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Sword of Dullahan

 



ジークフリート (二十九歳)
アロマ派ゲリラ武装団「フェンリル」  親衛隊「デュラハン」  隊長

 



 時は宙陽暦7415年7月26日。

 惑星ダルニアはここ八年間秩序の回復されぬまま、ノア統合政府の圧政が続けられていた。

 宙陽暦七四〇七年の三月暴動と七月暴動によって、エリア3(アリクトレア)エリア4(シーネリス)の一部はスラムと化し、宙陽暦七四一一年のニオン暴動においてはひとつき以上に及び、エリア5(ニオン)全域と他エリアのスラム街がダルニア民主解放戦線(FDLD)によって占拠された。

 以来、ゲリラ活動は絶えず、中央政府高官はこの忌まわしい惑星に足を踏み入れなくなった。全権がダルニア地方議会に与えられ、ダルニア自治議会として民を抑圧し始めると、政局はますます悪化した。政治の腐敗は今に始まったことではなかったし、改める態度などこれっぽちも伺えなかった。政治家の対立も深まり、死の商人が暗躍していた。

 もはや、緊張と不満は最高点に達していた。

 小石が水をはねただけでも、大騒動になり兼ねないところまで来ていた。

 そしてついに、一石が投じられた。鉛の一撃であった。

 一昨日の正午に起きた過激派の最右翼アロマ・レイヴァノーン暗殺未遂事件である。

 幸いにして弾丸は彼の急所を外したらしい。

 弾丸(タマ)は一発しか撃たれなかった。

 犯人の男はアロマの身辺警護の男達に、彼らの帯刀する剣によってすぐさま切り伏せられた。

 こうして、何者かによって投じられた鉛の「石」は水面に嵐を呼んだのだ。

 幾つかの悲劇の幕開けである…。

 

「アリクトレアは完全に封鎖できたわ」

 その一室に入りざま、リオ・レイヴァノーンは口火を切った。

 朱染めのやわらかなシルク調の衣に純白の腰布を巻き付け、その両端を膝の後ろまで垂らしている。右腰には小刀を一本帯び、足元は黒のロングレザーブーツ。

 黒の長髪は後ろで束ねて垂らし、銀縁の眼鏡の奥には知性の光がたたえられている。

 室内の5人はその様にさっと彼女を見定めた。

 彼女は、彼らとは対照的な人間であった。

 朱色の赤は彼らのチームカラーである。

「お嬢さん、その格好…」

 アドルフ・ギュゲスが意外さを露にした。

「おかしっくって?」

 彼女は部屋の中央に歩み寄りながら有無を言わさぬ視線をギュゲスに送った。

「いや…」

 彼は言葉に詰まって、再び彼女の出で立ちを下から順に眺める。思ったよりスタイルは良かった。

 彼女は彼を無視して前方の男に顔を向けていた。

「お久しぶりネ、ジークフリード」

 彼女の声は挑戦的であった。

「ああ…」

 ジークフリートはそっけない返事をした。別に名前の語尾を濁されたためでも挑戦的な態度のためでもない。

「相変わらずネ」

 彼女がそう言うのも毎度のことだ。

 ジークフリートと彼女が出会ったのは4年前のニオン暴動の時であった。以来、別々にではあるが、反政府ゲリラの中心人物として戦ってきた。

「将軍(ジェネラル)は今、どうされているのです?」

 細面の中背の男、ノルン・フェッダーマンが横から聞いた。朱絹の上に朱色のプレートメイルを装着している。茶色がかった髪を自然に分けている、目立たない男であった。

 その誠実そうな瞳にリオ・レイヴァノーンは目を合わせられないでいる。

「何時までもこんな所にいたって仕方ねえしよ」

 アドルフ・ギュゲスも不精面を彼女に向けたままだ。彼のやや大きめの体にはレザーメイルが装着されている。

「将軍(ジェネラル)は前線視察に向かわれます。もちろん警護はあなた達五人だけです」

「まだ、多少の小競り合いがあると聞きますが…」

 朱色のライトメイルに身を包んだ長身の美女が口を開いた。

「今日のところは時間の問題です。明日からは本格的な戦闘になるのよ。今からそんなことを心配しているようでは困りものネ」

 彼女は冷やかな視線をコティ・エルメスに向けた。

「口が過ぎるな」

 チェインメイルを朱絹の下に着込んだ金髪の貴公子、ブライアン・ディーデュオが冷徹な瞳で彼女を見据えて言った。彼の黒い腰布に細身の一刀が携えられている。

 リオは彼に逆らわずに言葉を続けた。

「視察はまず、ニオン方面から…。夕方までにシーネリスへ移動して、明日の朝にはブラッドレーを抜けて、午後までにルーネトンに到着、そして、夜までにブリュンヒルトへ行ってもらいます」

 彼女は、彼らの囲む卓上に広げられた地図を指で辿りながら、事も無げに言った。

 「強行だな」

 ギュゲスが漏らすのも無理はない。ブラッドレー(エリア7)とブリュンヒルト(エリア1)は、特に後者においてはほぼ一〇〇%敵中である。ニオン(エリア5)、シーネリス(エリア4)、ルーネトン(エリア2)にして完全に味方についた訳でもない。

「冗談じゃ…」

 ノルン・フェッダーマンがつい口に漏らしたのも無理はないのだ。

「もちろん冗談じゃないわ。分かるでしょう。私達の戦力は微々たるものなのよ」

 リオはジークフリートに目を向けていた。

「そう言うことか…」

「ええ…」

 彼女はジークフリートの言葉にうなずく。その瞳は知性の光を失わない。

ノルンが顔をこわばらせた。

「そろそろ、私も持ち場に戻るわ。そのつもりで一時間以内に準備をして」

「その格好でか…」

「私は親衛隊(デュラハン)担当のチーフよ。いわばあなた達の一員ネ。よろしく」

 ギュゲスの問いにそう答えると、彼女は踵(きびす)を返して扉の向こう側へと消えて行った。

「まだ何か、奥がありそうだ」

 堪まらなくなってノルンがこぼした。

 消えて行ったリオ・レイヴァノーンを鼻で笑って、ジークフリートは言った。

「強かな小娘だ」

 デュラハン達はそんな言葉に薄い笑みを浮かべた様であった。

 

 ジークフリートは朱に染まったハードメイルを愛用していた。プレートメイルよりも重厚で重さもかなりのものだ。逆に軽くて薄いのが、コティの着ているライトメイルである。彼のハードメイルは他の騎士と違わず右肩に騎士の紋章(ナイツ・エンブレム)を、右胸に騎士の階級章(クレスト・オブ・クラス)、そして左肩にはチーム・エンブレムと、それぞれ黄金色で飾られている。

 騎士の紋章(ナイツ・エンブレム)はその騎士個人の紋章で最も誇りある装飾の一つである。右胸の階級章(クレスト・オブ・クラス)は「騎士(ナイト)」のもの。左肩のエンブレムは親衛隊(デュラハン)のチーム・エンブレムであった。

 輝く黄金髪は長さを整え、自然に中央から分けられている。朱のハチマキを締め、その両端は肩に届く程度。ハチマキの額部分には金糸でデュラハンのチーム・エンブレムが縫いつけられていた。ハチマキは隊長の印である。

 足元は黒のロングブーツ。軽いレザー製であった。

 全身を包む朱色の衣は皆と違(たが)わぬ物である。紫の腰帯は両端を隠している。

 腰の左には細長の剣が引っかけられていた。ロングソードだ。

「いいねェ」

 アドルフ・ギュゲスがため息と共に漏らす。

「いやらしいわよ」

 コティ・エルメスの怒気を含んだ声音が聞こえた。

「お堅い女だねェ」

 ギュゲスがコティをからかっているのだ。

 ジークフリートはじっと窓の外を眺めている。

 その背後、左後ろにノルン・フェッダーマンが近寄って、声を掛けて来た。

「ジーク。スミュルナ・キュプリスと昨日、会ったのか?」

 遠慮がちな口調で、何とも無遠慮なことを言う。

「いや…」

 ジークフリートは静かに言葉を風に乗せた。

「危険だよ。あの娘は別世界の娘だ。何故こんなことに首を突っ込んだのかは知らないけど、やばいよ」

「……」

「あの娘、ジークのことが好きなんだろう。だからこんな所に居るんだ。何とかしなくて良いのか?」

「何とかって、俺に何をさせたい?」

「本気かよ。何もわかっちゃいないのか?」

 ジークフリートは振り返った。冷静な表情だ。

 壁にもたれたブライアン・ディーデュオと視線が合う。そして、すぐさまノルンに移す。

「俺に何をしろと…。何もできんな」

 そう言って、首を軽く振る。

「なんて男だ。まったくよう」

 ギュゲスの台詞に、ブライアンが視線で圧する。

 ジークフリートの右手がゆっくりと上がった。その顔は穏やかである。 ポンと、ノルンの肩を叩く。

「分かるよ。分かるがな…」

 ジークフリートは再び窓外に目を移した。

 その瞳は悲しみに満ちていた…。

 ブライアン・ディーデュオがすうっと壁から離れる。黙ったままその部屋を出て行った。

 アドルフ・ギュゲスも、すれ違いざまにコティのお尻を触って出て行った。

 コティ・エルメスもその場を立ち去らざるを得なくなり、扉の外へと消えた。

 と、すぐさまドアがノックされた。

「スミュルナ・キュプリスです。よろしいですか?」

 穏やかな美声がそう告げた。

「ああ、良いよ…」

 ノルンが躊躇(ためら)うように言った。

「失礼します」

 ドアが開けられ、若い少女のような女性が入って来た。

 ノルンがすぐ目の前に来ていたので、驚いて足を止める。

「あの…」

 ノルンは彼女の言葉を振り切るようにして出て行った。

「あの…」

 スミュルナ・キュプリスは誰に言うともなく、立ちすくんでしまう。

 ジークフリートが振り向いた。

 スミュルナの頬に朱色が注(さす)す。彼女も朱の衣を着用している。

「何だ」

 ジークフリートは中央のテーブルに一歩近付いた。

「リオ様が、西の広場に出て来るようにとおっしゃってます。…あの、他の方々は…?」

 控え目な口調であった。

 ジークフリートは何故か母を思い出した。決して、彼女と顔立ちが似ていた訳ではない。それも二十数年前の記憶であった。

 そんな自分を笑う。

 スミュルナが不可思議な顔でそんな彼を見返した。

「行こう。皆は先に行ったはずだ」

 ジークフリートはテーブルの手前で立ち止まる。

 それが何を意味するのか、彼女は理解したつもりであった。

「私、お先に…失礼します」

 スミュルナ・キュプリスは頭を下げて出て行った。それは恥じらってうつむいているようでもあった。

 ジークフリートは又、何事もなかったかのように、窓外へと目を移した。

 

 大型の運搬車両(トレー)が静かに走りだした。空気浮力式でないため、埃が巻き上がることは少ない。十本のタイヤが土をかむ音だけが遠ざかって行く。

 それを見送るのは、リオ・レイヴァノーンやスミュルナ・キュプリス達であった。

 民間車両の外見をしたトレーの中は数部屋に仕切られた移動基地であった。

 もちろん、その中に居るのはデュラハン達である。

 アドルフ・ギュゲスはここでもぼやいていた。

 白いソファにどかっと巨体を預ける。

「ちっ。何だってんだ」

 内心は皆同じ気持ちであった。

「今更、我々に隠し事なんかしたって…」

 ノルン・フェッダーマンもギュゲスの隣に腰を下ろして言った。

 皆、鎧を脱いで、楽な格好をしている。

「やばいぜ、こいつぁ」

「ある意味では囮 (おとり)だな」

 ジークフリートはギュゲスの真顔に答えた。

「全くその通りだよ」

と、ノルン。

 リオは将軍(ジェネラル)が乗っているのか言明しなかったのだ。

「そんなことは知る必要ありません。今言ったこと。奥の部屋には入らぬこと。それさえ守れば良いのです」

 彼女の言い方は有無を言わせなかった。

 コティ・エルメスがキッチンに入っていく。カウンターで仕切られているだけの小スペースだ。

「隠密行動ってことでしょう」

 カウンターごしにコティが言った。

「なら、我々に隠す必要はない。逆じゃないか!」

「しかし、ジェネラルは屋敷に居なければならん」

 ノルンの熱気にブライアン・ディーデュオの涼しい声が被(かぶ)さる。

「一応は命を取り留めたってことだが、あの年だからな。ブリュンヒルトの病院へ移す気かもしれんな」

「向こうさんは、一週間以内にこの混乱を正常化するとニュースで公言しやがったからな」

 ギュゲスがジークフリートに同調する。

「昨日の昼以来、将軍(ジェネラル)の姿を見ていないからな。ノルンが興奮するのも分かるが、どちらにしろ俺達はそれだけ危険な仕事をするためのメンバーだということに変わりはない。ジェネラルが乗っていなければ、囮として、乗っているなら親衛隊として仕事をすれば良い。俺達はデュラハンに変わりはないのだし…」

「長い台詞だな、ジークフリート」

 ギュゲスは明らかに分かったと首肯くのだ。

 ノルンはまだ納得していない。

「我々を試しているのか…?」

「そんなことはないでしょう?」

 コティが冷たい飲物を人数分トレイに乗せて運ぶ。

「そうかな?」

 ブライアンがトレイからグラスを二つ掴むのを見ながら、最後のぼやきを口にするノルンだった。

 ジークフリートはブライアンからグラスを受け取り、笑みを浮かべた。彼は以前からノルンを知っている。何と言っていようと、結局は与えられた使命を遂げる男だと。

 コティは手渡しで二人にグラスを与えてからソファに腰掛けた。

 ギュゲスが静かに語り出す。

「なあ、忘れちゃだめだぜ。俺たちゃ傭兵だってことをよう。生き残ることだけ考えていりゃ良いんだよ。てめぇは頭の使いすぎだ」

 ゴクッと、喉を鳴らしてグラスの中味を一気に飲み干した。

「おまえもたまには使えば良いさ」

「ちげぇねぇ」

 ノルンの言葉に笑って首肯くと、ギュゲスは立ち上がった。

「モニター、付けといた方が良いんじゃねぇか?」

 そう言いながら、車の前方側の壁にある四つのモニターに近付いて行く。

 言うまでもなく外の様子を知るための物だ。前部・後部のモニターが縦に並び、その両脇に右部・左部のモニターがしつらえてある。奥に入るドアを挟んでテレビのディスプレイが設置されている。

「これじゃあ、テレビを見てたら監視がおろそかになるな」

 そう言いながら、ギュゲスは監視モニターのスイッチを入れた。四面が同時に外景を映し出す。

 ギュゲスがソファに戻る前にジークフリートがその対面のソファに腰掛けた。

 最後にブライアンがその隣に座る。

「ニヴィス・ハイリィはエリア3に入ったのか?」

「情報はないわ」

 コティがブライアンに答えた。

「ニヴィスが来るまでは敵を抑えないと…」

「弱気だな、ノルン」

「そうじゃないよ。ニオンもシーネリスも味方だからね。アリクトレアは北部を守備するだけで良いんだし…。でも、ブラッドレーとネルトリンゲンは…」

 ノルン・フェッダーマンはアドルフ・ギュゲスを見ずに言った。

「ルー・ウェッソンとダノルア・スミスか…」

 飲み干したグラスを置きながらジークフリートが二つの名前を出した。

「ルー派とハバロフスク派に挟撃される形だからね…」

「どうした、ノルン。向こうさんも同じだろう。俺達はそのためにブリュンヒルトまで行くんだろうが」

「分かってるよ、ジーク。そう、うまく行くと思うか?」

「さあな」

 そこで、ギュゲスが口を開く。

「何だって?俺たちゃあ、何しに行くってんだよ」

「おまえ、何も考えてないのか?ブリュンヒルトだよ。ユングット派だけじゃないんだぞ」

「ジェノウ派か!まさか、ランバス・ドモンに会いに行くなんて言わねぇだろうなぁ」

「その通りだ」

 ブライアンが口元に笑いを浮かべてギュゲスに言った。

「冗談じゃねぇぜ!そんなら、このままバシェロまで突っ切って、ジョアン・ハイネスに会やあ良いんだ」

「おまえな、ジョアン・ハイネスが動く訳がないだろう。ジェノウ派が動かん限り、ログム派は中立を保つだろうな。そういう奴さ、ジョアン・ハイネスという男は…」

 ギュゲスはノルンを見ずにジークフリートに目をやって言う。

「そうかい。ジョアン・ハイネスだってデュラハンがおでましとありゃあ、手伝わせてくれと言うと思うがな」

「ほお…」

 ジークフリートはギュゲスの瞳の奥に光る自信に驚きの声を漏らしたのだった。

「ぶち壊す気か?ジークもまじに受けちゃダメだよ」

「てめぇ、一度ぶっ殺してくれる」

 ギュゲスは半分本気でノルンを睨める。が、視界に入ったコティ・エルメスはそんな様子を笑顔で見つめていた。

 チッと、舌打ちして、一度ジークフリートに目を移し、視線が合うと虚空に逃げた。

「案外、ニヴィス・ハイリィがブリュンヒルト、バシェロ辺りに居るやもしれんな」

 誰に言うともなくブライアン・ディーデュオが言った。

 ジークフリートがそちらを向く。

「奴のことだ、何処かで俺達を待っているかもしれんな」

「リオがそっちも糸を引いてたりして…」

と、ノルンが同調する。

「かつてない旅になりそうね」

「そう言うことだな」

 ジークフリートは答えながら笑っていた。

 皆、言おうとすることを言わない。

 誰一人本音を言わないのだ。

 そうだ。

 彼らは傭兵なのだ…」

 戦を生業(なりわい)とするプロフェッショナル。その選ばれた者達が親衛隊デュラハンなのである。

 

 エリア5、通称ニオン

 そこに入る二〇分前に彼らは防具を着用していた。

 インターフォンを通じて、運転席から知らせを受けていたからだ。

 検問は難なく通過し、幾つかのバリケードを通り反政府軍のニオン本部に到着した。

 そこは昨日までニオンの警察本部だったビルである。

「ただの噂じゃなかったってことか…」

 トレーを降りてアドルフ・ギュゲスが一番に口を開いた。

「行くぞ」

 ジークフリートは何もかもが当然だという風で、彼らの先頭になってビルへ向かう。

 その彼らの様子を見て、人々が歓喜の声を上げた。

 朱炎の騎士団は、誓いの血判よりも濃く、人々の心に強く作用するのだ。

 彼らの姿は勝利をも確約する。

 ビルの戸口に立っていた二人の守衛も満面に朱を注して、彼らを出迎える。

「これは、ご苦労様です…」

 他に気の利いた台詞は思い付かなかったのだろう。

「ジークフリートだ。ロード・カストゥールに会いたい」

「伯爵は四階の本部長室におられます。ご案内いたしましょう」

「いや…。国士(コマンダー)は伯爵と呼べと言ったのか?」

「いえ、市民の間ではそう呼んでおりまして…」

「分かった。ありがとう」

 ジークフリートはちょっと肩をすくめる様にして、笑みを残してガラス戸をくぐった。

 他のデュラハンが颯爽と続く。

 

 その一室にカストゥール・ハーヴァンは居た。

 大きなテーブルを挟んで、その向いのソファに座っているのは背の低い小柄な老人であった。長く無造作に伸ばされた白髪に隠れるようにして両眼が炯々と開かれている。それだけが生命の脈動の証であるかの様だ。

 テーブル上には何枚もの地図が映し出されていた。

 どうやら各エリアの地図らしい。

「外が…騒がしいのう…」

 老人の口から疲れた声が独り言のように漏れた。

「前線から朗報でも来ましたかな…」

 若い貴賓のある声でカストゥール・ハーヴァンが答えた。

 すると、コンコン…と、木製風のドアが鳴る。

「誰かね」

 彼はノックしたのが衛兵でないことに気づいて言った。

「親衛隊隊長ジークフリートと他四名です」

 その声を聞いて、彼の腰は条件反射のように浮き上がっていた。

「入りたまえ」

 そう言いながらも待ちきれずドアへ近付く。

「失礼します、伯爵」

 ジークフリートはドアを開けて一礼した。後ろの四人もそれに倣う。

 カストゥール・ハーヴァンは笑いながら出迎えた。

「“伯爵”か。まあ良い、入れ」

 彼は“伯爵”と呼ばれることを少なからず疎(うと)んでいる様だった。

 ジークフリートは軽いジョークのレベルで皮肉ったつもりだ。

「君に言われるとはな…。嫌な世の中になったものだ…」

 二人の間に笑いが起こる。

 ハーヴァンが彼らを室内に導こうとして体をひねると、老人がソファから立ち上がってこちらを見つめていた。

「ああ、こちらは」

 ハーヴァンは思いだしたように老人を紹介しようとした。が、その老人の言葉が遮ったのだ。

「久しぶりじゃ。面白い取り合わせじゃのう」

 抑揚のないしゃがれた声だが、その瞳は益々爛々(らんらん)と輝き始めたのだ。

「ゴッド・ファーザー!」

 驚嘆の声は五つ。耳を疑ったのは六人で会った。

 デュラハンの五人が各々個別に“ゴッド・ファーザー”なる人物と面識があったのだ。

「おまえ達…」

 ハーヴァンも今更ながら彼らと老人の存在について驚かざるを得なかった。

「主(ぬし)らがデュラハンだったとはな…。ワシも知らなんだ」

「御老人こそよく御無事で…」

 そう言ったのはジークフリートである。

「何々…」

 “ゴッド・ファーザー”ことロンダネル・リッチモンドは口元で笑っていた。

「“エリクの商人”は無事なのですか?」

「ニオン暴動の後、すぐ解体されたと聞きましたが…」

 ノルン・フェッダーマンとアドルフ・ギュゲスである。

「そう…。確かに“エリクの商人”は死んだ。表向きはな…。今は眠っておる…」

「そこを、私が起こそうというのだ」

 出番を取り戻したハーヴァンは五人に場所を与えて座らせた。

 お互いを教え合わない傭兵達であったが、ここに一つの共通点を見いだし、何処となくデュラハン達の表情は何時にない明るさに包まれていた。

 だが、ここで彼らがロンダネル・リッチモンドを知っていたということは、彼らが裏の世界で随分と名の通る者達であることを証明することになるのだ。

「だが、どうして突然ここに…?まさか、将軍(ジェネラル)も御一緒か」

「それは言えません。分かりませんと言うべきですが…」

「そうか…。聞くまい」

 ジークフリートの返答に何か特殊な任務で彼らが動いていることを察知し、笑顔を作るカストゥール・ハーヴァンであった。

「だが、何用で私の所に…」

「前線の視察に行く前にご挨拶をと思い」

「らしくないことを…」

 言いながらも嬉しさを隠さないハーヴァン。

 ジークフリートはテーブル上に目を止めた。

「これは?何か作戦でも…」

「いや、違う。今は関係のないことだ。それより…」

 テーブルの映像が切り替わる。エリア5、ニオンの地図がテーブル一面に広がった。

「現状況を見てもらおう。これを見たまえ」

 赤い矢印カーソルが街の北へ動く。

「北部は依然として敵勢力圏だ。だが、戦場は次第に北へ移動している。いささか危険な形ではあるがな…」

 地図に勢力範囲が色別に塗り分けられる。味方が七割、いや八割を占めているように見える。凸型のように中央が北へと抜き出ていた。

「ホウ…。中々だな」

 声を上げたのはアドルフ・ギュゲスだ。

「でも、見た目程じゃないでしょう」

「実質は六割強ってとこかな」

 ノルン・フェッダーマンがコティ・エルメスに相槌を打つ。凸型と凹型では同面積でも前者の方が大きく見える為である。

「まあ、そんな所だ」

「敵の主力は何処だ。展開されたらお仕舞だぜ」

「敵は既に左右に主力を分けたと思われる。このままでは突出した軍勢は左右から挟み打ちだな。だが、逆にだ。我々が先に敵を中央から分断すれば…」

「持つのか?」

「持たぬかな…。だが、策はあるぞ。まだな…」

 ハーヴァンは不敵な笑いをジークフリートに向けた。

「我々の出番ですか?」

 ノルンが改まった口調で言った。

「そうだ――」

 悪びれずに答える。

「敵の主力に奇襲をかける。まさに君達向きの仕事だと思うがな…」

 最後の方で声のトーンが落ちた。

「何か?」

 ジークフリートが心配そうに尋ねる。

「君達の任務があろう…。将軍(ジェネラル)をお守りするのは君達の最重要な任務であろう?」

「どうだかね――」

 ギュゲスがすっとぼけて言った。

「将軍(ジェネラル)がトレーに居るのかどうか、俺達にも分からねェんだからな」

「ギュゲス」

 ジークフリートが彼を目で圧し、たしなめる。

「トレーか!あれなら行ける」

 ハーヴァンが突然大声を上げた。

「あれならば、敵の前線は突破できよう」

 それを聞いて老人が急に笑いだした。

「フォッフォッフォッ。あの様なものがなくとも、デュラハンなら大丈夫じゃ。ワシの知っとるこやつらじゃったらなぁ。のう、ジークフリート、“ソード・オブ・デュラハン”よ」

 このリッチモンドの言葉に何人が一瞬腰を退いたであろうか。“ソード・オブ・デュラハン”とは聞きしに及ぶ剣の使い手であり、先のニオン暴動での陰の英雄であった。

「なるほどな…」

 そう首肯いたのはブライアン・ディーデュオである。その彼にも老人の言葉が飛んだ。

「“氷の騎士(マーシィレス・ナイト)”、“冷血なる貴公子(ハートレス・プリンス)”と呼ばれた男もいる」

「まさか…」

 ハーヴァンは額に汗をにじませて彼を見た。皆も驚きを隠さないでブライアンの端正な顔立ちを見つめる。

 コティ・エルメスは微かに腰を浮かせていた。

「貴方(あなた)が…あの…ディー・クレシェット…?!」

「そうじゃ…」

 ブライアンの代わりに老人が答えた。

 おもむろに立ち上がるコティ。

「ウソ!ウソよ!そんなの…」

 涙まじりに叫ぶ。

 今度は老人が黙る。皆も押し黙ってこの異様なさまを見守っていた。

「嘘ではない――」

 そう言いながらブライアンは立ち上がる。

「だが、私を…ディー・クレシェットの名で知っていようとは…」

「…アルバート・ミレアムを…覚えていて?」

 コティはテーブルに腕を付いて、うつむいたまま涙声で尋ねた。

「…いや、知らぬ」

 ブライアンの声のなんと冷たいことか。

 大粒の涙が数滴、拭(ぬぐ)われることなく卓上に落ちる。

「ダルニア聖騎士団の男よ…。七月暴動の際、お主が切った“青き孤狼”のことじゃ…」

 辛そうなコティに代わり、ロンダネル・リッチモンドが静かに語った。

 七月暴動

 様々なゲリラ組織とダルニア聖騎士団の入り交じった乱戦だった。当時、三大ゲリラ組織としてあったのが、ダルニア民主解放戦線(FDLD)、Medusa of Drniea(メデューサ・オブ・ダルニア)、Dis Pater(ディース・パテル)である。

 メデューサ・オブ・ダルニアとディース・パテルの対立が他の中小のゲリラ団を巻添えにして血で血を洗い、聖騎士団が漁夫の利を得た形で終結を見たのだった。だが、真に漁夫の利を得たのはダルニア民主解放戦線であったことは歴史が証明している。

 八年も前のことであった。

「私は…、私はラーシア・コティ・ミレアム。メデューサの“雷光の女神(パラス・アテナ)”よ、ディー…クレシェット…」

 コティの言葉に憎しみが感じられた。

 “電光の女神(パラス・アテナ)”

 メデューサ・オブ・ダルニアの首領カーリー・シンディに付き従う、メデューサ一(いち)の剣術士。

 それがラーシア・コティ・ミレアムであった。

 ディー・クレシェット

 この名は極小数の者しか知らない。彼は流れ者の剣客であった。只(ただ)、他人(ひと)は“氷の騎士(マーシィレス・ナイト)”、“冷血なる貴公子(ハートレス・プリンス)”と彼のことを呼んでいた。だが、彼は七月暴動で死んだとされていたのだ。あれ以来、彼を見たものは誰一人としてなかったからだ。

 ディース・パテルの刺客として、カーリー・シンディを倒した男…。

「………」

 ブライアンはじっと彼女を見つめて立つ。

「…アルバート・シン・ミレアムは私のたった一人の兄…、たった一人の…。カーリー・シンディさえも…貴方は…」

 蚊の鳴くような声となり、彼女は一生懸命に鳴咽(おえつ)を堪(こら)えているのだ。

「座りたまえ、弁解はせぬがいずれ…、いや、後で話そう…。さあ…」

 ブライアンは優しく彼女に声をかけた。

 ゆっくりと腰を下ろし、テーブルにつっぷすコティ。

 それから彼もソファに座り直した。

「…ここにも聖騎士団上がりの男が一人居(お)る」

 老人は嘘ぶく様に静かに言った。

「な、何を…!」

 この期に及んで己の、しかも老人が知らないであろうと思われた過去に触れられて、ノルン・フェッダーマンは思わず声を上げてしまっていた。

 皆の、もちろんコティと老人以外の視線が彼に向けられる。

「あ、ああっ…」

 自責の念が彼を唸(うな)らせた。

「その実直さ故に味方に恐れられた男…。“神風(かみかぜ)の騎士”…。ニオン暴動の際には“ソード・オブ・デュラハン”と対(つい)をなした、“スキュータム・オブ・デュラハン”…。ティターン十二柱の一人、“クレイオス”でもあったのう…」

 ロンダネル・リッチモンドは眼窩の奥から彼を鋭く貫き、なおもその口調は淡々としている。

「ゴッド・ファーザー…、貴方と会ったのは“クレイオス”の時に一度きりだったと思います。何故…!?」

 ノルンはそこで一旦(いったん)言葉を跡切(とぎ)らせた。

 何故…!?その問いかけは愚かなことだ。老人は死の商人なのだ。取り引きするのに相手の情報は裏も表も厳重になってしかるべきだ。

 しかし、何故…?新たな疑問が湧(わ)いた。

「…何故、全てを…」

「ならば、言わせてもらおう。お主は何故(なにゆえ)、過去にこだわろうとするのか。断ち切るところを断たねば、死に急ぐことになろう…」

 老人の語気は強く、ノルンに決断を迫っていた。

 それは正しいと皆に理解できるものだ。今、聖騎士団は完全なる敵なのだ。このニオンにいる主力部隊こそ聖騎士団の一隊なのだ。

 これは、これからの彼と、これからの戦の行方にも係わる重大な問いかけなのだ。

 ノルンは心の内で葛藤を繰り返す。今まで何度も試みたように、否、それ以上に自己の心を闘わせて、額に苦渋の汗をにじませている。

 老人の視線はアドルフ・ギュゲスを捕らえた。

「お主が最年長者じゃな、“ラグナロック”」

 それは静かな声音であった。

「その様だ…」

 ギュゲスの声は以外に落ち着いていた。全身は冷汗を流していたけれども…。

「お主ほどの男は他にいまい…」

 リッチモンドの両眼が朧(おぼ)ろげに見えた。

「御老体…、死に急ぐことはないと思うが…」

 自信に溢(あふ)れた言葉が空を滑る。

「そうじゃな…。気を付けよう」

 老人は死んだ様に黙り込んだ。

 ギュゲスはフウッと息を軽く吐いて、椅子の背にもたれた。が、小さく微かにうめく様にして背を離す。背筋を流れる冷汗が冷たかったのか、気持ち悪かったのか、その両方であったのか…。

 誰も言葉を発せなかった。

 カストゥール・ハーヴァンでさえも目がおろおろと動いている。

 コティの泣き声は小さくなっていた。

 老人が息を吹き返したかの様に深く息を吐(つ)いた。

「ジークフリート…。昔、お主に頼まれたことだが…。調べはついておる…」

 静かに、ゆっくりと一語一句を次(つ)いで行く。

 ガタッ。

 ジークフリートの体が動いた。

「本当か…!?」

「間違いない…。その男の名はカルロ・ザノベッティ

―」

 皆の意外な視線が二人を襲う。

 ノルンは緊張の面持ちをさらに強く、コティは静かに顔を上げていた。

「そして、息子レオンハルト・ザノベッティ…」

 ガッタン!

 ノルンが誰よりも早く反応を見せたのだ。彼の腰が浮き上がり、椅子が勢いよく倒れた。

「後は“クレイオス”に聞けば良い…」

「…ノルン…」

 ジークフリートが苦しげにその名を呼ぶと、彼は項垂(うなだ)れて腰を下ろした。崩れたと言うべきか。

 隣にいたギュゲスがいち早く彼の椅子をその下に戻してくれた。

 ハーヴァンは堪まらなくなり、老人に向かって言った。

「七日しかないのですよ。なのに何と言うことを…!」

「七日しかない…。だから言ったのじゃ」

 そう言いながら、つと立ち上がり、

「ハーヴァン、彼らが見事ニオンの北門を突破できたなら、幾らでも援助をさせていただこう」

 老人は案外しっかりと床を踏んで歩き、ドアを開けて出て行った。

 後に残ったのは沈痛な面々である。

「何が…」

 ハーヴァンが自問するように口にした。

「何が起こるのか…」

 その口調に自信の欠(か)けらは微塵(みじん)もない。

 ガタッ…。

 音を立ててジークフリートが立ち上がった。

「行こう。我々は傭兵だ。考える前に動こう。ブライアン、行くぞ。ギュゲス、コティ、ノルン…、三人はトレーで待て」

 ブライアン・ディーデュオとアドルフ・ギュゲスが立ち上がる。

「本気か、ジークフリート」

「もちろんだ。二人を頼む、ギュゲス」

「わ、分かったよ」

 投げ遣りな口調で返答し、ギュゲスは椅子に戻った。

「本当に二人で…」

と、ハーヴァン。

「一時間もあれば片付くでしょう。話は又、後で聞きましょう」

 そう告げるとブライアンを促し、扉を開けた。

「では、失礼…」

 二人の影が厚い扉の向こうに消えて行く。

 ハーヴァンは老人リッチモンドの言葉を思い出し、心の中で大いに呻いた。

 "Sword of Dullahan" - Siegfried.

 "Merciless Knight","Heartless Prince" - Brian Diduo.

 "Squtam of Dullahan","Kreios" - Noln Federman.

 "Pallas Athena" - Cotty Hermes.

 "Ragnarok" - Adolf Guges.

 デュラハンは間違いなく最強の軍隊だ。

 ハーヴァンは己の身体が震えているのに気が付いた。

 身体が汗で冷えきった為であったか、否、否……。

 彼は確信を得た気持ちであった。

 彼らは、生きて再びロンダネル・リッチモンドに会うだろう、と。

 



 

Siegfried / 29-year-old
Aroma's faction Guerrilla gang "Fenrir" Bodyguards "Dullahan"  Commander

 



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