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Saint of Devil

 



ニヴィス・ハイリィ     三十四歳
アロマ派ゲリラ武装団「フェンリル」 団長

 



 ゆらゆらゆら…っとタバコの煙がその身をくねらせながら虚空を旅し、やがて彼の頭上で闇に溶け行く。

 窓枠だけが残された無惨な窓から月明りが差し込み、その室内のほんの一部分を露にしていた。

 彼はタバコを足元に投げ捨て、ブーツで踏み消す。

 月光が黒の革ブーツに照る。

 誰かが重い吐息を吐(つ)いた。

「来るな…」

 誰に聞くともない様な彼の言葉は重く虚空を這う。

 のそっともう一つの声が起きた。

「”ラ・モワティエ”がやられた」

 薄く垂れこめた明りと暗闇の隙間に二つの影が見えた。

「時間の問題か?」

 彼は窓に近寄って歩いて行く。

 乳白色のマントが月明りを跳ね返す。

 紫色の衣をまとっているのがはっきりと見て取れる。

 大きな体を包むヘビーメイルに両手のアミュレット、共にマントと同色の雪のような白であった。

「聖騎士団のことはすでに聞いていよう」

 その声の主は40歳そこそこの男らしい。

「…ああ。ロキにバルダーか…。オーディーンも必死よ」

 低く、くぐもった彼の声は、白く塗られた鉄冑の下から発せられていたものだった。

 彼は窓辺で、月光をその身に浴びて屹立(きつりつ)していた。

「できれば流元との対決は避けたいものだな」

「もちろん…。我々は陽動なのだからな。やるなら明日にしてくれよ、ニヴィス」

 その名を呼ばれ月下の白冑が室内を振り返る。

 そして、又、低い声が流れた。

「そうだな…」

 そう言って、ニヴィス・ハイリィは月を見上げ、心中で呟いた。

(ラグナロック…。全ては君に懸かっている。頼むぞ)

 

 宙陽暦7415年7月28日―――

 ニヴィス・ハイリィは念願の朝陽を迎えた。

 ベッドから起き上がり、すぐさま武具を身に着けて行く。

 軽い食事を済ませ、数人の部下を集めた。

 昨夜、ニヴィスと語っていたフェンリルの副団長(サブ・チーフ)、ジャン=ジャック・ボナパルト。

 団長直属の龍騎兵隊隊長、シュレイン・マクドナルド。

 同副隊長、ジミー・フィッツジェラルド・オースチン。

 実動隊第二隊、第三隊の隊長。そして、傭兵隊の第二隊隊長。

 ニヴィスを含め、7名である。

「実動隊(ニッドホグ)は第一隊が壊滅、傭兵隊(ミッドガード・スネーク)の第一隊もアレックスが殺られて、生き残りは半数もない。敵は聖騎士団の数人が主力だったらしい。確信できる報告に寄れば四人だと言うではないか」

 ジャン=ジャックが昨日の報告を行っていた。

「傭兵隊(ミッドガード・スネーク)の生き残りは第二隊で戦わせろ。実動隊(ニッドホグ)第一隊の数名はここに置いておけ」

 ニヴィスが口を挟む。

「そうですな」

 そう短く答え、ジャン=ジャックは五人に向かって改まって言った。

「諸君、我々は勝利を目前にしている。神々の落日(ラグナロック)はフェンリルがオーディーンを飲み込んで終息するのだ。我らの作戦の第一目的は陽動である。今日の日没までは引き続きこれを行う。主に午前中は攻撃に出る。傭兵隊が速攻で敵を撹乱。なるべく奥深く入り込んで欲しい。実動隊(ニッドホグ)は敵を各個撃破。主力の龍騎兵隊は常動待機である。午後からは龍騎兵隊を前面に出す。実動隊(ニッドホグ)は左翼と右翼に展開させる。傭兵隊は各個に振り分ける。アドニスは別動隊を指揮してもらう」

「はっ!」

 傭兵隊第二隊隊長のアドニス・サキュリムが返答する。彼は名前に負けぬ男前と若さの持ち主であった。23・4に見えるが30に手が届く。

「別動隊は敵の腹の中へ深く入ることになる。最も重要か

つ危険な任務である。ボーダーラインを最大十キロ退(さ)げるつもりだ。そして、日没後に再び反撃に出る。今作戦の第二目的、占領に移る。作戦の細部は個別に話す。良いか。我々は敵の真っ只中にいる。生き延びたければ、今日一日を生きろ!明日の朝陽は我々だけのものだ。以上」

 熱っぽい言葉を最後に投げかけ、ジャン=ジャック・ボナパルトは退き下がった。

 ニヴィス・ハイリィが一歩、歩み出る。

「”背水の陣”という言葉がある。遥かその昔、大河を渡り、強大な敵に当たった軍が、船を焼き払い、食料をも捨て、数日の戦の末に敵の関門を撃ち破ったと云う。我らは今日一日をしのぐだけのことだ。だが、尚更に気を引き締めよ。己の心中を”背水の陣”にしておけ。解散!」

 彼の訓辞が終わり、他の者は軽く頭を下げた。

 ニヴィスは部屋を出て行く。後はジャン=ジャック・ボナパルトに任せておけば良いのだ。

 悠々と後ろ姿を見せて、自室へと戻って行く。そこだけが、今の彼には安息の地である。彼が唯一、その白冑を脱いで素顔でいられる所なのだ。

 ドアに鍵を掛け、窓の閉じられていることを確認すると、その冑を取った。

 薄暗い部屋の中である。

 ニヴィスは白冑をテーブルに置いて、ベッドに腰掛けた。

 外光はブラインドから床だけを照らしている。

 彼は己の顔を両手で覆いじっとしている。

 しばらく静寂が続いた。

 そして、不意にノックと女の声が起きた。

「ラグナロックはこちらにおられましょうか?」

 ニヴィスがハッとして顔を上げ、答える。

「間もなくワルキューレが連れてこよう」

「イェルナ・ヘンダーソンです」

 女の小声が、すぐさま返って来た。

「今、開ける。待ってくれ」

 そう言いながら、ニヴィスは扉に近付いて行く。

 鍵を開け、ドアをゆっくりと押し開けると、そこには若い娘が立っていた。

「入れ」

 そっと小声で合図する。

「は、はい」

 イェルナ・ヘンダーソンはニヴィスの素顔に気押されながらも、廊下に人影のないことを確認してから室内に入った。

 鍵が再び掛けられる。

 その小さな音に思わず娘が振り返った。

「どうした」

 イェルナの不安な様子を見て取って、ニヴィスが優しく声を掛けると、彼女は彼の顔から視線を外す。

 彼は苦笑を浮かべた。

 そう、彼の顔は右目の上から鼻の中心を通り、口唇の横まで、斜めに大きな傷跡が刻み込まれていたのである。見るも無惨な刀傷が…。

 パチッ…。

 ニヴィスは部屋の明りを付けた。

「そこへ座れ」

 そう言って、テーブルの椅子に彼女を促し、自分はベッドに腰を下ろす。

 イェルナは恐る恐る椅子を引いて腰掛けた。

 黙ったまま、身を硬くしている。

「どうした。そんなに俺の顔が恐いか」

 ドスの利いた声で優しく聞く。

「いえ…」

 震える小鳥のように娘は言葉を発す。

「明りを消すか?その方が不安だと思うが?」

 娘は慌てて顔を上げた。ニヴィスが立ち上がったと知ったからである。

 彼は椅子を引き、彼女の真向いに座った。

「君は私の経歴については、聞かされているのか」

「いえ」

「…知らずに敵地へやって来たのか」

「い、いえ…。聞いております」

 おろおろと娘が答えた。今にも泣きだしそうだ。

「変な娘(こ)だ…」

 そう言って、ニヴィスは笑った。

「君はケイの代理で来たのだろう。個々まで来た勇敢な君は何処へ行った。私の顔がそれほど醜いかね」

「と、とんでもありません。すみません…」

「ハッハッハ!まあ、我慢してくれ。しかしな、君。そんなことだと男のするがままになってしまうぞ。私も十若ければな。ハッハッハ!…いや、失礼」

 イェルナはますます身を硬くしていた。

「私には君が私の娘のようにも見えるのだ…。すまぬな…」

 少し淋しげな彼の言葉に、イェルナは応えた。

「娘さんがおられるのですか?」

「いや、私は独り身だ」

 そう言って、彼が笑って見せると、彼女も口元を緩めてくれた。

「さて、お嬢さん。我々は重要な話をせねばならない。君は自分がワルキューレの代表だということを忘れてはなら

ない。良(い)いね」

「はい」

 二人の顔が締まって、言葉も重くなる。

「ウム。では、先ず、君の代理としての話を聞こうか」

「はい。私達の本隊は現在ブリュンヒルトにいます。ケイ様はそこでラグナロックと接触。明日の朝までにはバシェロに移動します。で、ラグナロックとのランデブー・ポイントを指示されたいとのことです。」

「ワルキューレは完全に動ける状態にあるということだな?」

「はい。ご安心を…。ブリュンヒルトからバシェロまで護衛いたします」

「フッ。面白い…」

 イェルナが訝しがる。

「何がでしょうか…」

「いや、なに。皮肉なことだと思ったのだ。それだけだ…」

「………」

「いや、すまんな。今更言い出すことでもなかった。これが時代の流れと言うことだな。さて、ランデブー・ポイントだが、君達には先ず、ジョアン・ハイネス邸に行ってもらう」

「ジョアン・ハイネス!」

 思わず声が大になった。ニヴィスが唇に人差指をあて、静かにとジェスチャーする。彼女は今更口に手をあてたが、出てしまったものはどうにもならない。

「このことはケイも知らない」

「ログム派の…ですか」

 イェルナは動揺を隠せない有様だ。

「そうだ。今夜の決戦には間に合うようにと伝えておいて欲しい」

「決戦…ですか?」

「左様、日没後コード7415で暗号伝達する。”時来たり、太陽はフェンリルの腹に納まり、ラグナロックを迎えん。(This time, the sun into the Fenrir, come to the Ragnarok.)”…覚えたか」

「はい。”This time, the sun into the Fenrir, come to the Ragnarok.”ですね」

「OK」

 ニヴィスが立ち上がった。

 イェルナも立ち上がり、二人は握手を交わす。

「頼むよ、イェルナ・ヘンダーソン」

「光栄です。名前を覚えていただけて…」

「フッ。気を付けて帰りたまえ。追(つ)けられんようにな」

 彼はドアまで彼女を案内する。

「はい。バシェロ脱出後、ラジオコード2021で”青き鳥は飛んだ(Blue bird take off.)”と…」

「了解。素敵な旅を… Good luck 」

「 Gook luck …」

 二人は別れの言葉を交わし、ドアは閉じられた。

 ニヴィス・ハイリィは又、ベッドに腰を下ろして座った。

 彼の体は震えていた。

 それは憎悪と歓喜の入り交じった内なる鼓動である。

 彼の瞳に狂気の色が満ちる。

 ギラギラと寒気のせずにいられない光。

(これが最後だ。俺にはもう、残された時間(とき)はない!)

 彼はゆっくりとした動作で立ち上がり、ラジオのスイッチを入れた。

 コードを2021に合わせる。

 ガー、ガー、と雑音だけが部屋中に鳴る。

 ベッドに腰掛けると、彼は重い溜息を一つ漏らしたのであった。

 

 



Nivice Hiry     34-year-old
Aroma's faction Guerrilla gang "Fenrir"  Chief Commander

 



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