宙陽暦7415年にダルニアで起きたこの戦争は二週間戦争と呼ばれた。
7月25日に急進派のアロマ・レイヴァノーンが凶弾に撃たれ、死した。
26日早朝未明にアロマ派が軍事行動を開始した。これより、二週間戦争が始まる。
そして、第一のターニングポイントと呼ばれる、28日のバシェロでの死闘。この日、アロマ派はジェノウとログムの二派を味方にし、ダルニア自治軍の特殊情報部隊ワルキューレをも味方に付けていた。雨の降る夜、アロマはゲリラ武装団フェンリルによって、バシェロは占領された。ダルニア聖騎士団オーディーンの主力が彼らの味方に参入することになる。
しかし、この雨がダルニア自治政府の体制を助けたと言えよう。
この日の深夜から、翌日までのアスガルドにおける戦闘は反体制軍に多大な消耗を招いた。
アロマ派の大きな誤算が雨によって生じたのだ。
士気は上がらず、ついに一週間が過ぎた。
反体制軍が最も恐れていた日が来たのだ。
第二のターニングポイント、8月3日。
惑星ダルニアにノアからの援軍が到着した。一隻の宇宙戦艦と三機の機動兵器(モビル・ウェポン)、そして、百挺の銃である。
剣を持った人間がモビル・ウェポンになす術もなく蹴散らされ、抵抗も空(むな)しく、数多くが死んで行った。
銃撃隊も大いに活躍したという。
こうして、一発の弾丸に始まった戦いも、二週間にして、皮肉にも百発の弾丸によって終わったと言われる。
宙陽暦7415年8月10日の午後のことであった。
首謀者の二人、リオ・レイヴァノーンとライアス・土門が銃殺刑に処せられる。