今日は一日で5食も食べた。お腹が痛くなるはずだ。うぃ。
イタリア料理店と言う店はどんどん増えている。しかし、本当にそれらはイタリア料理店と言えるのだろうか?
イタリア料理店と言いながらパスタかピッツァしかないような店が多く、喫茶店風の店もまた多い。パスタ(スパゲッティ)料理はイタリア料理の一部であって、その総称ではない。
厳密に言えば、パスタも範囲が広く、リゾット(米)やニョッキ(ジャガイモ)もある。しかし、手間のかかるそれらがメニューにある店は本当に少ない。
パスタは日本のおにぎりやどんぶりのように、ファーストフード食品なのだ。
もし、どんぶり専門店があってもそれを日本料理とは称さないだろう。それと同じようにパスタ専門店はあっても、それをイタリア料理店と呼ぶには不釣り合いだ。
前菜は別にして、やはりパスタ以外のメインディッシュ(プリモア・ピアット)がなければイタリア料理店とは言えないのではないだろうか。
宅建の勉強を本格的に開始する。がんばろう。
無責任で稚拙な行為の事件が多数起きている。
現代人の実年齢は7掛けがちょうど良いという人がいるそうだ。20才で14才、50才で35才となる。人の寿命が50才から70才へと延びているのだから成長の段階も相応に間延びしているということだ。
確かに感じているのは昔と同じように義務教育を15才まで、高校を18才までとしているが、これでは足りなくなっているのではないかと思っている。
30才までは勉強するべきとも思っている。世の中の仕組みが理解できてくるにはそれくらい時間が必要なのだ。
20年ほどの人生では社会を知るには短すぎるのだ。ましてや、高校を卒業するまでにどれほど社会を知る機会があるというのか。
例えば、中学か高校を6年生にし、その中に社会活動を取り入れて行くべきだろう。実際に商店で仕事を手伝ったり、ボランティア活動を行ったりという実生活に関わりながら自分の将来像を育てる時間が必要なのではないだろうか。
ネットの世界では現実にその人の存在を確かめる術はない。
ある日、事故で亡くなっていても、彼のメッセージは存在し続ける。
無反応な彼に周囲はどう反応するのだろう。
人は疑問を抱くだろうか?それとも忘れてしまうだけだろうか。
ひっそりと存在を訴え続ける亡者が今もどこかにいるのかもしれない。
大人は果たして子供にとって鑑となっているか?
自分に甘くては子供にしつけはできないのは当たり前で、大人が自制しないで、子供に自制を強いるのはしつけではなくただの傲慢と写る。
極端でハッキリしている例が、援助交際である。
これは大人が要求するから、子供が応えるとも言える。
大人が自制をし、子供を諭すことができれば、そういう安易な行動は受け入れられないと知るだろう。
しかし、現実はそうではない。どちらにも自制心が欠けているのだ。
もはや個々の問題ではなく、連帯責任なのだ。
日本人は相変わらず集団行動が好きなのだが、責任までは取りたくない。自分の責任で何もできないから団体行動の中に入ろうとするのかもしれない。
これからますますネットに安息の地を求めて人はやってくるだろう、しかし、そこは逃げ場のない地獄なのかもしれない。自己責任というすべてのリスクを背負うのだから。
昼にオリーブ・キッチンへ行く。混むので早めにと思い11:30に行ったのだが、すでに混んでいた。
やはりおばさんばかり。サラダ・前菜・ドリンク取り放題はやっぱり効果絶大。
手長エビのバジルソース(\1480)を食べた。手長エビとムキエビが入っていて、クリームと混ぜたバジルソースは非常に軽く爽やかだった。フランスで食べたエスカルゴ料理に使われていたソースがこれだったことに気が付いた。
前菜は3品食べて、パスタが来るまでにお腹は一杯。パスタもかなりボリュームが多い。ジュースも2杯飲んだ。で、もちろんドルチェ(\380)を追加する。
紅茶を飲みながらティラミス、洋なしのコンポート、マロンケーキを食べた。しかし、ほとんどダウン寸前。
店員の女性の応対が良く。非常に気持ちよく食事を終えることができた。その後は大津西武へと向かった。噂に聞いていた幻のパスタを買うためである。
なんとアネージのパスタも置いていたが、ショートパスタばっかりで、スパゲッティは1つもなかった。代わりにアルチェ・ネロの全粒粉スパゲッティを買う。そして、幻の手作りパスタVoiello(ボイエロ)は以外に安かった(250g/500円)。袋も普通のナイロンだし。
それに、桜井食品のパスタもあったのには驚いた。思わず買ってしまった。ついでにパスタソースも買ったが、こちらは青の洞窟のボロネーゼとサーモンクリームにした。
あと、ピンクペッパー(\1000)を買った。赤い殻付きの胡椒でちょっと甘く不思議な食感なのだ。クリームソースのときに使いたい。
さて、これで明日からの楽しみが増えた。
夜、二人でカーサ・コロニカへ行く。
まず値段が全体的に下がっていて、コースも一人分から注文できるようになっていた。
全面的にメニューを見直したらしく、パスタの種類も10種類に増えていた。
コースメニューは4000円と5000円。前菜が5品もあり、パスタに肉料理と魚料理の両方がついているのでボリュームがある。
しかし、単品で好きなものを選ぶことにした。
前菜にホタテとタコのカルパッチョ(\1600)とガーリックトースト(\400)。スープはミネストローネ(\500)とワタリガニのスープ(\800)。パスタにサフランのリゾット(\1300)とボロネーゼ(\1000)。肉料理はフィレステーキのトリュフソース(\2600)。デザートにクレームカラメル(\600)、クレームブリュレ(\800)とそれぞれミルクティー(\450)を選ぶ。
こう書いただけでも相当な量である。合計でコースより高くなってしまった。
前菜のホタテとタコは大きくて、タコはいつまでも口の中でなくならない。うまい!
スープはやっぱりワタリガニ。これは格別のうまさなのだ。
サフランのリゾットには大きなホタテとプリプリのエビ。ボロネーゼも独特のよく煮込んだソースなのだ。
フィレ肉は切るときは柔らかかったが、食べると結構身が締まった肉だった。赤ワイン風のソースも割とあっさりして食べやすかった。
デザートのクレームカラメルって、プリンだった。それも3つ。私はクレームブリュレを食べる。マンゴーのジェラートとイチゴがついていた。このクレームブリュレ、見た目はティラミスのようだった。上にカラメルがかぶっていなくて、粉チョコがまぶしてあった。確かに柔らかくてクレームブリュレの中身だった。
ちょいと食べ過ぎたかもしれない。まあでも、久々にうまいものを食ったという、満足感があった。
出がけにオーナーと話したが、値段を下げて量を減らしたと言うことだったが、量は思ったほど減ってない。その割に値段の下がったものが多いので、これはお得かもしれない。それでも、ちょっと一人では食べるのは辛いかもしれないな。
低落したモラルは簡単には戻りはしない。
子供を叱らなかったまま成長させると、大人になってからも叱ることはできないだろ う。
これは明らかに親の責任だ。自分の子供も叱れない親が、他人の子供を叱ることはできない。
そうやって、叱られることを知らない人間が、感情の衝突で爆発するのではないだろうか。制御の方法を知らないのだ。日本の社会は核家族化と言われてもう1世代は経つだろうか。
そんな中で親戚縁者との交流も少なくなっているのではないか。
いわゆる家族ぐるみの付き合いとか、友達を家族で迎え入れるようなこともない。
親族が家族という単位に分割され、今また家族が個人という単位に切り刻まれていく。これが果たして個人を育てることになるのだろうか?
同じ家に同居する友達同士ではないのだから、もっとお互いのプライバシーに踏み込むのが家族に必要なことかもしれない。
雨、今日は一日中シトシトと降っていた。
今日もCGIで頭を悩ませる。疲れた。いろいろ世の中困った事件が相変わらず多い。
公務員、大学関係者、医療関係者と問題が尽きない。
日本人には仏壇を拝む習慣がないという話を聞いた。ようするにキリスト教の十字架のように、自分の姿を映す鑑となる神様に拝むようにだ。
当然、お寺自体がそのような説法を行っていなかったから、先祖に顔を見せる時以外、仏壇を開くこともない。
結局は何もかもを形骸化して、簡素化したつけが来ているのだ。何のために何に拝むのか。その正しい理由を誰も知らないのである。
これは一般の教育についても言える。正悪を教えるのにその意味を教えなくては判断力は身に付かないのだ。
正しい判断力の欠如が、モラルの欠如を生み出していく。もっと自分たちの欠点を見直す必要があるのだろう。が、そのための理性も欠如し始めていないだろうか?
集団の中で歩みを合わせるよりも、立ち止まって行く先を確認するくらいの余裕は欲しいものだ。(それは政治家の仕事なんですけどねぇ)
あちこちの桜を見て回る。と、言っても地元の桜並木巡りだ。
ゴミゴミと混んでいるところで飯を食うのは好きでない。花見は花見、飯は飯と分けてもらいたいものだ。何より桜とは対照的に見苦しい。
夕方には岩根にあるオリーブという店に行ってみた。どう見ても喫茶店という作りだ。外観からしてらしくない。
店に入っても「いらっしゃいませ」の声がないとちょっと不気味かもしれない。でも、フランスじゃ客が先に挨拶するんだよね。日本じゃ常連の店でしかやらない。
メニューにはパスタの種類は多かった。ピッツァも8種類ある。メニューには書いていないが、外に書いてあったのでパスタセット(\1300)を注文した。これがセットでは一番安い。
ペスカトーレ、グレープフルーツジュース、デザートの組み合わせにした。
量はそこそこ、パスタは1.8mmだろうか。家庭でよく使われるマ・マーのサイズだ。具にはアサリ、エビ、イカ、タコが入っていた。ん?ムール貝はないのか?イタリアンらしさが足りん。
オリーブオイルの匂いがちょっと強い。トマトソースの方も少しもらって食べたが、トマトの味が出ていない。
やっぱり喫茶店並と言う感じだ。帰宅してから友達に聞いたら、そのまた友達に喫茶店風だといわれて行くのを止めたらしい。やっぱりそうなのだ。
久々に一人でパスタを食べに行く。
やっぱりこういうときはポポラーレ。いつも雨の日に行くけど、土砂降りの日が多い。今日もそうだった。
たらばがにとバジルのパスタ(\1200)があったので、それにしてみた。
オリーブオイルとバジルの香りが心地よい。これだ!これなんだ・・。
まあ、時季はずれのカニは仕方ないですな。カニだけは贅沢を知っているので、3〜4cmの太さの足を味わった者から見ると1cmほどじゃあ、「あ、カニだ」ってくらいのもんです。
本物のたらばは「おおっ!カニじゃぁぁぁっ!」ってくらい感動します。足の2・3本も食べればお腹一杯。
それはそれで、久々にパスタに浸ったのであった。
たばこをが原因で病気になって死亡したと、3人の遺族が13億円の損害賠償を勝ち取った。
米国のたばこ業界はこれほど馬鹿馬鹿しい賠償金を支払わされる。
フロリダ州の全喫煙者が賠償請求を起こしたら31兆円の規模になるだろうと言う。
たばこを吸うのは個人の意志である。それが麻薬のように禁断症状があることは周知の事実で、それを規制しなかったのは国の責任であるのに、メーカーだけが責任を負う。
そして、その嗜好品を楽しんだ人(家族)にお金が支払われる。
じゃあ、喫煙に迷惑している人たちはどうなる。実際には嫌煙者こそ損害賠償の資格があるのではないかと思う。
マック会のオフ会。
お昼にピッコロ・ボスコでペシェ・ランチ(\1880)を食べた。
最初にブルスケッタ、次にパスタ(ポモドーロ)、魚料理、パン、クレームブリュレ、紅茶と続く。
パスタは細く、ぶつ切りのトマトが入ったスープはうまかった。魚は見たことのない白身の魚を1匹煮込んだものだが、小骨が多く食べにくかった。
パンは魚料理と一緒に出てきたが、パスタの時に欲しかったな。
クレームブリュレは、ちょっとバニラビーンズが足りない感じだった。クリームもややゆるめで、表面のカラメルも薄い。
まあでも、魚以外は全般的に満足である。