃん」と言われているような気分になる。お役所仕事と同じだ。やめられんから文句を言うしかない。それでもこれなら、結局利用者の泣き寝入りなのだ。
 午前中に別件で大津のNTTに電話したときは非常に気持ちの良い応対だった。もちろん、それとこれは別である。

November 10, 1997 [晴れ]

 今日は柳葉魚(ししゃも)を食べた。北海道は日高の鵡川産が唯一本物の柳葉魚なのだ。その辺で売っている偽物(ケプリン)とは訳が違う。と、言いたかったのだが、今年はあまりできが良くないらしい。小さいのだ。
 例年なら、10匹で2000円だというのが、30匹で1850円だからえらく悪いのだ。体長は10cm ほどで確かに小さかった。網で焼いても身がへばりついてうまく裏返せない。どんどんバラバラになっていく。
 それでも、身は柔らかく淡泊な味がしている。とはいえ、味わうほど肉厚ではない。本来はこの2倍はあるのだろう。うーむ、楽しみは来年に持ち越しである。

November 8, 1997 [晴れ]

 万歳!日本対カザフスタンのワールドカップ予選。5対1と久々に気持ちの良い勝ち方だった。
 秋田、中田、中山、井原、高木と実にかっこいい点の取り方だった。城!次は頑張れ!期待してるぞ!
 先日の韓国戦の勝ちも当然喜ばしいが、あれは日中に終わっていて、仕事で見れなかった。
 さあ、次はアジア代表の3位決定戦だ!これに勝って気持ちよくフランスへ行こう!

November 7, 1997 [晴れ]

 年末が近づくといろんな人がお金を集めにやってくる。
 年賀状を売りに不動産屋もやって来る。そんなもの売って、不動産売買の足しにはならんだろ!
 自民党への献金を集めに宅建協会の支部長がやって来る。そんなもの集めるだけで、言うべき事を言わないから世の中間違って行くのだ!
 赤い羽根の募金まで町から集金にやって来る。強制的にやってきて、善意とはとうてい思えない。何で年末だけやってんだ!
 ついでに、くだらんTシャツを送ってきて一口なんぼで寄付を請うのだ。しかもその担当者の名前は忘れもしない。前の会社で修理代を請求したら、そいつは辞めたと言われて結局支払いにやってこなかった。その団体のしかも辞めたと言ってたヤツが担当者として名前を出しているのだ。嘘を吐きやがって!しかも、組織ぐるみで2000円の修理(実費)をけちりやがって!
 ということで、怒りは尽きない。世の中どんなとこでも、なあなあで成り立っているところが情けない。昨今の証券業界を発端にした総会屋問題も結局の所、そんな些末な人付き合いを断れない体質が染み着いてるのではと思うほどだ。まあ、総会屋の場合、企業内部の後ろめたさが断ち切れない原因だな。

November 6, 1997 [晴れ]

 電車の中で気になる「シャカシャカ」音。小さなヘッドホンでウォークマン(商標)やらCD、MDを聴くと音が漏れて高音部が騒がしくて耳障りです。
 先日も電車の中でありました。しかも、ほとんど聞こえているぞというくらい大きい音。半端な音ではなかった。
 見ると風貌もさえない40歳前後のおじさんだ。まあ、もしかするともちっと若いかもしれん。ともかく、ロック調の細かなビートが響いていた。何となく歌声も聞こえるくらいなのだ。
 車両の真ん中から乗って、そこには俺とそのおじさんと反対のドアに学生が一人だった。しかし、明らかに学生にも音が聞こえている風だ。もちろん、隣にいた俺には十分に聞こえる。
 これはイカンと思って、まずはヘッドホンを取って話を聞いてもらうために、肩をたたいてジェスチャーで伝える。指を使って、人差し指と親指で卵をつかむようにして、それを小さくすることで意思を伝えたかった。
 しかし、彼は思いがけない行動に出た。おもむろに、下に置いた紙バッグを抱えて、車両の後ろへスタスタと逃げていったのだ。おいおい、それはないだろう。人の意見くらい聞きなよ。
 そこまで追いかけるのも異常なことなのであきらめはしたが、ヘッドホンの音は間違いなく聞こえていた。そう、走る電車の中で、車両の真ん中にいる自分に車両後部のヘッドホンから漏れる音が聞こえるのだった。いったいどれくらい恐ろしい音量で聴いていたのだろうか。それより、普通のウォークマンなどであんなに音量が出るのだろうか。
 これを読んで耳の穴がこそばゆくなったあなたは正常かも知れない。

November 5, 1997 [曇り]

 今日は「一太郎Office8」インストラクタースキルアップセミナー(資格更新)のため京都市内へ出た。
 講習は朝から夕方までかかる。ともかく、これを受けないと折角の資格が失効してしまうのだ。一太郎の講義はしなくなったけど、最新版のソフトがもらえるので助かっている。しかし、最低でも120MBものディスク容量を必要とするのではインストールの余裕がない。考えてくれよジャストシステム。アイコンが分からないんだよ。メニューもわからん。
 お昼は久々に「エスフィーファ」へ行った。相変わらず、ひっそりとやっている。メニューはグラタン(\500)のみ。飲み物をセットにして700円とリーズナブルなのだ。
 講習を終えてから、大丸のポールスミスへ行ったが、山中さんが休みだったので、スーツを見てすぐに出た。前に目を付けていた派手なスーツが残っていた。売れてくれたほうが良いのだが・・・
 その後、「談」へ行く。久々にマジックのカードを買った。最新の「Tempest」のスターターパックだ。最近はここも1割から2割引くようになったらしい。公正取引委員会の勧告が効いているのだろうか。
 そして、行きました。新規オープンした「アルデンテ」。四条通りから富小路を上がったところにある。しかも、向かいには京都で最も古いパスタの店「フクムラ」があるのだ。
 石山とは違って年中無休だそうだ。パスタの単品は1200円から1600円というところ。一番安い、本日のニョッキ(\1200)にしてみた。良く分からないまま頼んだら、小さな芋虫状のモノが沢山入っていた。エビとトマトソースはすぐに分かったが、このニョッキの正体が分からない。フニュッと柔らかく、口に入れるともろい。スパゲッティの弾力から比べると、物足りなすぎる。聞くとじゃがいもを裏ごししたものらしい。うーむ、俺には合わんな。
 さて、実は目的は帰りのルートにもあった。新しくできた地下鉄東西線に乗ることだ。京阪三条の駅まで行ったが、乗り場が分からない。良く見るとそこには京津線の駅名がない。辺りを歩いて見渡すと、京神線はそこから100m程先にあることが分かった。
 また、京都市地下鉄と京阪電車が混在しているのだが、従来のJR山科駅前には地下鉄側しか行かないのだ。京阪電車は御陵(みささぎ)から別の山科駅に行ってしまう。どこにあるのかはよく分からない。ともかく、前の場所には駅がなくなっているのだ。
 それにしても、駅の数が減った。三条、蹴上、東山、御陵、山科だ。早くて快適だった。これで嵐山まで一気にいけると非常に楽なんだけどな。

October 30, 1997 [晴れ]

 今日は草津へ行って、修理の終わったカーナビを取り付けてもらった。その待ち時間にジョルナータでランチを食べた。
 ランチメニューが変更されていた。パスタランチはボロネーゼだけ同じで、後の2つは違っている。そこで、マカロニランチにした。
 ファルファッレの地鶏入りトマトソース(\1000)ということだった。ファルファッレはリボンの形をしたパスタなのだ。うーん、これって食べにくいかも。フォークで1つづつ刺して食べるしかない。1つ1つが意外と大きい。地鶏は小さく角切りになっていた。
 あとはいつものパンに山盛りサラダ。デザートは赤オレンジのシャーベット。これ美味しい。最後にデミタス。

 それから、モデムを買うためにOAショップへ寄った。
 今まで28800bpsのモデムで我慢してきたが、ついに56kbpsに換えることにした。
 ソニーとNECの2機種があったが、どっちも Windows用のパッケージ。ソニーはマック用パッケージでないとCCLファイルが手に入らないようだ。それ以前に、相談窓口が OpenTranceort を分かっていない。対応が良くなかった。それに引換、NECは一発で、OKをもらった。WEBでCCLファイルを配布しているのだ。
 どれだけ早くなったのか体感できないが、ソフトのダウンロードの時に威力を発揮してくれることだろう。もし、早くならないようならば、これ以上のモデムはいらないということだな。回線品質の問題ということになる。しかし、115kbps での接続がなったようだ。うーん、大丈夫か?

 さて、夜は「ポム・ド・テール」へビーフカレー(\970)を食べに行った。
 肉が違うな。まるで、1枚1枚ステーキか焼き肉のカルビみたいになっている。久々のカレーであった。しかし、ご飯は普通だったな。これなら、京都タワー下の「プチ・コアン」の方が安いし、美味いし、ボリュームあるぞ。
 パスタならここが一番ボリュームあるんだけどなぁ。まっ、カレーなんて滅多に食べないからいいや。
 また、ここはカプチーノマシンを使ってカプチーノ(\450)を作ってくれるのだが、なかなか技が細かい。オレンジの皮を薄く切って入れ、生クリームを入れ、シナモンの粉を振る。
 割とどれも手が込んでいて味も良い。良心的なお店であることは間違いない。

October 27, 1997 [晴れ]

 今朝、昨日の山火事はまだくすぶっていた。よって通勤ルートは通行止めだ。夜になってようやく解除されたようだ。

 それはさておき、今日は歯医者の日であった。
 医者が嫌いだとは前に書いた。特に、待合室の時間は無駄が多いので嫌いだ。今日も予約した時間に行って、結局診療室へ入れたのは30分後である。これでは予約ではない、予定だ!
 数年前のこと、夜中に歯が痛んで眠れず、イエローページで早朝から開いている歯医者を捜したことがあった。久々に行ってみると、予約がないと診れないと言うのだ。てめぇ、今痛いって言うのに何時の話をしとんねん!と、いう思いでかけ合ったら診てやろうと言うのだ。受付のババアのくせに生意気だ。馬鹿野郎!
 予約などと言って、結局、自分たちの都合のいいように客をコントロールしようとしているのだ。予約通りに行っても、待たされるということは、それが無理だということに気がつかないモノだろうか。
 歯医者で一番面白いのは歯石を取った後だ。その作業そのものは結構痛い。口の中が血でドロドロになる。うがいをすると気持ち悪い。しかし、下で歯の後ろを触ると別人の様なのだ。おおっ!と意外に感動する。空気や水が歯の隙間を通ってスースーするのも妙に楽しい。

 さて、歯周病の講習まで受けた。歯と歯茎の隙間に自然と菌が発生するのだそうだ。通常の歯磨きで取れる食べ物のカスではない。その歯周病菌が虫歯の細菌を作るのだそうだ。では、どうすれば良いのか。実演で教えてもらった。
 歯ブラシの角を使って、歯と歯茎の間を磨くのだ。ほとんど歯茎をこすっているに等しい。もちろん、血がドバッと出る。この時、血が出なければ健康な歯茎なのだ。もし、血が出るようなら歯周病である。これが進行すると5年ほどで歯茎の奥の歯がボロボロになるそうだ。ともかく、血を出してゴシゴシやって、血が出なくなる状態を保つことで虫歯を防ぐことができるのだそうだ。

October 26, 1997 [曇りのち晴れ]

 今日は通勤途中の希望ヶ丘文化公園で山火事があった。昼頃職場から雨山の向こうにもうもうと白い煙が上がっているのが見えた。夜も警察が通行止めにしていたので、別ルートで家に帰ってきた。明日の通勤が大変だなぁ。

 さて、こうして日記が書けるのもマックが修理から返ってきたからだ。3日前に戻ってきたわけだが、その日は仕事の帰りにパソコンショップへ寄って帰って、MacOS8 を無事にインストールした。メールの処理は職場であらかた済んでいたので、11時を過ぎた頃にはセッティングを無事に終えて、新しいホームページ作りを始めた。プレステのゲーム、モンスターファームのページだ。これに手間を掛けている間、ゲームをしていないので何だか飽きてきた感もある。JavaScript や SSI に CGI を駆使してカウンターや簡単な会員認証を作ってみたが、疲れた。それにしても朝の5時半まで没頭してしまったのは失敗だ。仕事はどうなる?

 今日は対UAEのワールドカップ予選だった。残念ながら1対1の引き分け。自力で2位にもなれないことが決まった。
 日本のサッカーはどうにも穴だらけだ。元々、攻撃力が弱いのに、この試合ではディフェンスの弱さが目に付いた。井原が出場停止というのも痛かった。
 開始早々4分に、ロペスが見事に相手ディフェンダーを浮き玉で抜いてミドルシュート!無茶苦茶痛快であった。同点にされたのは仕方ない。攻めも積極的であった。しかし、ディフェンスが浮き足立っていた。前半でもパスミスが多かったが、クリアボールも簡単に敵に渡っている。しかも、簡単に突破やゴール前でのパスを許している。
 初戦のウズベキスタン戦で前半に4点取っていたにも関わらず後半1点しか取れなかったのは、明らかに選手の動きが少なかった。だが、この試合で一番はっきりとしたのは、パスミスの多さだ。しかも、壁パスやクリアボール、サイドチェンジにもならない横パスだ。まだまだ修行が足らんのぉ。

October 12, 1997 [曇り]

 今日は幾つかのサーチエンジンを巡回してみた。リンクの切れてたモノや、「ne.jp」を取得したモノなどがあった。
 用途に合わせて利用すると良いのだが、ほとんどの場合、「Yahoo! Japan」でことを済ませてしまう。まず、分類が細かく、操作も簡便で当たりやすい。目的がなくても、クリックしながら気になるカテゴリを下って行くだけで良いので、気ままに散歩するにはうってつけだ。
 今、インターネット上で「検索の鉄人」なるイベントが行われている。第1回の予選は15日までだ。検索の技術や知識を試そうというもので、優勝賞金は100万円だ。予選はインターネット上で行われるが、決勝戦は東京まで行かねばならない。しかも自費である。
 これに協賛しているのが「goo」だ。ここの検索エンジンはロボット式で、自動的に集められた情報がある。そのため、登録者が設定したキーワードではなく、ホームページに使用されている言葉をキーワードに検索することができるのだ。だから、新聞記事などが検索に引っかかることがある。決まったキーワードを目的に探すなら利用価値は高い。
 さて、サーチエンジンを探したくなったら、「Search Engines in Japan」を利用するとよい。ロボット系とディレクトリ系に分類され、使いよい順に並べられている。簡単なページだが、目的にあったサーチエンジンを探すときに使える。
 地方自治体や地域に関する専門のサーチエンジンもある。「地域発見」がそれだ。ローカル情報を集める足がかりとなる。もちろん、Yahoo など一般のディレクトリ系などのほうが地元企業などのページが見つかる。
 会社関係専門のディレクトリとしては「日経BP Company Directory」がある。ホームページを持つ企業が業種別に分類されている。
 もっと、個人のホームページを見たいという人には「ご近所さん」ホームページがある。白地図が用意されていて登録者は住んでいる場所のマークを打つ。閲覧する人がマークの付近をクリックすると、その近くに住んでいる人の登録内容が一覧で表示されるという寸法だ。近所で誰かインターネットしてるかなと思ったらここだ。
 最近、個人のホームページに広告が張られている「CSJ INDEX」というのがある。登録されたページは少ないし、カテゴリも大雑把だが、ランキングを付けてくれるので受けているのだろうか。「What's Best!」には誰が決めたか知らないがというより、何だか定番的なページが並んでいる。カテゴリ不足が物足りないね。
 と、まあ、いろいろな筋道でインターネットを楽しむことが出来るわけで、着の身着のまま、今日も散歩を楽しみましょうか。

October 11, 1997 [曇り時々晴れ]

 氾濫する情報の波に翻弄される人、うまく波をかき分けて進む人と、この先ますますその差が生まれてくるのではないだろうか。
 これはインターネット上だけの話ではない。ファッションにしても、音楽にしても、それを創り出して大衆に受け入れられる場合と、独りよがりな場合とがある。
 インターネット上では特に情報を捕らえるのには余り差がないように思う。しかし、自分の情報を流すということに関しては大きな差がある。
 個人が自分の情報を自由に流すことができる。悪く言えば嘘でもということになる。でも、それになりきることが出来るならインターネット上では許されるだろう。他人を誹謗中傷しないのであれば、何を書いても良いと思う。それが個性だ。
 もちろん、見る人によっては不快なこともあるだろうが、そこはインターネットですよ。見る見ないは個人の自由だ。だから、受け入れられる個性と、そうでないモノも選別される。でも、ここで大事なのは、本当に正しく自分を伝えられるかということだ。自分の伝えたいことを正確に受けとめてもらえないと間違った人物像が完成する。まあ、今はまだ、たどたどしさも個性よと笑っていられる。
 将来がインターネットの中だけで進むわけではない。現実のコミュニケーションの下地となれば良いのだが、現実のコミュニケーションといっても偏った趣味では誰とでもと言うわけには行かない。その点、場を保たせる必要のないインターネットでは、都合の良いときにメッセージを送るだけだ。
 そういう点では、現実と電脳世界では別人が生まれるかも知れないが、良くも悪くもこれをうまく使い分ける必要があるだろう。当然、その差のない人もいるだろう。ともかく、情報の波の中で自分を見失わないようにしなければいけない。

October 10, 1997 [晴れ]

 さすが特異日の体育の日だ。見事な秋晴れである。
 さて、相変わらず体の調子が落ちている。こんなひどく長引く風邪は初めてだ。マックもまだ直ってこない。
 マックと言えば、アップルから一部機種の不具合について発表があった。8500は対象機種に入っていなかった。
 そのマックがないことを理由に、仕事場で必死でインターネットしている。しかも、オンラインゲームだったりする。最近、インターネットを使った様々なものがある。CGI、Java、JavaScript など技術的にも色々ある。
 以前、システムソフトがインターネット上で大戦略をやった。1日1コマンドで進むのだが、つい忘れてしまう。
 ソニーのプレステ関連ページにある「Lord of Monsters」はついに3作目となった。しかし、ホームページと同じサーバーを使っているため、CGIを使ってのゲームは重すぎる。しかも、前作もすべて同じサーバーなので、重いに決まっているのだ。
 しかし、ここに「Lifestorm」という画期的なゲームがあった。RPGなのだが、Java を使用しているためサーバーの負担は少ない。ただ、読み込むファイルが多いため初めは時間がかかる。2回目からはキャッシュしていると早い。画面の描画も少し問題点はあるが、なかなかに立派な物である。動作が遅いのは他のプレイヤーの動きをやりとりするためで、同じ画面にいるプレイヤーと話をすることもできるのだ。一応、実験段階ということで無料で開放されている。
 さて、このようにオンラインゲームもゲームそのものの質は高くなっている。しかし、問題は回線だ。結局、ダイヤルアップだと回線の質が低いため時間がかかり、電話代が増える。これはNTTがもうかるだけだ。質が悪いことでNTTはもうかるのだ。変なの。
 先の「Lord of Monsters」の場合、回線の問題ではないが、やりとりするデータの量は非常に少ない。それなのに、サーバーの処理が遅いため待たされる。通信をしていない時間の方が長いのだ。これも変。
 インターネットは通信の利用パターンを劇的に変化させる。このように1回の通信の中でも激しく変化する。そろそろ、時間で料金を取る方法は考え直してもらえないだろうか・・・。

October 4, 1997 [雨]

 ようやく風邪が治りつつある。初めは熱が出て、それが引くと、下痢がやってきた。しかし、注射の痕の腫れも引いたが、まだ痛みがある。
 そして遂に、マック(PM8500/180)が再入院となった。もう保証期間もわずかだ。今度は、マザーボードか、ハードディスクか、果てはBIOSかと言う状況だ。しばらく自宅でのインターネットが出来ないが、日記のファイルはフロッピーで会社に持ってきていた。

 さて、最近は景気が上向きというのは行政の都合で建て前で、現実には消費税の増税によって更に低迷していることが明らかになってきた。
 消費税という法律が出来る段階で、これは予測できたことである。使うことしか知らない行政が、法律を作った後はいつでも増税できるシステムなのだ。倫理的には無理だと学者は言うだろうが、誰も国民は信じちゃいない。行政に倫理はないのだ。
 これは抜本的に行政機構を変えないことには直らない。いくら、組織を改編したところで、中身が同じではまた同じことが起こる。動燃が様々な問題を次から次へと出してくれる。これは実は非常に分かりやすい例となる。彼らがいかに、国税を無駄に使い、危険な核物質を放置し、反省をしていないのかが良く分かる。
 酒税が改正されてウイスキーの値段が下がったのはいいとして、ボトルの形を変えたとしてもウイスキーは焼酎にはならない。形はどうでもいいのだ。中身を入れ換えなければ、動燃は同じことを繰り返す。
 消費税ももとは、福祉税という名前だったがその時はあっさりと消えた。それが名前を変えて成立したわけだ。
 肩書きや見た目などはどうでも良いのである。それはインターネットで知らない人とメールで言葉を交わせば良く分かることだ。そこには、その人の中身がさらされている。
 ホームページをプライバシーの侵害と言った行政(世田谷区)があった。小学生が自ら自分の絵日記をホームページに載せたのだ。自分で書いた物を世間に発表する、それが小学校のサーバーであっても、誰が誰のプライバシーを侵害したというのだろう。非常にバカげた話だった。それを行政は中止勧告まで出したのだ。
 彼らはプライバシーを個人の権利とは思っていない。行政が情報を開示することを拒否する道具なのだ。根本的にそういう理解をしていない。だから、国民と行政の溝は深まるのである。
 誰が誰にということだが、行政は誰のためにあるのか、もう一度自らを振り返って欲しい。決して「御上」ではない。それは国民も再認識しなくてはいけない。
 頼ってはならない。彼らは我々の前を歩いてくれるのではない。後ろから支えてくれる存在でなければ、公務員とは呼べないのではないだろうか。そのためには我々が前を歩くことが重要なのである。

October 1, 1997 [晴れ]

 今日の夕方も「ポポラーレ」へ行った。
 前々から思っていたのだが、ここに一人の可愛いウエイトレスがいる。しかし、愛想がない。最近の傾向だろうか、喫茶店やパン屋などでも裏では他の店員とニコニコ談笑している割に、客の前ではほとんど口も聞かないしニコリともしないのが多い。
 一つは、それを注意しない店主にも責任はある。もちろん、本人の心構えにも問題がある。店頭で働く以上は、仲間・その他という分け方で客に接してはいけないはずだ。物を運ぶだけのウエイター・ウエイトレスなら自分でやったほうがましだ。
 牛肉のソテーイタリアン(\800)と松の実のリングイネ(\900)を注文した。当然、前菜のソテーが先にテーブルに出る。次に、それを食べている途中でパスタが出た。その時だ、何も言わないまま、食べている皿を横へ動かし、その隣に窮屈にパスタの皿を置くのだ。
 テーブルが狭いのは分かっていることだ。しかし、何も言葉を掛けずにやっていいことではない。まず、食べている途中の皿を黙って動かすのは非常に失礼だ。そして、壁際の席であったのにテーブルは2つの皿で横幅が一杯だ。これはどちらにしもて食べづらい。自分の仕事をただ規定の場所に物を置く仕事としか感じていないからだ。
 別に、向いの席が空いている訳だし、テーブルの中央に置けばいいものだ。もちろん、「こちらに置きます」と一言あればいいのである。どちらにしても、食事を運んできて無言で置いていくのは気持ちが良くない。客を持て成す気持ちが現われないのだ。
 今、世の中に一番欠けているものが言葉だと思う。正しい言葉を正しい場所で使うことは締め付けではない。そうすることでないと、公の場では気持ちが伝わらないのである。自宅にいる状態でそのまま外へ出ている人が多くなったのではないだろうか。また、それだけ世間も甘くなっているのである。