ブライアン・ディーデュオ 二十六歳
コティ・エルメス 二十七歳 アロマ派ゲリラ武装団”フェンリル” 親衛隊”デュラハン” 隊員 |
宙陽暦7415年7月26日
朱を注(さ)した影が二条、闇から闇へと走り行く。
先頭を行くのは朱色のハードメイルを身に着けた男、ジークフリート。
その後を追随する朱色の衣に身を包んだ男はブライアン・ディーデュオであった。
陰から陰へ、陽に当たると二人の金髪が陽光を撥(は)ね返す。
二人は仲間と別れてから一語も口に出さない。
お互いの過去が明かされた直後の驚嘆がいまだに続いている為であろうか。
その表情を見るからには、今までと何ら変わりはなかった。
殊(こと)に、ブライアンはいつも無表情で寡黙な男であったから…。
だが、その心は過去の出来事に返っていたかも知れない。
時を同じく。残されたデュラハンのメンバー3人はトレー内にいた。
誰一人口を開く者もなく静寂に包まれて、身動きさえもでき得ないようでもあった。
アドルフ・ギュゲスは目を閉じて、ソファに深く腰掛けて眠っているように見えた。
ノルン・フェッダーマンは虚(うつ)ろな瞳で車外を映すモニターを見ているようで、実際は虚空に視線が搖れている。
そして、デュラハンの紅一点、コティ・エルメスは…、二人と同じくソファに座っていたが、うつむいたまま、まだ少し悲しみの中にあるようだ。
彼女も又、過去の悲しき思い出を辿(たど)っていた。
宙陽暦7407年7月12日―――
張り詰めた糸が切れ、ついに幕が落とされた。それが、五日前の七月七日、星夜祭の日であった。
事の始まりは不明のまま数々の憶測が飛び交い、そこかしこで戦火も飛び散っていた。
三月暴動以来の火種が狂気の炎柱と化し、シーネリス(エリア4)を中心に殺戮の嵐が巻き起こった。
そして、ついにここへ来て戦火は小さくなりだしていた。
「”クロス・オブ・ダルニア”が”ナイツ・オブ・デュラハン”にやられた」
「”ディース・パテル”だ!”ナイツ・フリーダム”も終わりだよ」
「持たんらしいぞ。”メデューサ・オブ・ダルニア”が終結している」
「聖騎士団が動き出したってよ」
「”ナイツ・オブ・デュラハン”が反乱軍になったらしいぜ。だが、ダメだ。遅すぎたぜ」
様々な情報が飛び交う。
そんな街角の一角で一人の男と一人の女が剣を構えて対峠していた。
八年前の若きブライアン・ディーデュオ、この時の名をディー・クレシェット。対するは”メデューサ・オブ・ダルニア”の首領、カーリー・シンディ。
二人がここで会ったのは偶然ではなかった。
それに気付いて、カーリーが口元に笑いを浮かべ口を開く。
「中々やるようね…。私に御用かしら…」
「………」
「知ってるわよ。貴方の名前を…。”ディース・パテル”かしら?」
「そうだ」
「…そう。やはり、この騒ぎは奴らの仕業だったの…。でも、貴方に私は倒せないわ」
自信に溢れたカーリー・シンディは死の美しさをまとって見える。
ブライアンは半歩前進した。彼の若さは全くその年齢を窺わせない。八年後から見ても同じ若さに満ちている。
ドガッ!!
近くで爆音が轟く。地面が搖れるのは錯覚ではない。
カーリーが一歩間合いを詰めた。真紅のプレートメイルが小さく鳴る。左右の肩と右胸に三種の紋章を抱く。
ブライアンは紫に染まったライトメイルを身に着けていた。彼は紋章を持ってない。
「不思議な男よ…」
カーリーの言葉は風に消える程度のものだった。
剣を握った右掌にグッと力がこもった。
ブライアンの右足が大地を蹴ろうとしたのもほぼ同時の動作に見えた。
「待て!!」
怒号のような一声が見事に二人の動きを封じたのだった。
その一声を発した男は青く輝くハードメイルを着て、同色のマントを翻して威風堂々近付いて来る。
一目でその姿がダルニア聖騎士団の隊長クラスであることが分かった。
黒髪の男は憎悪の瞳をカーリー・シンディに向けているのだ。
「何故(なにゆえ)止めた」
カーリーも負けじとその男に向き直る。
男の足が3人の間合いを等間隔にして止まった。
「おまえが死んでいた…」
「助けはいらぬ」
「誰が!俺はおまえをこの手で罰しに来たのだ」
男はゆっくりと剣を抜き払い、正眼に構える。
カーリーは明らかに嘲笑を目に浮かべた。
「聖騎士も地に墜(お)ちたか。私などに私怨とは…」
ブライアンには女が強がっているのが分かった。力の差は歴然、しかも、二人の敵がいるのであるから。
男の精悍な顔に一際憎悪が強まった。その瞳を見ても、ブライアンは彼の誠実さを感じ取っていた。
「カーリー・シンディ!俺の名はアルバート・シン・ミレアム。おまえの右腕の兄だ」
「ラーシアの…!?」
この時のカーリーの動揺は彼女の戦意を雲散霧消した。
「左様。妹を帰してもらうぞ!」
数歩で男が跳んだ。
ゴッ!
「ぎゃあっ!!」
硬い生々しい骨を断つ音と女のこの世のものと思えぬ絶叫が空中に蟠(わだかま)り、割(さ)けた。
カーリーは血を噴く右肩を左手で押さえ、苦痛に顔を歪ませて片膝を付いた。
その側に丸太然として転がっているモノは、剣を握り締めた右腕である。
ブライアンの驚きは、この様(さま)で気を保っている彼女の精神力によるものであった。
男は一振りで鮮血を払い、剣を収めると振り返った。清清(すがすが)しい表情が彼の実力を誇示するかのようである。
「これで君を許そう。後は彼が許すかどうかだな…」
男はチラッとブライアンを見て言い、そのまま踵(きびす)を返し、立ち去ろうとする。
「待て…」
その声の鋭さに男の足が止められた。
「今…。待て?」
怪訝(けげん)な顔で声を振り返る。
カーリーも信じられずに己の耳を疑っていた。
「いかに貴様が正しくとも、許さぬ」
ブライアンの抑揚のない言葉は、騎士道に反した男のやり方に対して吐かれたモノではなかった。もっと、人道的なモノなのだと二人は理解したであろうか。
「許さぬ…と」
聖騎士隊長の両眼は少しでも目前の貴公子の実力を測ろうと輝きを増して、ブライアンを射る。
「………」
紫の鎧の前で正眼に構えたまま、彼は男が剣を抜き、身構えるのを待っているのだ。
(よかろう…)
男はすぐさまそれと読み取って、鮮血を吸ったばかりの剣をゆっくりとした動作で抜く。その間も虎視眈々と彼の力量を探ろうとしていた。
そして、男が同じく正眼に身構えるやいなや、一呼吸も置くことなく、ブライアンが素早い身動きを見せて討って出たのだ。
剣は二度交えられた。
一方の剣は相手の肩口に入り、もう一方は鎧の複雑なつなぎ目を貫き通していた。
致死の剣先は心臓にわずかであるが達していた。
これが力量の差による答えと言える。
男の剣は微かにブライアンの肩に触れただけであった。
男の顔は死の恍惚に似ていた。
ブライアンは剣を引き、1m程身を退いた。左肩のアーマーが墜ちる。
男の体が風に押されたかのようにして、ゆっくりと前傾して倒れた。
その時にはもう、ブライアンは意識の朦朧としかけたカーリー・シンディの側にいた。
ついに彼女の根気が尽き、倒れかかる体をブライアンが全身で支える。
カーリーは身を震わしていた。
「な…何故(なぜ)…私を…」
虫の息で言葉を継ぐ。
ブライアンは彼女の体をそっと路上に横たえた。
カーリーは己が涙を浮かべていることに気付いて、苦笑しようとする。
それが悔しさに依るものか別のものなのか、彼にはどうでも良いことであった。
遠くで、風に乗って人の声がしたように感じられた。
「俺の仕事は終わった」
そう言うと、彼は躊躇(ちゅうちょ)せず立ち上がり、見事な身のこなしで踵を返す。
風がさっと彼女の体をなぶり、過ぎ去った後には彼の影など微塵も残ってはいなかった。
遠くにあったと思われた人声は確実に近付いて来ている。
「シンディ~!」
女の呼び声だ。
ビルの向こうから現れたのは、コティ・エルメスの八年前の姿であるラーシア・コティ・ミレアムであった。
カーリー・シンディが”ディース・パテル”の剣客に狙われていることを知り、後を追って来た次第である。
その蒼き瞳に聖騎士の鮮やかな青が映った。
「シンディ!?」
その側に寝ている彼女にすぐ気が付いた。と、同時に走っている。
コティはまっすぐにカーリーに近寄り、彼女の体にしがみついた。
「シンディ?シンディ!?」
必死の呼掛けに答えるようにカーリーの顔が笑いを作ろうとするのだ。そして、何事か言わんと、唇を哀しく震わす。
「何?何なの?」
堪え切れず大粒の涙が頬を伝う。コティは彼女の口元に耳を寄せた。
「…ディー…クレ…シェッ…」
聞き取れたのはそれだけだった。彼女の息が途絶えたのである。
コティの全身全霊が深い悲しみに打ち震えた。
(ディー・クレシェット?)
脳はこんな状態にあっても、記憶の中から聞き知った一つの答えを導きだした。
だが、本当にそうであれば、真にD.クレシェットを指すのであれば、否定の要素はある。彼は女子供に手を出さないはずだからだ。
コティは今になって、カーリーの右腕に気が付いた。
こんなひどいことを彼(か)のD.クレシェットがするものだろうかという思いが、強く彼女の理性に呼びかけていた。
聖騎士の死体?
カーリーのすぐ側にマントを着けた男、これだけですばらしい剣技の持ち主と分かる聖騎士隊長のトレードアイテムを身に着けた男が倒れていることは不可解な構図である。
もしや、この男と刺し違えて…。と、思う気持ちと、一抹の不安が彼女を次の行動に移させた。
男の顔を覗(のぞ)き込んだ彼女の顔が真っ青になり、今まで保っていられた理性のたがが木端微塵(こっぱみじん)に崩れ去る。
五感の消えた彼女の身中でその音だけが存在していた。何時果てるともなく続くようにも思われた。
時が止まったのだと六感で知覚させられた。
風?吹いているの?
火?何処にあるの?
音?何かが震える?
私は?存在する?
(あっ!)
それまで動かなかった彼女の体が太陽を見上げた。
一瞬の静止であったかも知れない。だが、時はやはり動いている。
彼女は眩(まばゆ)い陽光の彼方に何かを見た。そして、その一瞬に意識の底で何かの鼓動を聞いた。
何かが彼女に生きろと言った。
それが、彼女自身であったのか、兄であったのか、それとも姉のように慕っていたカーリーだったのか。それは、今だに彼女には分からなかった…。
コティ・エルメスは泣き腫らした瞳を開いた。
そっと両手の指を絡める。
今はただ、二人の仲間が無事帰って来ることを祈るしかないと思った。
陰から陰をひた走る足音が不意に止んだ。
「あれだな」
ジークフリートが振り向かずに口にした。
彼の後ろに立っているのは、もちろんブライアン・ディーデュオである。
二人は強行突破を繰り返してここまで来たのだ。
「行くぞ」
二人は建物の陰を飛び出し、道行く一団の前に立ちはだかった。
「デュラハン!?」
男達の声が上がった。先頭に隊長らしき男と他に四人。
「我が名はジークフリート」
「私はD.クレシェット」
ブライアンがそう名乗ったことで二人は精神的優位を得た。
敵はダルニア聖騎士である。
「俺はギャレット・イーファース。聖騎士団十六番隊隊長だ」
そう言うとギャレット・イーファースは剣を抜いた。他の男もそれに倣う。
と、朱色の二人が動いた。
真青の五人の男も素早く応じる。
最初の二人が倒れるのは一瞬の後であった。
聖騎士は三人。
だが、次の二人もデュラハンの敵ではなかった。
「後は、貴様の首だけだ」
ジークフリートが剣を突き付けるように腕を伸ばして、ギャレットに狙いを定める。
が、ギャレットは不敵にも笑った。ジークフリートの胸に騎士の印があることに気付いたからだ。
「騎士(ナイト)風情がこの俺に盾突くとはな。しかも、その剣を持つとはな!この俺が、貴様を成敗してくれる!」
息巻く男の胸には竜騎兵(ドラゴンナイト)の印が刻まれている。
「貴様ごときがドラゴンナイトとはな。世も末だ」
ギャレットの言葉にジークフリートはびくともしない。確かに彼は聖騎士隊長の持つ階級よりも低い。だが、それは十年前の彼が得たものである。
「小僧と遊んでやるほど暇でなくてな」
そう二の句を継ぐと、彼は剣を収めた。
これほどの侮辱があろうか。
「おのれェイ!」
こんな挑発にいとも手易く乗って来るところがこの男の若さであり、未熟さであるのだ。
ドガッ!
男の剣はジークフリートには届かなかった。
ブライアンの一刀が、その胸に鎧のつなぎ目を通って突き立てられたからだ。
「愚かな…」
ブライアンは瞳を伏せてそう言った。
「どうして…」
ノルン・フェッダーマンが突然口を開いた。
「アドルフ・ギュゲス…、君は何者なんだ」
その静かな声に、何やら書き物をしていたギュゲスが顔を上げた。
コティも驚いて二人を見ている。
だが、ノルンの視線はいまだに空を切っていた。
ギュゲスは相手にせず、再び何やら書き始める。
すると又…、
「エスペラントを使えるなんてね」
ギュゲスの顔色がサッと変わり、キッとノルンを睨(にら)み付けた。
ノルンの瞳が彼の眼中に飛び込んで来たので、慌てて視線を逸(そ)らす。
コティもこの異様さについ口を開いた。
「エスペラント?」
「人為的に造られた言語さ。第二階級以上の人間なら皆知っている」
「誰だって覚えられるものだ」
ギュゲスは明らかに動揺している。
「大学院の上位レベルの話だな」
「…親父がそうだったさ」
「君の前で政府の公文書でも書いていたのか」
「なっ、何だと!」
先程までと打って変わって冗舌さが戻って来たノルンの言葉に、ついに彼は激しい反応を見せた。
だがすぐに、冷静を装う。
「読めるのか?」
「いや、読めないよ」
と、嘯(うそぶ)くノルン。
「なら、黙ってな」
ギュゲスは書き掛けの手紙の様なものをかたずける。
ノルンの表情は勝ち誇った男のようだった。
「”ラグナ・ロック”か…?」
そう言って、薄笑いを浮かべる。
「………」
「神々の黄昏(たそがれ)。フェンリルとオーディーンか…」
「さすが、”クレイオス”だな。”ナイツ・オブ・デュラハン”の智将”スキュータム・オブ・デュラハン”とはね」
「悪いか…」
「いや…」
二人は黙り込んだ。
どうなることかと心配して見ていたコティ・エルメスはホッと一息吐いて立ち上がる。
「コーヒー、入れましょうか」
「良いねェ。頼むよ」
「お願いします」
ギュゲスとノルンはソファにもたれて彼女に言った。
ピピピッ、ピピッ…
警告音が何者かの接近を知らせて鳴る。
コーヒーカップをテーブルに置いて、アドルフ・ギュゲスは外部モニターに向いた。
後方に誰かが近付いて来る。
ジークフリートとブライアン・ディーデュオだ。
二人がトレー内のリビングに入って、ソファに腰掛けると、コティが熱いコーヒーを運んで来てくれた。
何かを吹っ切ったつもりだった彼女もブライアンを前にして何も言えないでいる。
誰も口を開かなかった。
ジークフリートが四人の顔を見渡して立ち上がると、壁に取り付けられているインターフォンを取って、運転席の二人に告げる。
「西の門へ行ってくれ。敵勢力は残っているが突破できる。シーネリスへ向かおう」
伝え終わるとソファに座り、コーヒーを一口飲んだ。
重い沈黙であった。
フウッ。と、軽く息を吐(は)く、ジークフリート。
トレーが動き出す。
「シーネリスまでは十分時間がある。お互い、話しておくことはあると思う。なあ、コティ」
「え、ええ…」
力ない返事であった。
「まずは俺から話を始めねばな。…あのカルロ・ザノベッティ侯爵は皆も知っていよう…。ノルン、先にカルロの息子について聞かせてくれないか…」
「…ジーク…。何故、君が…レオンハルトを…」
悲しげな表情がノルンの言葉に豹変する。
その時のジークフリートは憎悪の塊であった。
ノルンは背筋が凍えるのがよく分かった。今思えば、自分はジークフリートについては何も知らなかったのだ。他のデュラハンのメンバーよりも長くジークフリートと居ながらも、彼らと同じだけのことしか知らないのである。
これは良い機会なのではないか。
そう思った。
「ジーク、いずれ我々は彼と剣を交えるだろう…」
ノルンは哀しい瞳をジークフリートに向けて、
「彼は聖騎士隊長の一人だからね」
と、淋しく瞳を伏せ、言葉を続けた。
Brian Diduo 26-year-old Cotty Hermes 27-year-old Aroma's faction Guerrilla gang "Fenrir" Bodyguards "Dullahan" Members |