I - Semifinal
時に宙陽暦7514年7月28日、夕刻。
惑星ダルニアにおける反体制派蜂起より三日目のこの日。後に二週間戦争と呼ばれるこの争乱、その戦局の行方を運命付けたとまで言われる第一のターニング・ポイント。今、その時が刻々と近付きつつあった。
当初、ユングット派を中心とする体制派有利の戦局が、反体制のアロマ派にジェノウ派とログム派がこの日ようやく強調したため五分五分となったのである。体制派にはもちろんルー派とハバロフスク派が付いていた。しかし、この二派は名目上のみと言われている。戦闘は体制派の自治軍と反体制派の施設軍の間で行われていたが、自治軍内からの離反者も数多くあった。
その様な情勢の中で、この日の戦闘は実に象徴的であったと言われる。両軍の中心である、ダルニア聖騎士団とアロマ派ゲリラ武装団が真っ向から激戦闘を繰り広げた初舞台であったからだ。
”最も赤く染まった死闘”と後々言わしめた”バシェロの死闘”は赤く沈み行く太陽と血の朱に染まったこの時刻に、真に始まったと言われている…。
エリア6、そこは直径60m弱の城郭都市である。エリア0、アスガルドの北西600mに位置する、ダルニア七番目の都市であり、その通称をバシェロと言う。
この日は早朝から両軍が戦い出し、反体制側が押していたのが、正午を回ってから徐々に体制側が押して返すようになっていた。一時、敵本営に五㎞の所まで行ったものが10m程退(さ)がったのである。
ダルニア聖騎士団は本営で待機していた。増援により四隊、20名の騎士がそこにいたのだ。
「何故です!」
六番隊”ヘル”の隊長ハリー・ギブスンが一番隊”ロキ”の隊長趙流元に向かって吠えていた。
「今、出れば、敵の主力をバシェロの外へ追い出せる。兵にこれ以上の奮起は出来ない!あの、ニヴィス・ハイリィでさえ前線で戦っていると言うではないか。何を今更弱気になる」
「落ち着け、ハリー」
七番隊”ヴィダル”の隊長トレミィ・ウォンが彼をなだめる。
「トレミィ、俺は冷静に戦局を見た結果を言っている。戦うのは今だ。戦う時は熱くなる!」
そう叫んで、トレミィの手を跳ね退(の)ける。
「ニヴィスが恐いのか!俺達は騎士だぞ。自分のために戦ってるんじゃねェだろう――」
ハリー・ギブスンは趙流元を指差して挑発する。
「誰のためだ…。俺だけでも良い。出撃命令を出してくれ。
俺は騎士としてその使命を全(まっと)うしたい。自分のためでなく、あんたや団長さんのためによう!」
彼ら騎士は命令には絶対的に服従する。この場合、最も数字の若い隊の隊長に絶対命令権があるため、趙流元の命令なくしてはハリーの独断では出撃さえも出来ないでいるのだ。
「騎士として…か」
趙流元が笑いを浮かべた。
たじろぐハリー。
「おまえの言う通りだ。俺の命令なくしてはおまえは戦場に出れん。おまえは俺に従わねばならんからだ。それが騎士の誇りだからだ。だが、俺は…」
流元はおもむろに立ち上がった。
「俺は先ず、団長の命令に従い、団長(チーフ)のために戦わねばならん。ハリー…、トレミィと共に…行け!」
ハリーは汗を振り払ってニヒルに笑う。
「騎士に二言はない。行くぞっ!」
ハリーは外して置いてあった剣を取り、トレミィを連れて出て行った。
台風一過の静けさが残る。
「すいません…私のために…」
残された、レオンハルト・ザノベッティが言った。
「かまわんよ。おまえがデュラハンの動きを危惧するのももっともだからな。この二日間、奴らの動きはパッタリと鳴りを潜めている。シーネリスからブラッドレーへ行ったらしいとなると、今日辺りにでもここに入っても良さそうだからな…」
流元が椅子に座して、静かに答えた。
「しかし、アスガルトを通るのもそうですが、ルーネトン、ブリュンヒルトを通って、バシェロというのも不可能に近いのですが…。何故か、来ると思えるのです」
レオンハルトは窓外に顔を向け、赤い空を見た。
「ウム。騎士団(オーディーン)か情報部(ワルキューレ)の情報網に掛からぬはずがない…」
それを聞いて、レオンハルトは振り向いて言った。
「私達も行った方が良いのではないでしょうか?何やら私の思い過ごしだったような気になって来ました…。ブラッドレーで足止めされているのでしょう」
「かも、知れんがな」
流元は立ち上がった。
「本当言うと、俺はあの男を恐れていた…」
彼はレオンハルトの目を直視しながら、そう漏らしたのだった。
「幾度となく剣を交え、その度に負けて返って来た…」
「……」
「そろそろ勝負を付ける時が来たと確信した時、恐くなったのだ。…だが、あの団長のためにも、いや、ランファン・アッシャーという一人の女のためにも、あの裏切者は俺の手で葬らねばならんのだ」
「裏…切…者…?」
言葉を噛みしめるようにレオンハルトが聞き返す。
「レオンハルト…。ニヴィス・ハイリィは俺の実兄であり、ランファンのフィアンセだった男だ」
流元の声は物悲しく静かであった。
「副(サブ)…団長(コマンダー)?」
「そうだ。今日こそは兄の真意を確かめてこよう。後は、おまえに任せる」
そう言い残して、趙流元も出撃して行った。
空はますます、血の色を帯びて見える。
レオンハルトには全てが涙で霞んで見えた。
彼も又、この部屋を出て行く。何故か、独りが堪え難かったからであった。
「兄上…」
彼を一層悲しくさせるのは、彼自身の身の上と彼の兄の身の上だった。
「T.T.T.S.I.T.F.C.T.R.…」
ラジオから繰り返し、呪文のように何度も流れて来た。
太陽は大空にその色だけを映し、姿は見えなくなっていた。
「来たっ!」
ノルン・フェッダーマンが思わず叫んだ。
「彼女に聞いた暗号文の頭文字だわ」
「間違いない」
コティ・エルメスとブライアン・ディーデュオもそう言って、装備の最終チェックを行う。
先頭のジープでもそのラジオ放送を捕らえていた。
彼らはバシェロまで、後一〇㎞もない地点で止まっていたのだ。
「行きましょう」
そう言ったのはリオ・レイヴァノーンである。彼女は再び元の服装に着替えていた。
その彼女にワルキューレのケイ・ワルトハイマーが答え、部下に号令を下す。
「ええ。さあ、みんな、出番が来たわ。Stand by!」
「O.K.!」
ワルキューレ達の明るい声が返って来る。
リオはそれを聞きながらデュラハンのトレーに入って行った。
全車のエンジンが音を立てずに動き出す。
「Let's go!」
ケイのジープが一番に動き出し、各車が後を追って動いた。
五分も走ればもうバシェロの門である。
「ワルキューレだ!開門せよ!」
ケイが叫ぶと門が開かれた。
兵達が近付いて来る。
「一応、トレーの中を見せて下さい。オーディーンからの命令なんですよ。例え騎士団の車でも、今日一日は徹底してやれ、と言われてましてな」
主任らしい男が礼をして言った。
「了解。何も入っていないがな」
そう言って、ケイはにこやかに笑ってみせる。が、その手にしっかりと剣を握る。
数名の兵士達が二台のトレーの後ろへ回って行く。
と、その時であった。
ニヴィス・ハイリィが秘かに派遣したフェンリルの別動隊が検問所に奇襲を掛けたのである。美青年アドニス・サキュリムを隊長とする十人の傭兵達であった。
ケイ達ワルキューレは、思わずジープを飛び出し、敵の前に身構えていた。
検問所の兵士達は、誰もろくな武器を持っていなかった。ワルキューレの姿に安心していたのであろう。
「行って下さい!ここは我々でかたずけます!」
主任の男は腰の剣を抜き払うとそうケイに向かって言った。彼も又、誇り高き騎士の称号を持つ男であった。
「すまぬ。死ぬなよ」
これはケイの本心である。
男は騎士として死ぬ覚悟を見せたのだ。
彼女はアクセルを踏んでから、せめて男の名を聞いておけば良かった、と後悔していた。
「ニヴィス!聖騎士団(オーディーン)が出て来たぞ」
馬上で剣を振るいながらジャン=ジャック・ボナパルトが叫ぶ。
「やっと来たか。奴らの足を止めるぞ!」
ニヴィス・ハイリィは彼直属の龍騎兵隊に呼びかけた。
長槍を振り、敵を薙(な)ぎ払い騎士達の前へ馬を出す。
「貴様がニヴィス・ハイリィだな!」
馬上からハリー・ギブスンが叫んだ。
「左様、俺がフェンリルのニヴィス・ハイリィだ」
「俺は聖騎士団の六番隊隊長ハリー・ギブスン」
ニヴィスは長槍を龍騎兵隊隊長シュレイン・マクドナルドへ放った。そして、その白い冑をも捨て、腰の剣を抜いた。
「来るが良い」
先生が生徒に言うような口調である。
ハリーはもちろん、トレミィ・ウォンや他の騎士達もニヴィスの素顔に驚き、身動き出来ずにいた。
ニヴィスが動く。
一瞬にして、勝負がついた。
ハリーの首が地面に転げ落ちたのだ。
「トレミィ・ウォン!おまえは知っていよう。俺に付いて来るか」
ニヴィスの血染めの剣がトレミィに向けられる。
トレミィは躊躇した。ニヴィスの顔はあまりにも趙流元に似ていた。いや、トレミィは彼を知っていた。
「私は貴方に付いて行きましょう、副団長(サブ・チーフ)」
そう言うしかなく、トレミィは項垂れる。
「バカな!」
聖騎士の何人かが声を上げた。当然の反応である。
が、ニヴィスは大声でそれらを制した。
「黙れ!俺は聖騎士団副団長趙流炎!刃向かう者はそこへ出よ!」
そう言って、聖騎士を見渡す。
誰一人として口を聞く者も、微動だにする者もなかった。
「ならば、そこを開けよ。我らの後ろへ付け」
ニヴィス・ハイリィこと趙流炎はシュレインから長槍を受け取り、馬を進めた。
聖騎士達が道を開ける。
「冑を脱げ。マントも外せ。それが服従の誓いだ」
トレミィは言われるままにそうした。他の八人もそうするしかなかった。
趙流炎は馬を走らせた。
ジャン=ジャック、シュレイン、ジミー・フィッツジェラルド・オースチンら直属の部下が追い、その後をトレミィら聖騎士が追う。
一番隊(ロキ)の一団に出会うまでさほどの時は経たなかった。
「兄よ。敢えて、ニヴィス・ハイリィと呼ぼう」
趙流元は長槍を手に兄流炎に向かって言い放つ。
「流元、今まで生かしておいたのは仏心だ。今日の俺は一匹の鬼。来るなら手加減はせんぞ」
「鬼の良心(セイント・オブ・デビル)など受けぬ」
流元が馬を走らせると、同時に流炎も動いた。二人共、背から楯を取り出す。流炎が中型の方形の楯(ミドル・シールド)を、流元が小型の円形の楯(ラウンド・シールド)を手にする。
お互いに槍の突きを何度も楯に受け、馬首を激しく左右に巡らし、ついに両者の長槍が折れた。
すると今度は剣で打ち合う。
流元の楯が入魂の一撃に弾かれた。
流元が一旦退くと、流炎は己の楯を地に投げ捨てた。
「何故(なぜ)…。今だにそれだけの力量を持ちながら、何故(なにゆえ)アロマの手先となる。貴方は自らの力で世の中を変えようと言うのか…」
流元は兄に向かって言った。相当息が荒くなっている。
流炎も肩で息をしながら答えた。
「そんなに広い心は持っちゃいない。俺はただ、復讐するだけだ」
「ふっ…復讐?裏切者がァ!」
「フッ。甘い男だ。ランファンの色香に酔って、自分を見失ったか…」
「貴様は!」
「見ろ!俺の顔を!俺はこの傷を癒すためだけに復讐するんじゃない。ランファンのためであり、聖騎士団のために、強いてはそれが俺のためにもなる」
流元は剣を構えて言う。
「世迷い言はあの世で聞こう」
「良かろう!」
剣を構え直しながら、流元は馬を疾駆させた。
流元は相打ちの覚悟で突撃して来る。
二人の馬が交差した。
流炎の腹に弟の剣が突き立つ。
そして、冑を付けたままの首が落ちた。
誰も声を出さなかった。
流元の体が走り行く馬から逆さになって地に転げる。
流炎は白色のヘビー・メイルから剣を抜いた。傷は浅い。
そして、弟を振り返り呟いた。
「俺が Saint of Devil なら、おまえは Devil of Saint だな。あの世でも俺には勝てんよ」
そんな彼に一番隊(ロキ)の四人は今にも飛びかかりそうな気配を見せた。
流炎はそれを知ってか、彼らへ目を向けて叫んだ。
「聞け!落ちぶれたオーディーンの騎士達よ!貴様らはシュラム・ルーヴィッヒ公爵の操り人形に身を落としている。ランファン・アッシャーも公爵の奴隷でしかない。見よ!この俺の醜い傷を!これが公爵のやり方だ!」
聖騎士達を見渡しながら剣を収める。
フウッと、一息吐いて続ける。
「おまえ達も見に覚えがあろう。むざむざと死んで行った仲間もいよう。俺はその全ての者のために復讐を遂げる…」
流炎は馬を打った。
一番隊(ロキ)の聖騎士が左右に道を譲る。
いや、レン・シュヴァイヴァーだけが彼の前に立ちはだかった。
剣を構えて、流炎を睨め付ける。
「何故、隊長を殺した。先に誤解を解けば、実の弟を手に掛けることはなかったはずだ!」
流炎はここで意外にも涙を見せたのであった。
レンの構えが緩む。
「流元は騎士としてその死を全うした。俺の首を打っていれば…」
その言葉を聞いて、レンを始め全ての者がようやく気付いたのだった。
流元は兄との相打ちを避けて、散って行ったのだ。
流炎はレンの傍らまで馬を進めた。
「弟を…手厚く葬ってやって欲しい」
彼はそのまま行き過ぎた。
・・
趙流炎の一行はロキの5人を残して去った。
そのころ、ワルキューレの一団が聖騎士団の詰所に到着した。
トレーから雪崩をうって、フェンリルの実動隊が降り立つ。
デュラハンとワルキューレが共に連れ立ち、詰所内に駆け込んだ。
「ケイ、聖騎士が来たらデュラハンに任せて!援護をお願い」
「了解、リオ」
彼らはひとまず散った。
「ノルン、リオこっちだ」
ジークフリートがノルン・フェッダーマンとリオ・レイヴァノーンを連れて行く。
ブライアン・ディーデュオはコティ・エルメスとイェルナ・ヘンダーソンを。
「バレリィとアビィは私と」
ケイ・ワルトハイマーにバレリィ・エディス・ニューマンとアビゲイル・グラムが。
エリーヌ・クロムウェルとエリカ、ドリスのチェン姉妹。
そして、ロミナ・ケレス、エリザベス・ハウマン、ナターシャ・クラリィ・ハーンズ。
以上、五組のチームに分散した。
詰所はそう広いものではなく、中には人影がほとんどない。
そのうち、ここへ避難して来ていたバシェロの指令官をブライアン達が発見した。
十数人の守備兵に守られていたが、しょせん彼らの敵ではなかった。
「何をしている!早くそいつらを叩き出せ!」
バシェロを預かる指令官はただ喚き散らすことしか、能がない男であった。
守備する兵士達も奮闘はしたが、全く彼らに歯が立たない。
イェルナ・ヘンダーソンも思った以上に良い働きを見せてくれた。
「やるわね、イェルナ」
「デュラハンに誉められるなんて光栄です」
二人は少し余裕を見せていた。
「ムン!」
ブライアンが最後の一人を気絶させて、残るは指令官のみとなった。
あっと言う間の出来事に、なすすべもなく男は部屋の奥の壁際に体を張り付けて立っていた。
「大人しく捕まることだ…」
ブライアンが剣先を突き付けて、冷たく言い放った。
イェルナが何処からかロープを見つけて持って来た。
「取り敢えず、ここに拘束しておきましょう」
「そうね」
彼女に答えて、コティは剣を納め、ロープを受け取った。
「さあ、観念なさい。ゆっくりと両手を頭の後ろへやって、膝と頭を床に付けて!」
コティの命令に合わせて、ブライアンは少し剣を引いた。
その時、彼らはその背後の動きに全く気付いていなかった。
「きゃあっ!」
守備兵の男が一人起き上がって、イェルナの背後から二の腕で彼女の細い首を締め上げたのだ。
ブライアンとコティが一瞬目を離した隙に、指令官がコティの体に体当りを加え、彼女を弾き飛ばした。
「クッ!」
ブライアンはほぞを噛んだが次の行動は実に早かった。
細いレイピアを一閃して、イェルナを捕らえた腕をその体から切り落とした。
そして、コティを振り返る。彼女はロープを奪われ、両腕を取られて、楯とされていた。
ブライアンは剣先を再び指令官へと向ける。
「近付くな!剣を捨てろ!」
指令官はおののきながらも最後の勇気を振り絞っていた。
ブライアンはゆっくりと前進の歩みを始める。
「貴様!聞こえんのか!」
ロープをコティの首に掛け、力任せに引く。
「ウウッ…!」
コティは声にならない呻きを発した。
ブライアンは剣を鞘に納める。しかし、歩は確実に近付いて行く。
「早く捨てろ!さもないと…!」
ブライアンの眼光が冷やかに流れるように放たれる。
コティの目に涙が光る。
指令官は震えた手に最後の力をありったけ込めた。
それと、ブライアンの動きは同時に起きた。
彼の剣は鞘に納まったまま、男の額を割った。
一瞬の神技のような剣さばきであった。
コティは自由になると、まっすぐにブライアンに抱きついたのだった。
「騒がしいな…」
ダン・カトーが訝しげに椅子から立ち上がった。
「敵のようだな…チッ!」
ジェラール・レンブラントも邪魔くさそうに立ち上がる。
そこへ、レアモンド・サークが慌てて飛び込んで来た。
「敵襲です!」
「分かってんだよ、それくらい…」
ジェラールが剣を取りながらブツブツと言う。
「何者達だ」
レオンハルト・ザノベッティが落ち着いて聞いた。
「それが、どうやらデュラハンのようです」
「ついに、気やがったか」
ダンが意気込んで答えた。
「よし!行くぞ!」
四人が部屋を出ようとした所へアーノルド・クラウツァが駆け込んで来た。
「ワルキューレです。ワルキューレも来ています」
「分かった。とにかくここではまずい。各自、散開して、裏庭で落ち合おう」
「了解!」
二番隊(バルダー)の五人は、勢い良くその部屋を飛び出して、散った。
廊下をしばらく走っていると、何処からか人の名を呼ぶのが聞こえる。
「レオンハルト!レオンハルトは何処だ!」
「誰だ?誰かが私を捜している?」
レオンハルトは足を止めた。
窓の外を覗いて見降ろすとデュラハンの一人が目に付いた。
「もう、ここまで…」
どうも彼の名を呼んでいる人物らしかったが、先を急いで、再びそこを離れて走り出す。
すると突然、彼の前に一人のデュラハンが現れた。
ノルン・フェッダーマンだった。
「レオンハルト!」
「ノルン?…ノルン・フェッダーマンか?!」
二人は懐かしそうにお互いの名を呼び合い、お互いの記憶を確認し合った。
だが、再会をそうも喜んではいられない。
「レオンハルト、外へ出てはいけない。何処かに隠れていてくれ」
声を押し殺して、ノルンは言う。
「何を言う。私はバルダーの隊長。例えデュラハンといえども後(おく)れはとらんつもりだ」
「ダメだ!いくらおまえでもあの男にはかなわない」
「あの男?誰だ?私を捜している男か…」
「そうだ。デュラハンの隊長、ジークフリート」
レオンハルトはもう一度、窓から下を覗き見た。
ワルキューレ達の姿が見られる。
彼は又、ノルンへ向き直った。
「おまえが勝てない大きな理由がある」
「何?それは…」
レオンハルトがそう聞き返そうとした時、彼の後方で誰かが彼を呼んだ。
「貴様がレオンハルト・ザノベッティだな!」
ジークフリートである。
彼が振り返ると、ジークフリートは突撃してきた。
ガギッ!ギッ!…ガッ!
と、重い音を鳴らして、二つの剣が弾き合う。
ジークフリートが激しく剣を振るう。
「クッ…!」
突然の戦闘であったためか、レオンハルトは防戦一方を強いられていた。
「レオンハルト…」
ノルンは自分がどうして良いのか、分からないでいた。
レオンハルトがジークフリートの剣先をかわし、体を入れ換えた。
「ジーク…」
ノルンはジークフリートの背に数歩歩み寄った。
ジークフリートは随分と疲れを露にしていた。
「…ジークフリート……」
レオンハルトもかなり疲れを見せていた。
ここは退き時であった。
レオンハルトはサッと身を翻し、走り去る。
「貴様!」
追いすがるジークフリートをノルンが後ろから引き留めた。
「やめてくれ、ジーク!」
ノルンはジークフリートの鬼気迫る様子が死の危険に染まったオーラを見にまとっているように感じられた。
「ノルン!?」
ジークフリートは今初めて気付いたように、我に返って振り返った。そして、余りにも体力の消耗が激しいことに気が付いた。
「クッ…クソッ!」
ノルンは腕を解いて、
「らしくないな、ジーク…」
「ああ、気が高まっていた。奴を殺すことだけが俺の生き甲斐だ!」
荒い息を吐きながら、ジークは剣を納める。
「あのままでは、君も死んでいたかもしれない」
「…かもしれんな。だが、今度はそうは行かん!」
「そうだな…」
ノルンの声を聞きながら、ジークフリートは壁に背を預け、そのまま床に腰を降ろした。
「ノルン、少し体力を回復させてくれ…」
そう言って、目を閉じた。
「………」
ノルンは剣の柄に手をかけたまま、ジークフリートを見下ろして、瞳を濡らし、立ち尽くすのだった。
裏庭で聖騎士団二番隊(バルダー)隊長レオンハルト・ザノベッティと共に四人の聖騎士が戦っていた。
詰所の建物の中からワルキューレの三人が飛び出した。
「ワルキューレか!」
バルダーのダン・カトーが呼びかける。
「援護を頼む」
「誰のだ」
と、エリーヌ・クロムウェルが言い返す。
「何ィ!?」
そこへケイ達ワルキューレが揃う。
「私達は自らの意志で行動する」
ケイ・ワルトハイマーがダンらに向かって言った。
「ごもっとも…」
その場所へジークフリートが現れる。
ワルキューレがそれを見て、彼らの援護に回った。
「何をやってんだ!」
バルダーのレアモンド・サークである。
「私達はデュラハンを護る」
「そう言うことか…」
ジェラール・レンブラントが剣を休めずに呻くように言っている。
「ニッドホグ!退がれ!」
ジークフリートは実動隊(ニッドホグ)の傭兵達を退かせて、皆の前に進み出る。
「俺はデュラハンのジークフリート。レオンハルト、改めて勝負を決したい」
堂々たる構えで剣を抜き払い、先ほどとは打って変わって冷静さがよく分かった。
「冗談じゃねえぜ。貴様など俺で十分だ」
ダンが味方の前に出る。レオンハルトが少しでも体力を回復できるようにと、時間稼ぎであった。
「ジークフリート!覚悟!」
「来い!」
二人の剣が激しく火花を散らす。
「ムン!」
ジークフリートの一撃が冑を割り、ダンは昏倒した。そして、とどめを刺す前に、ジェラール・レンブラントがジークフリートに飛びかかる。
が、ジェラールさえもジークフリートの敵ではなかった。
レオンハルトがジェラールを助けに入る。
「やめろ!レオンハルト!」
「黙ってろ!ノルン!」
ジークフリートが一喝した。
リオやケイ達が彼の背後へ集まった。
そして、その場にブライアンらも現れた。
「貴様だけは、この俺の手で…死を与える」
ジークフリートが先に動いた。
二人の打ち合う音が激しく天を轟かせる。
誰もがその両者の熾烈を極める剣技に身を震わした。
空は暗く、闇の世界が訪れていた。
ふと、ブライアンが虚空を見上げる。
眩(まばゆ)い閃光と怒号のような雷鳴が起きた。
雨がゆっくりと落ちて来る。
再び、雷光が空を裂き、雷鳴が地を打った。
ジークフリートの剣がレオンハルトの冑を薙(な)いだ。
レオンハルトの体がその場に崩れるようにして倒れる。
レオンハルトの死の危機にレアモンドが思わず剣を放っていた。彼の長剣が雨を切って飛ぶ。
「危ない!ジーク!」
ノルンが叫ぶ。
ブライアンが素早く動いた。
ジークフリートは空でその剣をしとめた。
「グオゥ!」
一瞬にして動きを止め、ジークフリートが口から血と共に唸りを吐いた。
レオンハルトの剣が彼の胸に突き立てられていた。
「卑怯な!」
ケイの悲痛な叫びであった。
丸腰のレアモンドに、ブライアンが剣を突きつける。
「貴様、それでも聖騎士か」
そう言うや否や、ブライアンはレアモンドの首を落とした。
ジークフリートの体が後ろにのめって倒れる。
「ジーク!」
ノルンが我先に駆け出した。
リオが、ケイが、そしてワルキューレ達が彼の名を叫び、駆け寄る。
レオンハルトは茫然としたまま地に座していた。
「私がやったのか…」
何故か、信じられないものを見ている気分であった。
ノルンが涙しながらジークフリートの頭を抱き抱える。
雨が悲しく彼らを打った。次第に激しく降り始めてきた。
「ノルン…」
レオンハルトはゆっくりと、剣を杖にして立ち上がった。ダン、ジェラール、そして、アーノルド・クラウツァがその後ろから彼を支える。
「ノルン、私は……」
仲間に支えられて、やっとの思いで立ちながら、レオンハルトは静かに言った。
「……どうして、……どうして貴方が…」
リオ・レイヴァノーンが涙を溢れさせながら、ジークフリートの傍らに跪(ひざまづ)いて、その冷たい体に抱きすがる。
悲しい時が、雨と共に人々を濡らして行く。
「…ジークフリート……」
コティ・エルメスも腰を落として泣きながら、そう呟きを漏らしている。
彼らは戦うことを忘れていた。
これが、人間に戻った一瞬なのである。
リオが大きく首を横へ振り動かした。そして、おもむろに立ち上がり、湿った唸り声を絞り出して、
「…ゼオ……」
と、最初に言ったようだった。
レオンハルトの瞳が大きく見開かれ、リオの顔を凝視する。
「…自分の身を明かしていれば、こんなことにはならなかったのに!」
それを聞いて、レオンハルトの顔から血の気が退いて行くように見えた。
「い、今、何と…」
微かに動く唇で、彼は聞いた。
リオは再び、激しく首を横に振った。
「ゼオ!ゼオッ!」
その名を叫び、今以上の涙を流して、彼女はレオンハルトを睨(ね)め付けた。ジークフリートが彼に見せたように、憎悪と悲しみに満ちた光を放っていた。
レオンハルトの表情が一瞬の内に凍り付く。
「そ、そんな…」
彼の瞳に涙が溢れ出した。
「…そんな、ことが…!!」
怒りと悲しみに打ち振るえる拳を地に叩きつけ、腰を崩して泣き伏すレオンハルト。
「レオンハルト!ゼオ・ヴィルヘルムは死んだ!…たった今、貴方の不意討ちによって倒れた。ジークフリードこそ、貴方の求めるゼオ・ヴィルヘルムよ!貴方は兄をその手に掛けたのよ」
リオの叫びがレオンハルトの心臓を貫き、握り潰そうとし、責め苛(さいな)み続ける。全ての力が彼の体から抜け落ちて行く。
「貴方達親子は二人して、彼と彼の両親の幸福と、生命と、精神の尊厳を奪って行くのね」
リオは侮蔑を込めて、彼を見下ろす。
「どういうことだ。二人は実の兄弟ではないのか」
ブライアンが冷やかな声で聞いた。
「これ以上、ゼオと彼の両親の尊厳を汚したくはないわ。…でも、カルロ・ザノベッティとレオンハルト・ザノベッティの罪は糾弾する」
リオの凛然(りんぜん)とした瞳に、レオンハルトは見竦められている。
「貴方は何も知らないようね。己の出生の悲劇を…」
力なく彼は首を横に振る。
「貴方の父、カルロ侯爵は、当時聖騎士団の団長であったハインリヒ・ヴィルヘルムを殺害した。7390年の有名な事件だわ。しかし、シュラム・ルーヴィッヒ公爵と共に事の真相を握り潰してしまった……」
リオは悪寒に身を震わせた。
「カルロ侯爵はハインリヒの妻ジーナ・カタリナ・ヴィルヘルムを得んがためにゼオの父を殺した。そして、力ずくでジーナを手に入れた。獣(けだもの)め!」
リオはレオンハルトに唾を吐き掛けた。
「そして、生まれたのが、ここにいる男。ジーナは彼を生んでから自殺したわ。彼女に出来る精一杯の復讐がこの男を生むことだった。侯爵がレオンハルトを引き取って行き、ゼオはアリクトレアのミッドガード養護院に入れられたわ。そこで二年半過ごしてから、ジーナの兄ローベル・ヴェサムに養子として引き取られた。それから数年後、私はジークフリート・ヴェサムと会い。その十年後、三月暴動の時に再会した。私はまだ、ワルキューレに入ったばかりだった。そして、ニオン暴動の時、私は彼に復讐という生き甲斐を与えてしまった。そう、彼は四年前までは己の過去を振り返ることすらしない男だったのよ。…でも、所詮は戦いの中でしか生きていられない男(ひと)だった。彼に青春と呼べる時代はなかったでしょうね。…貴方達親子は、彼のそういった何もかもを奪っていった。でも、彼の復讐は純粋なものだわ。自分のためでなく、死んだ父と母のために、彼は戦う決心をしたのよ…」
リオが再び膝を付いて、ゼオのために涙をこぼす。
「私は一体…どうすれば良いのだろう…」
レオンハルトは途方に暮れて呟いた。
「ゼオの剣を、彼の父の形見であるノートゥングの剣を取りなさい。そして、彼の復讐を遂げるのです」
ノートゥングの剣は聖騎士団の団長の証であった。ゼオの父ハインリヒはこれを失した罪を着せられたために、その殺害事件も聖騎士団内で口を封じられ、誰も事の真相を追求できなかったのである。
リオの背後にニヴィス・ハイリィこと趙流炎が立っていた。
「取れ!貴様がまだ、騎士の正道に心を置いているならば…」
レオンハルトには流炎と流元の見分けが付かなかった。
彼を見て、そして、兄の死顔を見、ノートゥングの剣に目をやった。
雨は全てを掻き消すように振り続けている。
雷はこの答えを待つかのように、ひっそりと鳴りを潜めていた。
空は闇一面である。
激しい雨を前進に受けながら、レオンハルトは立ち上がった。
その手に、ノートゥングの剣を握り締め……。