最近、かなり「グランツーリスモ」をやりこんでいる。
大体アクション性の強いゲームは苦手である。しかし、リアルさを追求すると言うことは画面の美しさや現実感だけではなく、実際の難易度も現実的なのである。
これはある意味、非情にストレスを生む。現実にできないことをすることで発散できるストレスが、逆に発散できないのである。現実以上のジレンマが襲ってくるのだ。
特に一人でこういう系統のゲームをやることは精神衛生上良くない。絶対にうまくことが運ぶはずがないのだ。しかし、その苦心の壁を越えれば良いのだが、所詮は一人遊びである。切磋琢磨するにしても自分との戦いである。
自分との戦いと言うと良いように聞こえるが、その先にはただの遊びに過ぎないと言う虚無感しかない。誰かと張り合うからそこに達成感が生まれるのである。
つまらないことで、つまらない自分になっていってしまうのだ。どうしてこんなことがとか、さっきはうまくいったのにと、どんどん前向きに気持ちが転換しなくなる。
そして、ついには「切れる」状態になり、自分や物にあたってしまう。一人しかいないのだから当然である。
自虐的な行動であれ、気持ちであれ、それを発散する方法は自分以外の標的を探すことである。すると、行き着くところまで気持ちが荒廃しているから、最高潮のいわゆるハイな状態になってしまっていて、ついカッとなるような現象に陥ってしまうのだ。
だから、最近の少年犯罪は行動そのものは単純であるが、その背景には心の大きな葛藤があるのだ。そこにはつまらないことに重大な時間を費やすがために起こるジレンマであり、自分の内へ高圧縮に溜まり溜まったストレスがとの一触即発の緊張状態があるのだ。
その緊張はほんの少しのきっかけがあれば、全てを消し飛ばすだけの力を秘めているのだ。
今の日本はすべからく構造的に問題を生じさせているが、人間の精神構造さえも、遊びの変化によって悪循環に陥っているのではないだろうか。
今日は午前中に歯医者へ行って、その後すぐに草津へ向かった。プレステを修理に預けて、「ピノーリ」で昼飯を食べることにした。
ボンゴレ・ロッソ(\1400)を食べた。大ぶりのアサリとトマトソースである。どこでもそうだが、殻か砂かを口の中で噛んでしまって嫌な感じがするモノだ。いきなり1つ目のアサリでガリッとやった。何だか今日治療した歯のあたりが変である。
早々にそこを発ち、次は彦根へ行くことにした。目的地は彦根城である。何故か。何となくだ。
15時に駐車場(\400)について、入場券(\500)を買って表門から急な石段を登る。城内は天守くらいしか大きな建物はない。こんもりと茂る木に隠れて下からはほとんど天守閣は見えなかった。
天守閣は国宝に指定されているため、あまり手が加えられていない。展示のケースが少しあるだけで、3階建ての小さな部屋があるだけの建物だった。
そこから再び別の急な階段を降りて、内濠の外にある玄宮園(城の入場券で入れる)を散策する。ここからは天守が見える位置があり、なかなか良い感じだった。実は、帰りに中濠の外を通ったときの天守の眺めが一番良かった。
もう一度、表門まで戻って、今度は彦根城博物館(\500)へ入った。甲冑や能面、雅楽器などあまりまとめて見たことのないモノが陳列されていた。その他、井伊家所有の美術品だけでなく、古文書なども展示されていた。
城と庭園と博物館を1時間で見終えた。早々に帰ることにするが、行きの道中で見つけたイタリアンレストランへ寄る。
しかし、時間が早かった。17時半からでないとパスタはなく、ピッツァだけしかできないという。しかも、どれも2人前ということで値段は高い。ピッツァも1380円〜1780円である。
しかたないので、一番安いマルゲリータ(\1380)にしたのだが、けっこう大きかった。直径は30cm程あったが、皿からややはみ出している。これをあの丸いカッターで切るのだが、周りが大きく膨らんでパリパリに硬くなっているため、カッターで切るのではなくて割わないといけない。当然、皿より大きいから全部皿の外に割れた生地が飛び散るという仕掛けだ。食べ終わってお皿がなくなると、飛び散った生地が円になっているという何とも情けない状態になる。
さて、マルゲリータは最もポピュラーで単純なピッツァだ。薄く伸ばした生地に、トマトソースを薄く塗り、モッツァレラチーズをどんと載せて、バジリコの葉を3枚ほど載せるというモノだ。これが、イタリアンカラーの赤白緑である。
彦根市内の「Piccolo Bosco」という店で、駐車場は3カ所にある。まあ、お客に良い提案ができたり、お客の意見を取り入れる融通はなさそうな感じだ。専門店だが、お客を迎えるんだという気持ちが足りないように思う。特に、真ん中付近のテーブルで仕入れ業者と原価の話をしているくらいだからなぁ。
でも、マルゲリータの味は良い。飛び散った生地の後味が悪かったけど・・・。
川尻がノーヒットノーランを達成した。ちゃんと9回の投球は見てたぞ。よかったなぁ。
隠れたエースだと思ってたけど、これで本物だってことだな。
久々に「ポム・ド・テール」で夕飯を食べた。
カルボナーラがなくなっていたことは非常に残念だ。ここのが一番豪華で美味かったのになぁ。
ホタテのガーリックバター焼き(\1200)にライスとスープを付けて(\450)もらい、ハーブやきとり(\400)を追加した。
スープはいつもの緑の空豆スープ。かぼちゃのより甘みが柔らかい。見た目も非常に鮮やかだ。
ホタテは小振りの物が6つ7つ乗っていた。ベースに引かれたトマトソースにもガーリックバターがしみこんでかなり濃いおもしろい味がした。ポテト、人参、オクラ、ブロッコリーが彩りに添えられていた。
さて、チキンはちょっと焦げが味を落としているように思った。それにチキンは中もきちっと焼いて欲しかったかな。
そこの奥さんと同じ髪型になっていた。それにしても中学生に見えてしまうからおかしい。俺も少しは若く見えるらしい。
俺は相撲が嫌いだ。まあ、男の裸を見て喜ぶ気にもならんが、何よりインチキ臭い。
若乃花が横綱に昇進するかもしれんと言っているが、負けが3つもあるのに最も強い男の称号を得るのは笑止である。
また、今日の千秋楽の取り組みは簡単に武蔵丸が土俵から出てくれたという風である。
どんぐりの背比べで、興行のための話題作りのために横綱が決まるのなら、ただのブランドしかない。
幾ら観客数が減っているとはいえ、妥協をするなら、それこそ角界の先はすぼむだけであろう。
そういう閉鎖的で自己満足的な空気がとことん嫌いである。
昼はピノーリ、夜はポポラーレへ行った。
ピノーリでは「アマトリチャーナ」(\1200)を食べた。トマトがたっぷりで、ベーコンも程良く柔らかく適量であった。トマトの味も濃く、手軽でバランスの良いパスタだ。
ポポラーレではオイルソースベースの「タコとバジリコ」(\900)のリングイネにした。バジルの香りができあがるまでに漂って来てかぐわしい。タコの歯ごたえは良かったが、リングイネの弾力が足らなかった。前のよりやや細かったのかもしれない。
今日は朝2時に起きたから7時までインターネットをしたり、オンラインでディアブロをしたりしていた。それから11時ゴロまで寝直して、昼に草津へと出かけた。パソコンの指導をして、簡単なプログラムを製作して戻ってきた。
草津のモスバーガーがなくなっていた。どうも、近くにあるマクドナルドと同じ人がオーナーだったらしく、完全に乗り換えた形になったそうだ。ファーストフードはほとんどマクドの一人勝ちだろうな。草津駅前のミスタードーナツは改装中である。この店は近畿でも有数の売上高を誇るそうだ。そういえば、ダンキンドーナツはまったくダメらしい。吉野屋のグループなので、順次牛丼屋に変身するそうだ。
やっぱ、ロッテリアのリブサンドが好きだな。そして、ケンタのチキン。この2品で十分だ。
デジタルカメラを持って琵琶湖畔をドライブしてみた。幾つもの公園が作られているが、どこへ行っても釣り人がいて、大勢でバーベキューを楽しんでいたり、絵を描いている人もいた。
まずは烏丸半島を遠景から撮影し比叡山を共に収めようとしたが、山肌はかすんで色が分からない。琵琶湖の水もこのあたりではゴミが浮いて透明度も低くかなり汚れている。
琵琶湖博物館も撮影しようと半島に入ったが、近すぎてうまく収まらなかった。博物館の周りは芝生や人工の砂浜など自然を作っていた。家族連れならそれなりに楽しめるのだろう。
その後、しばらく南へ向かったが、遠景が綺麗に撮れないので大津まで行くこともないと引き返すことにした。中主から景色を見るために琵琶湖大橋の北へと行くことにした。
その道すがら佐川急便の厚生施設が集まる場所で、佐川美術館の看板を見つけた。2月程前に新聞に載っていたのだが、あまり興味はなかったが、寄ってみることにした。それにしても入館料1000円は高い。
確かに外観はシンプルで綺麗なモノだった。周りを水で囲まれた美術館である。建物の横の回廊を回って入り口にたどり着く。ここには二棟の建物があり、シルクロードの画家・平山郁夫氏とシベリア抑留から生還した彫刻家・佐藤忠良(ちゅうりょう)氏の展示が行われている。
平山氏の作品はシンプルな線と色づけの水彩画と砂で書いたような凹凸のクッキリした油絵があった。水彩画はほとんど仏像や仏殿の絵で、その筆致は私のモノに似ている。そういう意味では親近感があったかもしれない。でも、こんなシンプルで金取っていいのか?というのが正直な感想だったりして。しかし、油絵は大きさも迫力があったが、砂漠の3連作などとても神秘的な色をしていた。昼は金に、夕は朱に、夜は蒼く輝いているのだった。
展示は細かく小部屋に仕切られて、細い廊下でそれらをつないでいるのだが、余裕を持って飾られていた。来館者も少なかったせいか、見る方も余裕がある。廊下や小部屋は白い壁に統一され、薄明かりの中で落ち着いた雰囲気を出していた。
もう一棟へは左右がガラス張りになった廊下を渡る。
平山氏の作品はどこか懐かしさに溢れている。裸婦像が多いのだが、中には見覚えのある作品もあった。ほとんどが人の全身像か頭の像である。下町のおじさんなど生き生きとしていた。最後の方には実際の人物より大きな見上げる作品もあった。それにしてもあれだけの裸婦像が並んでいると足早になってしまう。まあ、絵にしてもじっくり細部を見たところで、どうするわけでもないのだが。
結局、1時間か1時間半で佐川美術館を出た。まあ、後から思うと一見の価値はあるということ。ただ、入館料が800円だったら迷わず入っていた。京都の美術館など30分で見終わってしまうから高いと思うことがしばしばだけど、観覧の時間のめやすが分かるらないので困るんだな。
さて、まだ2時半なので、中主の方へ向かって車を走らせる。なぜだか鮎家の郷まで来てしまった。いや、中へ入ってしまった。
ハッキリ言って、ここは土産物屋である。工場見学や高い食事もあるが、漬け物や魚などの加工品が沢山あって、どれも試食ができようになっている。
イカナゴはなかったが、小鮎の飴煮(\400)と芋ようかん(\390)、ワラビ餅(\500)、鱒の生スモーク(\600)を買った。このワラビ餅が粘りが強くて腹一杯になった。
4時頃に家に帰ったが、疲れて寝てしまった。結局、8時頃に布団を引いて寝てしまった。そして、夜の2時に起きてしまう。
この間、守山の旧中山道を車で走っていたら、お寺の前に格言が掲げられていたのに目を留めた。
何が珍しかったかというと、その言葉がサッカーのブラジル代表(ジュビロ磐田)のドゥンガのモノだったからだ。「夢には命をかけるモノだ」というような言葉だったかな?さて、今日から車のナンバープレートが希望番号制になったけど、車を買い換えたらどうすんのかな?アメリカみたいに売買はできないんだよな。なんか、つまらんよな。
世の中には便利なモノがありすぎて困る。
私はリモコンが好きでない。使わないわけではないが、あの沢山のボタンを見ていると無駄なモノばかりに見えて仕方ない。そして、いざ使うときにはどれがどのボタンか分からない始末。
コンピュータは触っていても、自動車やオーディオは良く分からない。だから、こだわりも偏っていて、ミニコンポを買ったのも、ラジオがタイマーで鳴らすことができ、2・3時間で終わるモノならなんでも良かったのだ。それこそ単体のラジオでも良かったくらいだ。それが、コンポのシリーズの上位機種しか対応していなかったため思い切った買い物になってしまった。そして、沢山のリモコンボタンに悩むのである。
先日、こんなこともあった。全自動洗濯機を使っていたのだが、洗いの次の濯ぎに進んでくれないのである。初めからやり直しても、マニュアル操作で濯ぎを選んでもピーピーとうるさく鳴くだけだ。結局1時間ほど悪戦苦闘した結果、フタを閉めたら動いたのだった。こんなことで動いたわけだが、逆に言うとこんなことで止まってしまうのである。
サービスが過剰でコストが高いことは無駄である。安全を無駄と言っているのではない。選択肢として過剰サービスのない製品があっても良いと言うこと。
どちらにしても、無駄なコストを価格に転嫁しても売れない時代になってきているのだ。
インドネシアで暴動が続いているが、日本でも5年後にはそういう事態になるのだろうか。
消費税が10%になっても、それはないだろう。これは良いことなのか。
権力に怒りをぶつけることは正常なことである。そうして、悪いモノを良い方向へ向ける必要はあるのだ。しかし、見て見ぬ振りになれきった日本人は、それを自分のことではないと思いこむことで、他人のことには口出ししないのである。
デパートの商品を略奪し、火を放つ行為はただの八つ当たりである。公共料金の値上げに対しての暴動が、ただの物欲を満たす強盗になってしまっている。これでは何の解決もしないだけで、自分で自分の血を流して遊んでいるに過ぎない。だから、日本ではこんなバカなことは起こらないだろう。
だが、本当にどちらがバカなのか、それは歴史が過ぎ去ってから分かるのであろうか。
野村証券の社長が国会の尋問に出たそうだ。自主廃業の発表の時とは異なり知らぬ存ぜぬという態度らしい。
自主廃業は明らかに世間の目をくらます手段である。倒産ということになると、債権者に資産を配分するために公の調査が隅々に入り、隠れた資産・負債の全てが世間にさらされるのである。いくつかは白日の下にさらされたとは言え、法の追求はできないのである。だが、借金だけの問題ではないのだろう。例えば、顧客情報も重要な企業資産である。これらには政治家や官僚の名も連なっていることだろう。それらを守るための自主廃業なのである。
私は性格上、1つの事を一気にやらないと気が済まない。だから、ゲームをやるときも1時間やったら次のゲームとか休憩なんてことができない。12時間ぶっ通しということも平気である。まあ、コーヒー飲みながら休憩のつもりのまま続けることが多い。
昔は仕事でパソコンの授業をするためにテキストを作っていたときは、夜の11時頃に帰宅して朝方の4時頃までテキストを作っていた。4時間寝て出勤する。それを1週間続けても2時間の授業で終わってしまう。また、次の1週間が始まる。
今日も、昼から終業までずっと入力作業をしていた。甲西町統計資料からの略年表をホームページ用に入力していたのだった。約40年分の簡単な年表である。
後半嫌気がさしてきたのは作業が単調だからではない。その公共事業のやり方である。
特に今の町長になってから、毎年のように沿道にモニュメントを製作しているのだ。ああいうものは町民全体にとって心に刻むべき出来事があったときにすれば良いのであって、毎年訳のわからんネーミングの、いわゆるダサイものに金をかけているのである。どこにあるのかも分からないものに税金を使っているのだ。その他にもあれこれと意味のない物を作っている。意味のない物というのは町民が本当に欲しいと願っていない物という意味である。
役人も田舎のオヤジも、自分が築き上げた城を見上げて満足したいだけなのだ。本当は自分が汗水流していないのに、これは俺がやったんだと悦にはいることができればそれで良いのである。だから、他人には無駄で意味のない物しかないのである。
ことに、今月の議会録にもあったが、町が作った第3セクタの会社に町長が社長として収まっている。その会社の経営内容は一切公表されていない。しかも、その会社が三雲駅前の土地を買収し、町がその借入金の利息約1億円を毎年支払っているという。これは暴挙である。第3セクタとは言え、1企業である。その借金の利息を町が支払ういわれはない。何より、町長がそこの社長である必要性がないのだ。これは明らかに私服を肥やすためのシステムである。会社の資産=社長の資産を維持するために町が税金使っている。そんなことが許されてしまうのだ。
田舎の町政なんてしょせんは土建屋と百姓しかいないのである。冥土に自慢話を持って行かねば気が済まないのだ。そんなヤツらにとっとと引導を渡さないと、町政も道ずれになるであろう。犯罪も公職にいれば自由にできるのである。これが日本の実状である。
正月以来、久々に京都へ行く。夜の京都は1・2回あったが、日中の京都は久々なのだ。
友達の車に乗せてもらって、途中、瀬田の「マッキー」で昼食にする。
この辺りは今では4つのパスタ専門店があるが、その中では1番古い。と言っても、4年程か。それにしてもここも久々だ。
店内は10坪もないのではないか。座席数は23席、カウンターとテーブルがあり、ほぼ満席だった。カウンターには色々な知恵の輪が置いてあって、遊ぶことができる。テーブルは小さく分割して間隔が狭くなっている。
ランチはAの1000円から800円、600円まである。600円というと単品でもなかなかない値段だ。下のコースになると選べるパスタの種類が減るようになっている。Aでは5種類の中から選ぶのだが、ここのメニューは日本語で分かりやすい。山の幸とか海の幸とかミートソースというようにだ。まずここは、ミートソースデラックスというやつに決めた。スープ、パスタ、サラダ、デザート、コーヒーがセットになる。
まず初めに、スープ。ミネストローネはタマネギとベーコンがしっかりとした形あるモノが入っている。トマトの味が濃く出ているため、多くない量で調度良かった。
次にパスタだが、ここの皿は非常に大きい。そのためか、パスタが少量に見えるが、食べてみると結構な量なのだと分かる。ミートソースは赤と言うよりは黒である。ハンバーグソースのような色合いと濃い味だった。それでも、赤ワインの風味がする。でも、トマトの味というより、デミグラスソースに近いような気がする。
パスタはやや太め。アルデンテではないが、弾力ある歯ごたえの良いパスタである。乾麺が飾ってあるので、生麺ではないのだろう。感じはその中間だった。
サラダはパスタの皿にホタテ貝の殻を置いて、その上に少量が載っている。
デザートは、ヨーグルト風味のアイスクリームにブルーベリーのソースがかかっている。
コーヒーは通常のカップサイズだ。
全体を通して感じたのは、どこか喫茶店風の味である。そういう意味では大味なのかも知れない。量が多いため割安感はあるかもしれない。まあ、ランチで600円は貴重と言えば貴重かも知れない。
京都では、ナムコワンダータワーで遊んで、バージンメガストアでパフィーと小松未歩のCDを買った。
そして、晩飯は寺町(京極)の寿司屋へ行く。クルクル回っていない寿司屋である。
穴子、平目、サーモン、トロ、数の子と2カンづつ食べたところで、メニューに気づいた。平目とトロは時価である。しかも、1カン幾らの値段表だった。250円から400円とあるが、400円と言っても2カンで800円である。時価について聞くと、ウニが一番高くて900円だそうだ。ウニ嫌いで良かった。でも、すでに時価を4カンも食べてしまった。
それにしても、ネタが大きいのである。サーモンや貝柱なんか、シャリより厚みがあるのだ。
その後、甘エビ、鯛で締めくくった。だが、友達は最後にウニに手を出したが、量を半分にしてもらった。結局、二人で1万円だった。途中、キュウリ一本を細工して切ったモノと、ナスの握りをもらった。キュウリは新鮮で、塩も付いていて美味かった。しかし、ナスは元来から見るからにダメなのである。
とにもかくにも大満足である。今度はすき焼きが食べたいな。それにしても、自前で食事にこれだけ使ったのは初めてではないだろうか。
今日は昼に起きて、「ピノーリ」へ行った。前回で味をしめたというわけで、今回はランチセットに挑戦だ。
ランチのBセット(\2500)にする。前菜、パスタ、メイン、デザート、コーヒー(紅茶)だ。
前菜は3品が1皿に載っていた。チーズ入りライスコロッケ、トーストした食パンにトマトソースを乗せたカナッペ、トマト・ズッキーニ・ナスの漬け物みたいなもの。どうも美味いと思うモノはなかった。特にズッキーニとナスは怖々と食べた。味はなかったが余り好きではない。
パスタは3種から選択する。カルボナーラにした。具は回りをカリッと焼いたベーコンだ。細かく砕いたペッパーが入っているが時々風味が来る程度。クリームもどっしりとしたモノではなく、やや軽め。うーん、期待しすぎたかな。カルボナーラは「ポム・ド・テール」の方がうまい。パスタもアルデンテとはいえなかった。
メインディッシュはアナゴがないというので、チキンにした。平べったいもも肉をたっぷりのアーモンドと香草で揚げているようだ。表面はカリッと香ばしいのだが、肉汁のないチキンは好きでない。
デザートはチーズケーキ、カボチャのプリン、リンゴのコンポートだ。カボチャのプリンはカボチャの味が出ていて甘みもほんのりなのだが、後のは甘い。最近甘いモノが食べれなくなってきたので、甘すぎるように感じた。
という訳で、前回とはうってかわって文句ばっかりになってしまった。アラカルト(単品)があまりにも美味かったので、その差が出たようだ。その後、Aスクエアの本屋へ行った。フランス語講座の本が7冊くらいあった。なんだよ、良かった。
夜、自分で髪の毛を切ってみた。少しだけ後ろに束ねるようにしてみたが、後ろの見えないとこを切ったら短くやりすぎてしまった。久々に頭が軽くなった。シャンプーも楽だし、乾かすのも楽である。また、伸びるからこれでいいや。
今日は蒸し暑かった。菩提寺の在所の祭りがあったけど、年々寂しくなっているような気がする。
フランス語講座の本を探して本屋を駆け回るがどこにもない。4月号が1冊残っているのに5月のは一つもないのだ。甲西、石部、野洲、守山の本屋を奔走したが無駄足であった。