Magic: The Gathering

Oriental Gold

This Novel is written by Shurey


Prologue / Sec.1
第一章
胎動

第二話 紅 沙蘭


Fireball

[Sorcery]
Pay for each target beyond the first: Fireball deals X damage divided evenly, round down, among any number of target creatures and/or players.

神月来春

 星暦2301年の春は、大陸からの暖かな風と共にやってきた。しかし、これが熱気となり海を越える圧力となって島国に及ぶとは、まだ誰も想像したことがなかった。ましてや、そこに住む一人の少女に、島国の外を考えるほど世界は狭くはなかった。まもなく、激動の歴史が動くなどとは・・・。

 大陸の東の海上に浮く島国は「黄金の神国」と呼ばれている。最も大きな珠金島(しゅきんとう)、その横に砂黄島(さおうとう)、輝緑島(きりょくとう)、灰銀島(はいぎんとう)が縦に並んでいた。珠金島以外は余り人の住まない場所だった。その珠金島の中心に、龍が天に昇るがごとくそびえ立つ昇竜山があった。岩肌のゴツゴツとした峰が頂まで極端に垂直で、その姿が龍のごとくたくましく、人をよせつけない厳然たる偉容であった。
 その昇竜山のふもとに神国の中心都市、「神月(しんげつ)」があった。首都とはいえ王族とそれに仕える者と自由市場に集まる商人達が住んでいるだけだった。大きなマーケットは近くの町や村から行商人が毎日やって来て成り立っている。
 その地を統べる神王は3つの王家の代表が5年毎に交代で務めていた。軍事を司る雷(いかづち)王家、政治を司る源(みなもと)王家、祭事を司る鳳(おおとり)王家の三王家が頂天に君臨し、それぞれの傍系の家が王家に従って国家の大事を司っていた。
 諸家の子供達は16才から18才まではそれぞれの魔法学校で魔法の基礎を学び、次の2年間を首都神月で王家に仕えて生活する。特に、魔法に素養のある選ばれた者は神月の魔導学院で同じ2年間に応用魔法を学ぶことになる。
 このように黄金の神国では魔法を学ぶのは一部の者だけではない。王家やその諸家には魔法の素養に溢れ、生活の中でも魔法と精霊との関わりが深く、長き年月に積み重ねられた英知によって支えられていた。
 魔法を使う者は幾つかの階級に分けられていて、基礎魔法を学んだ者を魔術師(Magician)、応用魔法を使う者を魔法師(Sorcerer)と呼び、主に医療の為にその術を使用する。次に高等魔法を学び、魔導師(Wizard)となる。そして、最高の称号が魔導主師(Master Wizard)であった。
 現在、この4つの島からなる神国を雷王家の紫光(しこう)神王が国家を統べていた。彼もまた最高の魔導主師の一人であり、人は「魔導師の鑑」と賞賛していた。


魔導学院

 星歴2301年4月、満月の日に合わせて魔導師を夢見る少年・少女が首都神月を目指してやって来る。魔導学院に入学するための「入月式」と呼ばれる儀式のために全国から集まってくるのだ。
 昼を過ぎて、そろそろ日差しは柔らかくなっていた。ときどき強い風が吹いて、草原の草や土を巻き上げる。人が通る跡が自然と道となって緑の合間に1本の線を描いていた。
 小さな影がその線上を一歩一歩軽やかに真っ直ぐに走ってきた。彼女の名は紗蘭(さらん)。
 源王家の紅(くれない)一族の村から一人でここまで歩いてきたのである。黒い髪は耳を隠して、あごの線まであり、襟足は短く整えられている。大きな紅い瞳は真っ直ぐに前を向いていた。キリッと細い眉にも彼女の意志の堅固さが現れているようだ。鼻も高くはない、あごも細く、頬にも旅の疲れが見えていたが、血色の良い健康優良児であった。短い黒髪が風に揺らめいている。
 村では小さい方ではなかったし、その細い体に大きな夢を詰め込んでいるのは誰もが知っているようだ。とにかく、一度決めたら止まらないそれが彼女の一番の長所と短所だった。
 18才の少女は源王家の重臣、紅家の宗親(むねちか)と雷王家の娘であった雪乃(ゆきの)の一人娘であった。彼女は負けん気が強く、魔法学校でも荒唐無稽の問題児であったが、その素養を見抜いた教師の推薦で魔導学院へ進学することになった。
 明日の入月式のために、一族の村から3日かけて歩いてここまでやってきたのだ。同じ様に他の子供達もそれぞれの村から歩いて向かってくるはずだ。
 おもむろに紗蘭は立ち止まった。呼吸を整えて、自分の背丈の10倍はあろうかという城門を改めて見上げる。
「なんだ、思ってたより小さいんだぁ」
 遠くから見ていると大きく見えたが、今は近づきすぎていまいち大きさが分からなくなっていた。でも、彼女の言ったことは本心であった。町の北側、丁度この位置からは奥に見えている昇竜山の偉容に対して、迫り来るモノに欠けることは間違いがなかった。
 城門を見上げてくぐりながら、初めて見る城塞都市の様子に不満そうに声を出したものの、見たこともない都市の様子に田舎者よろしくキョロキョロとしてしまう。彼女の育った村も石の壁に囲まれていたが、大人がその向こうを覗くのに立ったままで十分なものだ。城壁の厚みも高さもそういう意味では桁違いに大げさに感じていた。
「何やってんだよ!」
 人の声を聞くのがあまりにも久しぶりだったので思わず後ろを振り返ってしまった。見ると同じ年頃の男女が城門をくぐって入ってきたところだった。髪の長い少女は城門にもたれて座り込んでいる。着ているモノも薄汚れていて、自分も同じ出で立ちなのに気が付いた。
「茜(あかね)、もう少しだぞ。なんだよぉ」
 細いがすばしっこそうな少年は腰に手を当てて少女を見おろしていた。
「茜、もうダメぇ・・・。疲れちゃったぁ」
 甘ったるい声で少女は少年を見上げていた。
 おやっ?2人の顔はよく似ていた。兄妹?いや、どうやら双子であるようだ。背格好も同じだから、もし髪の長さが同じだったら見分けがつきそうになかった。兄らしき少年も耳が隠れるほどの長さではあったが、少女は背中の半分まで届く長い黒髪であった。
「何だ?お前も明日の式に出るのか?」
 ジッと見ていた紗蘭に少年が声をかけた。割とさばさばとしたヤツだ。一瞬、誰のことか分からなかった。
「えっ?ああ、私?そうよ。あなた達も?」
 間抜けな答え方だったが、同じ式に参加することを知ってホッとしたのである。
「そうさ。やっとここまで来たけど、妹が動かなくなっちまった」
 そう言って、もう一度少女を見おろす。すると彼女が顔を上げて、紗蘭に向かってにこやかに微笑んだ。その手をすっと顔の前に差し出すと、その手のひらの中から小さな豆粒が一つ現れた。するとどこからともなくチィチィと鳴き声が近づき、見かけない形の小鳥がその手の中に降りてきたのだ。黄色いキラキラとした短い羽根に全身を覆われた姿は神々しくもあったが、横に膨れたそのユーモラスな格好はどうにもアンバランスであった。緑の豆粒を口にして上を向いて飲み込んだ。少女がもう一つの手で頭をなでる。
「私、茜。この子は貂(テン)、よろしくね」
 少女はその愛らしい笑顔をもう一度紗蘭に向けて放った。
「ああ、私は紗蘭。よろしくっ・・・」
 一瞬ドキッとしてしまった。何だか、彼女の笑顔に対抗できそうになかったが、思いっきりの笑顔のつもりであった。
「俺は翔(しょう)。隼(はやぶさ)一族の町から来た。あんたは?」
 少年は翔と言った。隼家といえば、鳳王家の血筋である。ぶっきらぼうなその様子にどこかつかみ所のない秘めたモノを感じていた。
「私は紅の村からだけどね・・・。ねえ、2人も魔導学院へ入るの?」
「うん!茜もぉ、翔も一緒なの。紗蘭さんも?」
 ゆっくりとした口調であった。その手からは小鳥の貂(テン)が飛び上がった。彼女も起きあがろうとして、翔に両手を持って引き上げてもらう。
「ええ、私も一応ね」
 紗蘭は飛んでいった小鳥を目で追っていった。あの重そうな体で軽々と空高く舞い上がっていった。見かけとは違ってうらやましいものだ。そしてハッと気がついた。 「そうか、隼一族って使い魔の伝説があったわね。あなたは妖獣師なの?」
 紗蘭の目は未知への好奇心で爛々と輝いていた。
 妖術師(Beast Master)とは召喚師(Summoner)のように魔法で魔獣(Creature)を呼び出すのではなく、自然界に生きる妖獣(Beast)達と心を通わせることによってそれらを操る者を言うのだ。召喚師は魔法使いが訓練によって得ることができる能力だが、妖術師となるには100%の素質が必要と言われている。そして、隼の一族は生まれもってその能力を有していると聞いたことがあった。
「そうなのぉ。私ね、(テン)ちゃんと生まれた時からいっしょなの」
 茜は空を飛ぶ太めの小鳥を見上げながら、満面の笑みで答えた。
 沙蘭もその視線を追って、貂を見上げる。
「あんまり見たことない鳥ね。餌のあげ過ぎじゃないの?」
「鳳凰の雛は何でもいっぱい食べるの」
「ええっ!あれ、鳳凰の子供なの?」
「嘘だよ。アレは空飛ぶタヌキさ」
 紗蘭の驚きを否定して、翔が口を挟んできた。
「ほんとぉだよ!翔の意地悪ぅ!何よぉ」
 茜は怒って翔を突き飛ばした。空から貂が戻ってきて彼女の手助けをするためか、翔の頭を突っつく。地獄耳なのか、とにかく人の言葉が分かっているのだ。
「痛てっ!やめろ貂!焼いて食っちまうぞ!」
 それを聞いて鳳凰の貂は慌てて羽ばたきを繰り返しながら上へ上へと逃げ出した。
 賢いのか何だか分からなくなってきた。でも、タダの動物ではないことは間違いない。あのデブっとした小鳥が鳳凰の子だと言われても、ちょっとうなずきそうな気分だった。
「くそぉ!覚えてやがれ!いつか食ってやるからなぁ!」
 翔は空に向かって小さくなっていく貂の後を見上げながら長々と悪態を吐いていた。そして、ふと沙蘭の気配に振り返った。そこには目を輝かせる沙蘭がいた。
「ねえ、君はナニを使うの?隼の一族は生まれたときから僕(しもべ)の妖獣を育ててるんでしょう」
 紗蘭は翔はもっと凄い妖獣を操るのではないかと大きな期待をしているようだ。双子だから鳳凰と同等のモノを期待してしまう。姿が見えないということは、ドラゴンやドレイクなどの大型獣の可能性もある。
「馬鹿だなお前。そんなこと教えるわけねぇだろう」
 本来、妖獣を使うということは彼ら一族の秘技であり、魔法での解決が困難な場合に限って用いられるという。
「なぁんだ、ケチ・・・!」
 残念に思ったが、紗蘭にとってそれはまんざら悪くはない思いだった。神秘の一族の奥の手が、あまりにも簡単に分かってしまってはありがたみがないというものだ。しかし、茜はその辺を全く理解していないらしい。
「そぉよ、もったいぶってぇ。気持ち悪いんだからぁ、嫌なのよねぇ」
「うっ」
 翔と紗蘭の口から同時にその声は漏れた。翔にとってはどうも痛いところらしい。紗蘭も何だか気になって仕方がなくなる。
「馬鹿にしやがって、どいつもこいつも・・・。先、行くからな」
 そう吐き捨てて、翔はとっとと歩いていってしまった。
 紗蘭は置いてけぼりを食って口をとがらせて、その後ろ姿を恨めしげに見ていた。
「何よぉ。嫌なヤツぅ」
 そう言ったのは茜だった。ホント、やあねぇとおばさんのようにプリプリ怒っていた。
「いいわよ、別に・・・」
「あれねぇ、相手にしない方がいいわよぉ」
 なだめようとした紗蘭に、気にせず茜が言った。
「だって、蛇なんだもん」
「へ?ヘビって」
「翔の使い魔よぉ。気持ち悪いんだからぁ」
「げっ、出てこなくて良かった・・・」
 紗蘭も蛇や蜘蛛の類は苦手だったのだ。想像するだけで、背筋が冷たくなってきた。
「だって、後ろからついて来るんだよぉ」
「きゃあ!」
 思わず、想像だけで紗蘭が飛び上がっていた。慌てて周りをうかがって後ずさりする。
「まあ、慣れれば大丈夫よぉ」
 茜は本気でなだめようと思っているのだろうか。 「紗蘭さん、行きましょう。もう、ダメ。疲れちゃった」
「さんなんて付けないでよ。くすぐったいわ。でも、ちょっと寒気が・・・」
 そう言って、両手で自分の体を抱えながら茜の方を振り返る。ニコッと笑うその笑顔が返って恐ろしかった。もう、自然に足が動いていた。蛇に追いかけられている気分だった。
「ああん、待ってよぅ」
 茜も慌てて後を追って歩き出す。
 さてさて、魔導学院での生活は、どうにも奇妙な連中との共同生活になりそうな予感。

精霊盟約

 さて、「入月式」とは、魔導学院への入学に際して、大地の精霊との盟約を結ぶ儀式。この儀式を受けることで、初めて魔法の元となる力を得ることができる。
 大きな講堂に新入生の一同が集められる。国中の同世代の中からその素養に秀でた者達。どの顔も自信と希望に満ちあふれている。
 四角い講堂は太い丸柱によって支えられ、高い天井には丸いドーム上の窓が5つ円状に取り付けられていた。そこからは、薄い光りが漏れる。
 講堂の前面に用意された祭壇上には、水晶球を頭に取り付けたランプのような細い柱が立っていた。その身の丈ほどの柱は中央を取り囲むように置かれていた。
 壇上の奥、中央にいる祈祷師は、若く美しい女性であった。頭まですっぽりと白い衣装に包まれていたが、白い顔に金髪、そして、深く青い炎を秘めた瞳の持ち主だ。彼女は学院長の孫娘で鳳王家の梨沙(りさ)。100年に1人の傑女と呼ばれる最年少の魔導師であった。
「ようこそ、神月魔導学院へ。これより、入月式を執り行います。この儀式によってあなた達は、魔法師の1人としてその技術を学び、更なる鍛錬をせねばなりません」
 凛と透き通った声が、堂内に響きわたる。
「これまでは、呪符を使った基礎魔法の訓練を積んできました。この魔導学院では大地の精霊の力を借りて魔法を操る応用魔法を学びます。そのために、精霊との契約を結ばねばなりません。入月式はそのための儀式なのです」
 彼女の話を聞きながら、緊張が高まっていく。紗蘭は少し不安になっていた。精霊がもし、自分を認めてくれなければどうなるのか。
「この学院内では精霊の恩恵を受けることができます。しかし、精霊の力を自らが支配し、いついかなる時でも魔法を使えるようにならねばなりません。それが、ここ魔導学院でのあなた達の目標です。一人前の魔法師となることを期待しています」
 この儀式によって、国内から集まった生徒たちはその特質によってクラスを振り分けられるのだ。生徒は一人一人順に壇上に呼ばれ、精霊との盟約の儀式を行うのである。
 正面に立つ祈祷師の両脇には5色の僧衣をまとった5人のドルイド僧がいた。祈祷師が呪文を唱えると、その5つの水晶球が煌めき、その中の1つが色を放つ。その色が与えられる精霊の力を示しているのである。そこで、ドルイド僧によって精霊の力を生徒に受け継がせるのだ。この精霊の力の種類によってクラスも分けられている。
 もちろん、1つとは限らない、2色の精霊が力を与える場合もあるのだ。1色ならその色別に分けられ、2色の場合は皆同じクラスになる。
 祈祷師梨沙は両手を大きく開いた。水晶球がゆっくりと光りを放ち、その中に影が見えた。
「見えますか。彼らは大地の5つの精霊です。山と島と森と、そして、平原と沼の精霊たちです。彼らがあなた達に大いなる力を貸し、導いてくれます。さあ、盟約の儀式を始めます」
 着々と儀式は進み、半分を過ぎた。学院には8つのクラスがあり、それぞれその能力に応じてどんどん分けられて行く。
「隼翔、前へ」
 蛇使いの翔が祈祷師梨沙に呼ばれた。翔は堂々と祭壇の中心に登り、真っ直ぐに正面の祈祷師に目を向ける。
 祈祷師が呪文を詠唱する。すると反応はすぐに起こった。青い光りと緑の光りが講堂の屋根を照らし出す。
「おおっ」
 小さなざわめきが細波のように沸き起こった。しかし、すぐに大きなざわめきに変わっていく。2つの光りに遅れて、黒の光りが続いていることに気づいたからだ。初めて3色の輝きが同時に現れたのである。
「隼の翔よ。島と森、そして沼の力がお前の助けとなる。心を安らかにして開きなさい」
 祈祷師がそう述べると、青の僧衣と緑の僧衣と黒の僧衣をまとった3人のドルイド僧が呪文を詠唱し始めた。すると、天井へ向かっていた輝きが途絶え、翔の体へと吸い込まれていった。電気が走ったのか、翔の体がビクッと震えた。
 翔はその両手の平を見つめて、体から今にでも湧き出しそうな力を感じていた。
「これが、大地の力・・・」
 その瞳は冷たく妖しげに光をたたえていた。そして、その奥にジリジリと燃え盛る炎が広がりつつあった。
「では、そちらのマスタークラスへ行きなさい」
 祈祷師が3色の大地を宿した者達の並ぶ方を指さした。当然そこは先輩達ばかりである。しかし、翔は臆することなく学院で最も高いクラスの最前列に加わった。
「隼茜、前へ」
 続いて、双子の妹が壇上へ呼ばれた。当然彼女の力も翔に等しいと思われる。
 案の定、青と緑、そして、白の光りが沸き上がった。彼女も翔と共に最高位のマスタークラスに加わった。
 しかし、他にも3色の力を得る者がいた。剣(つるぎ)の疾風(はやて)、葵(あおい)の若葉(わかば)、銀(しろがね)の飛燕(ひえん)であった。どれも王家の傍系にある者達だ。
「紅紗蘭、前へ」
 彼女の順番となった。緊張の面もちで、壇上へと階段を上って行く。
 緊張しながらも祈祷師の顔を恐る恐るのぞき込んだ。それが、若い女性であることに気がついて、自分のいる場所が分からなくなってきた。その様子が分かったのだろう、祈祷師梨沙はニコッと微笑んだ。そのあまりの美しさにドキッとしながら、紗蘭もあわてて笑顔を返していた。その神秘の瞳に今にも吸い込まれそうであったが、良く見るにつれ、その深遠なる光りに彼女の力量を感じ取っていた。背筋にビリビリと刺激が走って、気持ちが引き締まる。
「そこへ」
 祈祷師の言葉に、紗蘭は足を止めた。そして、彼女のために呪文を詠唱し始めた。静かに時が刻まれるようだった。
 しかし、異変はすぐに起こる。一瞬、強烈な光りが辺りを襲った。それはまた一瞬にして消えた。大きな動揺が講堂の中を駆けめぐる。そして、見た。5色の光りが、天に向かって登っていく様を。
「な、何ということだ・・・」
 ドルイド僧も我を忘れてその光りの行く先を追った。
 祈祷師梨沙でさえも、頭にかぶっていたフードがずり下がって豊かな金髪を振り乱し、講堂の天井を見つめていた。そして、すぐに紗蘭の資質であることを確認するかのように、目の前の少女を見据える。間違いはなかった。その周りを取りまく水晶球は今も間違いなく、どれも光り輝いている。
「続けよ、急げ!」
 祭壇の脇から押し殺した男の声が放たれた。それは、一人の貴人であった。彼こそが「魔導師の鑑」と呼ばれる王の中の王、雷紫光(いかづちしこう)であった。
「はっ、紫光様」
 祈祷師はすぐに、ドルイド僧達に声を掛けて、精霊の力を彼女に宿す呪文を続ける。しかし、これが容易ではない。5つの光りはお互いに反発しながら寄り集まろうとしないのである。その間、紗蘭には干渉する精霊の力によって痺れるような痛みが絶え間なく続いていた。だんだんと、苦痛に汗が吹き出す。
「いかん!」
 そう言うと、紫光神王は祭壇の上に登っていた。紗蘭を背後から包み込むようにして、精霊の力をなだめようとした。ちりちりと彼の腕を焼くような痛みが走る。しかし、その腕をどければ紗蘭の身にその痛みが降りかかるのだ。
 祭壇の下に、一人の老人が呪文を唱えながら近づいた。学院の長、鳳星(おおとりせい)長老である。その気合いが空気をつんざく。瞬く間に5つの光りは紗蘭の体の中に消え失せた。この時、激しい痛みが紗蘭の神経を激しく貫いた。
「ああっ!」
 悲鳴と共にその小さな体が崩れ行く。それを紫光神王が背後から抱き留めた。
「おおっ、大丈夫か・・・!」
 神王の腕の中で、少女はしおれた花のようにぐったりとその輝きを失っていた。
 星長老が祭壇の上に登って、その様子をのぞき込んだ。
「大丈夫のようじゃのぅ。生命の輝きは前にも増して、精霊の力に満ちておる。すぐに目を覚ますじゃろうて」
 長老は孫娘である祈祷師梨沙に指示を行う。
「梨沙よ、しばらく儀式を中断し、この娘を医務室へ運んでやってくれんか。続きはワシがやっておこう」
「分かりました、おじい様」
 祈祷師、鳳梨沙は長老の意見に従って、儀式の中断を生徒たちに伝えた。講堂内のざわめきはそれくらいでは収まらない。
「いや、医務室まで私が運ぼう。その後は梨沙殿にお願いしよう」
 そう言って、紫光神王は、両手で紗蘭の体を抱き抱えて、祭壇をゆっくりと降りて行く。とても大切なものをその両手で扱うように、慎重な足どりであった。そして、彼女を見つめるその瞳は何よりも穏やかであった。
 こうして、紗蘭の魔導師への道が始まったのである。数年後、この神国を導く光りとして、紫光神王はこのときすでに彼女の未来を予見していたのかも知れない。

特別訓練

 魔導学院のマスタークラスは新入生を合わせて21人となった。彼らは概ね3年で進路を決定する。中には村に帰り医業に付く者、僧門に入る者、大陸に渡る者、さらに鍛錬を重ねる者がいる。
 マスタークラスには四天王と呼ばれる4人の魔導師がいた。卒業生でありながら、日々鍛錬を重ねながら後進の指導をする者達である。
 祈祷師の鳳梨沙(おおとり・りさ)も実はその1人だった。
 彼らは学院に学ぶ者達の最も身近な目標となるのである。彼らは実務を兼任し、その最前線の教育を行うのである。
 鳳王家の子息、涼(りょう)は魔獣を多様に操る召喚師(Summoner)。
 魔法剣士(Rune Blade)の剣忍(つるぎ・しのぶ)は攻撃魔法を自在に操る剣の使い手。
 防御系の魔法を得意とするドルイド僧の隼丈(はやぶさ・じょう)は妖獣師としても隼一族の代表格。
  彼ら4人がマスタークラスを率いて行く。彼らのクラスは実地訓練がほとんどである。いくら、精霊の恩恵を受けているとはいえ、それを使いこなさなければ意味がない。そのために様々な訓練を行っていく。
 さて、早速、入月式の次の日から実地訓練に入る。昨日の入月式の後、マスタークラスの面々の紹介を終え、一つの麻袋を渡された。その中身はサバイバル用品だ。
 学院の庭園にクラスの全員を集め、梨沙が皆の前に立つ。
「では、今日は新入生のための特別訓練に出発します。この訓練は新入生8人をリーダーとするチームで行います。各チームはこの昇竜山を目指して戻ってきてください」
 ふーん、と紗蘭は気楽に考えていた。もちろん、サバイバル道具の中身は見た。小型のナイフ、水筒、火を起こすための燐粉、寝袋などが入っていた。
「紗蘭、あなたは涼と朧と組んで」
「あ、はい!よろしくお願いします」
 紗蘭は鳳涼(おおとり・りょう)と魁朧(さきがけ・おぼろ)に頭を下げた。
 涼は軽そうな笑顔で、手を振っていた。朧はというと表情をまったく変えないで、直立不動だ。
 急に不安が募る。何だこの2人は・・・。四天王の涼はどうも軟派な感じで、朧はというとつかみ所がなく無愛想だ。
紗蘭
重継春菜
紫苑
疾風夜叉
若葉
飛燕冷輝紫苑
 そこへ、追い打ちをかけるようにチームの発表の後に梨沙がつけ加えた。
「期限は半年。それに間に合わない者は学院には不要です。目標はひと月。途中で刺客があなたたちの力を試しますので、呪符の準備はしておきなさい」
 半年もかかることがあるのだろうか、それはかなりの危険を伴うということのようだ。なぜ?
「各チームはリーダーの決定を絶対に守ること。そして、サポートはリーダーを守って試練を果たすように」
 梨沙はそう言って、みんなを笑顔で送り出すのだった。
「それでは、みんなを出発地点へ送ります。3人づつ並んで」
 四天王の丈が指示をする。
「おう、紗蘭。俺は後で行くからな、それまで朧とよろしくやってな」
 涼は相変わらずにやけたヤツだった。それにしても、朧と2人というのもかなり不安だ。どっちにしても不安に違いないが。
 四天王が円陣を組み、その中に紗蘭と朧が囲まれる。
「行くわよ。紗蘭、朧、がんばってね」
 梨沙の励ましが耳に残っている内に、辺りの風景は粉々に消えていった。そして、瞬く間に別の景色が彼女たちの前に構成されて行く。
「きゃあっ!何?」
 思わず、体の平衡感覚を失ってその場に倒れてしまった。空間転送を受けるのは初めてのことだった。体が浮いたようにも感じなくはないが、水に入ったときのような抵抗感はない。それでも、自分の体が勝手に移動したと感じる。
 頭がクラクラしていた。目をゆっくりと開けるとそこには鬱蒼と気の茂る森が広がっていた。
「ここは?」
 手で体を支えながら起きあがったものの、体中の力が抜けきっていて立つことが出来なかった。その場にドンとへたりこんだ。
 ゆっくりと顔を動かして周りを見るとどこを見ても森だけが目にはいる。いや、巨大な森のど真ん中にいるらしいと気が付いた。
 朧は紗蘭のすぐとなりに立っていた。それも平然と立っている。
「な、何?何なのこれ?」
 やっぱり、返事はない。恨めしそうに、朧を見上げる。すると、以外にも手が差し伸べられた。バランスを失いながら、その手を離すまいと両手でしがみつく。
「立て」
 彼が言ったのはそれだけだった。
「うーっ」
 紗蘭は悔しくなって、彼の腕を引き抜かんばかりに引っ張った。人によっかかって立ち上がりながら、目は爛々と怒りに燃えてきた。
「な、何よ、このぉ」
 と、自分に気合いを入れながら、ようやく朧の肩から手を離した。何ともみっともない格好だった。まだ、足はしびれが切れたように震えている。
「で、ここはどこなの?」
 紗蘭が聞いても答えは返らず、朧は1枚の地図を彼女に差し出す。
 自分で考えろということか。地図をジッと見て、空を見上げて、周りを見渡すが、見当など付くはずがない。
 朧もさすがにあきれたか、
「ここは、輝緑島だ」
と、こともなげに言う。
 輝緑島は神国の最も大きな珠金島より東に位置する小さな島だ。島全体が豊かな緑に覆われた人の少ない島である。
「ま、まさか・・・。まさか、ここから帰るの?」
「ああ、そういうことだ。リーダーは君だ。俺はそれに従う」
「言ったわね。よっし、じゃあ、あっちに進もう」
 紗蘭は自分の向いていた方へ指を示す。
「向こうは東だぞ」
 そう言われて森の巨木を見上げると、影の方向から太陽が正面にあるらしいことが分かった。
「あら、本当ね。じゃあ、あっち。あっちに行こう」
 痺れの残った足を引きずりながら、朧に背を向けて歩き出した。いつの間にか紗蘭の中の不安は消え去っていた。距離だけを考えれば7日で帰れそうだ。もう、そこまで気楽に考えていた。
 しかし、甘くはなかったと、思い知らされたのはお昼の太陽が真上から照らし出す頃からだった。歩いても歩いても同じ景色ばかりでドキドキしていたモノがスッカリと消えてしまっていた。しかも、足場が悪く、太い木の根を登ったり避けたり、森も平坦ではなく少しづつ登っているようだ。
「もうダメ。休憩!」
 紗蘭は太い大木の根本に座り込んだ。朧は木陰で座りもせず、立ち尽くしている。
「なーに?あなたも座りなさい」
 まるで母親が子供をしつけるような言いぐさだ。
「まだ、森の中央だ。夜までに森を抜けないと危険だ」
「何それ、そんな脅し効かないわよ」
 朧を見上げると、目で周囲をゆっくりとうかがい、どことなく緊張して見えた。感覚を研ぎ澄ませて周囲を警戒しているようだ。
 風がザワザワと感じる。まさか?
 朧の視線を追いかけるように周囲をキョロキョロと見渡す。
「ただの風だ」
 紗蘭の眉間に地震が走った。
「あなたねぇ。わ、私を恐がらせてどうすんのよ」
 悪態をつきながらヨロヨロと立ち上がる。
「いや、何匹かわからんが匂いをかぎつけて後を付けて来る」
「ほ、ホントに?」
 朧が嘘を言うとは思えなかった。いざというときには頼りになるだろうとは感じているが、つかみ所がないのも事実だ。
「すぐには襲ってこない。ヤツラは暗くなるのを待っている」
「そ、そうね。急ぎましょう」
「まあ、待て」
 朧が紗蘭のかつぎ上げた荷物を後ろからつかんだ。
「きゃっ、何よぉ!」
 紗蘭はよろけながら荷物を奪い返す。
「ペースを乱すな。ヤツラは警戒深い。逃げようとすれば慌てて襲ってくるだろう」
「じゃあ、どうすればいいのよ」
 紗蘭は朧に食って掛かる。どっちがチームリーダーだか分からない状態だ。もちろん、無人の森に突然放り込まれたのだから無理はない。少なくとも朧は昨年にこの訓練を体験しているはずなのだ。
「もう少し休んでおけ、それから出発しよう」
「何それ・・」
 文句を言おうとして内心ホッとしていた。もしもの時は、とりあえず何とかしてくれそうな気がしたのだ。紗蘭はドカッと大木の根本に腰を降ろす。
 朧も手近な木に体を預けて休息していた。
 輝緑島の森は、島のほとんどに広がり、巨大な木々が天を貫くように無数に生えている。足下はシダやコケが多く、緑の葉を多く付けたツルが木の根本に巻き付いている。
 風がどこから吹き抜けてくるのか分からないのだが、ほとんどが日陰なのでその時は肌寒くなる。昼時は真上から太陽が照らすため、地面から湿り気が蒸発し始めて蒸し暑くなってくる。
 あっと言う間に霧が深くなってきた。太陽は燦々と真上に輝き、時折、駆け抜ける風が白いカーテンを引くと身震いするような寒気が襲う。
「ねえ、そろそろ行きましょう。体を動かさないと寒くて死にそう」
 紗蘭は元気に立ち上がり、短い袖から出ている白い腕を寒そうにこすっていた。
「そうだな」
 朧は木にもたれた体を支えるだけで準備完了。2人は再び歩き始めた。
 霧はますます濃くなっていくようだ。人が動けば、小さな風が生じ、ゆっくりと白い波が広がって行く。
 紗蘭はブツブツと文句を言いながら歩いていた。お腹が空いて仕方がないのだ。
「こんなんじゃ、3日も保たないわ。この森じゃ果物もなさそうだし・・・」
 ともかく、霧で何も見えない。足下がようやく見える程度であった。しかし、太陽も真上を過ぎて徐々に陽が差し込まなくなっていた。
「霧は深いし、暑いし、寒いし・・・」
 それでも、獣の餌にならないためには歩くしかなかった。
「それにしても、お腹空いたなぁ」
 紗蘭は大きな溜息を吐いていた。そして、どうも何か足らないことに気が付いた。
 足音がしないのだ。まさか、そう思って振り返ると、ただ真っ白なトンネルがあるだけだった。慌てて前や右左を見回したが最早どちらが前か後ろかも分からなくなってきた。
「な、何?朧!どこ?」
 紗蘭は大声を張り上げてから、急にしおらしくなっていた。
「どこに行ったのよぉ」
 今にも泣きだしそうなくらいか細い声になっていた。
 パキッ。パキパキッ。
 どこからか枝の折れる音が聞こえたような気がする。まさか、アイツらだろうか。ますます不安が募るばかりだ。
「くそっ!」
 紗蘭は唇を噛みしめると取りあえず歩き出した。こうなったら誰の手も借りずに森を抜けてやる。と、意気込みで不安をかき消そうとしていた。
 ガサガサ。
 また、妙な物音が聞こえる。
 風、風、風。と、自分に言い聞かせる。しかし、白いカーテンは重く垂れ下がっている。
 ますます、顔を強ばらせて行く。
 急に目の前に黒い影が動いて見えた。と、同時に足が止まっていた。
 ドカッ!
 肩に掛けていた荷物が足下に滑り落ちた。
 ハッとして、袋の口を開けて手を入れる。3枚の細長い木に呪文を書いた呪符を取り出す。
「正解ね。チャンと用意はあるのよ」
 すでに勝ち誇ったような口調で、呪符を構えて黒影を目の前にとらえる。
 それはゆっくりと近づいてきた。
 呪符の1枚を右手に握りしめ、呪文を詠唱する。
「何をしている」
 その黒い影が言い放つ。
「何?」
 紗蘭は思わず聞き返していた。
「朧!何してんの?」
 それは間違いなく朧だった。呪符を握った拳で、このまま殴ってやろうかと思ったくらい腹が立つ。
「ほら」
 そう言って、朧は赤い小さな実を2つ放り投げた。
「わっ、こらっ」
 慌てて両方の実を胸で受けとめ、両手で落とさないように押さえていた。
「何すんのよ」
 取りあえず怒りながらその実を確認すると、赤いクロスグリの実、カシスだった。
「そこで、見つけた。食べておけ」
「おっ、ありがとう」
 紗蘭も気が抜けて、自然とそれが口に出た。ともかく、腹が減っては怒れない。
 カシスをかじりながら、ともかく怒っていた。嬉しいやら気恥ずかしいやら、もう自分でも何が何だか分からなかったが、ともかくしゃべらずにはいられなかった。
「分かった、分かった。静かにしろ」
 朧は顔色を変える様子もなく、言葉はうんざりとしているようだった。
 段々と霧は収まって来た。しかし、徐々に陽が傾いて薄暗くなっていた。
 自然にまた、静かになっていく。
「晩飯はお前が取ってこいよ」
 朧はそれだけ言って、黙ったままだ。
「分かったわよ。途中でウサギでも捕まえるわ」
 フンと、鼻息荒く怒りながら、足早に歩く紗蘭。
 それから、夕闇が一気に森に覆い被さる。真っ暗になると、どうにも身動きが取れない。
 耳元に小さなせせらぎの音が聞こえてきた。
「川?水の音がする・・」
「そのようだ」
 朧も落ちついて答えていた。本当は知っていたのだ。水と食料が補給できるように森の出発地点からお膳立てされていたのだ。
 紗蘭はせせらぎの音に向かって走り出していた。
「あった!川よ!」
 明るい声が、森に響いていた。小川は簡単に飛び越せるほどの幅しかなかったが、水が澄んでいて、深い川底をのぞくことが出来た。
「深いわねぇ。あっ、いたぁ!アレはいけそうね」
 そう言ったかと思うと、キョロキョロと周りを見渡し、木の枝を選別し始めた。真っ直ぐな枝を見つけ、余分な葉や、小さな枝を取り払う。ナイフを使って、先端を鋭くとがらせていく。
「じゃあ、魚を捕るから、ナイフで串を作っておいて」
 紗蘭は枝で作った槍を振りながら、ナイフを朧に手渡した。
 水の中をのぞき込み、楽しそうに見事に魚を突き刺していく。紅の村でもよく魚を捕っていた。大抵の家では魚やウサギ、果実を捕ってくるのは子供の仕事であった。大人は野菜を作ったり、飾り物を作ったり、商いをするものだ。だから、子供達は遊びと同時におかずを捕ってくるのである。
 燐粉を削った木屑に混ぜ合わせ、木の枝をこすりつけると簡単に発火する。4匹の魚が串に刺されて、火に掛けられた。
 やはり綺麗な水に住んでいるだけあって、癖のない淡泊な魚だった。その点は物足りないけど、お腹には十分だった。
「まあまあね。お塩があれば完璧だったけど」
「かもな」
 朧はそう言って、辺りを一通り見回した。
「追手もないようだし、ここで野営するか。川もあるし、果実もある。無理して人間を襲ってくることもないだろう」
「そうね。随分歩いて、疲れたわ」
 紗蘭は座ったまま背伸びをして、それからスッと立ち上がった。
「じゃあ、交代で火の番をしなきゃね。その前に、果物を採っておきましょう。番をしながら食べられるでしょう。後、枯れ枝ももう少しいるわね」
「そうだな」
 朧もすんなり同調し、2人で幾つかの果物を採取して来た。
 火をくべながら交代で睡眠をとることに決めて、まずはリーダーである紗蘭が火の番をする。朧は寝袋に入るとすぐに眠ってしまった。
 枯れ木がパチパチと音を立てて燃えていく。少しづつ木を足しながら、火の勢いを調節する。
 ふと、真っ暗な頭上を見上げると、高い木の枝の隙間に星空が所々に見えていた。紅の村にいたときでも、森から帰るのが遅くなって空を見上げたことがある。しかし、今はとても新鮮な気持ちだった。何だか嬉しかった。
 次第に、遠くにピクニックに行ったときのことを思い出していた。学校の友達や幼なじみたちと遊んだ日々が、妙に遠いモノに感じた。お父さん、お母さんはどうしてるだろう。
 そんなことを色々と考えている間に、ウトウトと眠ってしまった。

 ドンドン!
 何かがドアを強く叩いていた。
 ドンドンドン!
 誰? 
 体が痺れて動かない。誰かが体を揺すっていた。
「お嬢ちゃん、起きな」
 誰かが頬を叩いている。
 た、助けて・・・
 言い様のない恐怖が突き上げてきた。
 ハッとして閉じていた目を開けた。
「おい!大丈夫かよ」
 目の前ににやけた男の顔が迫っていた。
「きゃあ!な!何!」
 紗蘭は勢い良く地面を蹴って、後ろに転がって逃げていた。
「おい、俺だよ。涼様を忘れたか?」
 胸を張って立っていた大男は、召喚師の鳳涼であった。
 まだ、紗蘭には状況が分かっていなかった。周りは真っ暗で、火の消えかけた焚き火がもう一度大きくなろうとしていた。その向こうには赤い寝袋から半身を起こした朧の顔がこちらを見ている。
「な、何・・・?」
 紗蘭はもう一度、涼を見た。
「火の番をしながら寝るなよ。死にてえのか?」
 そう言いながら、涼は紗蘭の座っていたところに座って背を向けた。
 涼は焚き火の中に枝をくべて行く。朧はもう一度寝転がった。
 状況を飲み込んで、紗蘭の目がギラッと怒りの炎に燃える。腕で支えて体を跳ね上げると、次の瞬間には涼の首に腕を回して、後ろから締め上げていた。
「おうっ!こっ、こらっ」
 息が止まって、さすがの涼も紗蘭の腕を両手でほどこうともがく。
「今頃来て何よ!私たちは一日中歩き回ってたのよ!」
 そう言いながら、いい加減なこの男に鬱憤をぶつけるために腕の力を更に強めた。
 涼は彼女のその腕を両手でつかみながらゆっくりと立ち上がった。当然、彼女の体は宙に浮く。それでも、紗蘭は必死でしがみついていた。
「お前、胸ねえなぁ」
 涼がそう言った途端に紗蘭の腕の力が抜けた。涼はすかさず腰で彼女の体を跳ね上げて、小さな体を背中から地面に叩き落としていた。
 紗蘭の叫びと同時に、涼の怒声が浴びせられる。
「苦しいじゃねえか!無茶すんじゃねぇよ」
 上から見おろしている涼の顔はニヤけたいつもの顔ではなかった。
「俺が見に来なかったら、お前は死んでたんだぜ」
「ど、どうしてよ」
 納得行かない紗蘭は、涼の雰囲気に圧倒されながらその場に座り込んだまま、頬を膨らませながらにらみ返していた。
 涼はあきれた顔で、焚き火の前に座りなおした。
「向こうの木の根本に行ってみな」
 頬を膨らませながら、立ち上がり、紗蘭は少し離れた大木の下へ立ってみた。
 上を見ても下を見ても何も変わったところがない。それよりも、背中がスウッとして思わず体を手で包もうとしていた。
「何もないじゃない!何よ、寒いじゃない」
 紗蘭はプリプリ怒りながら、涼に近づいた。それを制すように朧の声が飛んだ。
「紗蘭、止めておけ。もし、火が消えていたらその寒さで死んでいた」
 それを聞いて、ようやく気が付いた。朧は寝転がったまま動かない。
「ごめんなさい。ありがとう」
 火のそばへ寄りながら、紗蘭は素直に謝って、礼を言う。
「頑固な割には、素直だな」
「でも、さっきのはいやらしかったわよ」
 にやけた顔を思い出すと身震いするようだった。
「頭も使うんだよ」
「まあ、お互い様ね」
「へっ、勝ち気なヤツだ」
 炎の向こうに涼の笑顔が浮かんでいた。初めて彼をかっこいいと思ってしまった。
「俺が火の番をしてるから、寝なよ。朧と交代したら朝まで寝られる」
「変なことしないでしょうね」
 一応、気を許さないぞと念を押しておく。
「また、暴れられちゃかなわんからな」
 涼はそう言いながら、火に木をくべる。
「いいか、この研修はこの先の訓練についてこれるかどうかを見る重要なものだ。お前だけじゃない、朧にとっても重要な意味を持っている」
 紗蘭は寝袋を敷いて、寝転がりながら涼の方を見ていた。
「命の危険があることを常に忘れるな。5つの精霊がお前を認めたとはいえ、まだその力を使いこなせるわけじゃない」
「私も分からないのよ。どうして、精霊達が私を選んだのか・・・」
 紗蘭は寝袋の中に深く潜って目を閉じていた。
「全てのモノはお互いに影響を与えあって生きている。紗蘭も朧も、狼達も精霊達もだ」
 涼はそう言って、黙ってしまった。
 寝転びながら紗蘭はその言葉を何度も反すうしていた。繰り返し考えを巡らしながら、いつの間にか眠りについていた。
 それから、涼はずっと火の番をしていた。朝が来るまでに朧を起こす。
「紗蘭を頼むぞ。俺は学院に戻って仮眠をするよ。試練の日が明ける。楽しみだな」
 涼は意味ありげな笑みを残して、その森から姿を消した。
 朧も笑みを浮かべて火の前に座った。何も知らずスヤスヤと眠る紗蘭を尻目に、木の枝を持って火を掻く。彼もまた空を見上げ、何かを思い出す風だった。

神森守護

 特別訓練の2日目の朝が来た。空がうっすらと白くなり始め、青みを帯びつつあった。
 鳥達が賑やかにさえずり始め、川の近くには鳥や小動物が水や果実を取りに集まってくる。
 紗蘭もゆっくりと目を覚ました。焚き火のパチパチとはねる音が聞こえる。まだ、気温は低く、すぐには寝袋を出られなかった。
 周りを見渡すと小鳥やウサギ、狐のような動物まで水を飲みに集まっているのが見えた。しかし、涼と朧の姿は見えなかった。
 焚き火が赤々と燃えているので、そう遠くへは行ってないだろう。焚き火には大きな葉を鍋のようにして枝を支えにして掛けてある。
 紗蘭は寝袋からズルズルと這い出し、焚き火の側に座った。葉の鍋の中はお湯が沸いていた。良く見ると中に何かの塊が入っている。
「何これ?」
 あくびをしながらのぞき込んでみると、子供の頭ほどの木の実のようだ。
「朧はどこ行ったんだろう」
 そう言いながら、空を見上げた。すると、ゴソゴソと動く影が見えた。その影は木の枝の上ではなく、空の中にあった。
 紗蘭の目は点になったまま、それが何か分からない。次第にその黒い影が大きく近づいてくる。
「朧!?」
 空を散歩していたのは朧だったのだ。どうやら Flight の呪文を使って空に昇っていたらしい。
「おはよう!あなた、青の使い手だったの?」
「今頃聞くのか?青白緑だが、青が専門だ」
「へえ、私は赤と緑が好きなんだけどね。で、何してたの?」
「大きな雨雲が東から南に広がって見えている。今日の夕方か明日の朝までには一雨来るかもしれん」
「へえ、それ便利な呪文ね」
「呪文じゃない。頭を使うんだ」
 朧は相変わらず愛想がない。そう言って、火に掛けた木の実をのぞいていた。
「それ、涼にも言われた。かわいくなぁい」
 紗蘭は悔しそうに朧の背中をにらんでいたが、もうこちらは向いてくれなかった。
「ところで、それ何なの?」
「中は牛乳のようなものが入っている。まだ寒いからな、これで体が温まる」
「さっすが、気が利くわね」
「・・・・」
「何よ。言いたいことは言った方がいいわよ」
 紗蘭の声が、一段低くなった。
「調子のいいヤツだ」
「それ、喧嘩売ってんの?」
「いや、褒めてるんだ」
 朧に言われると説得力があるが、今一つ意味が分からない。聞いても分からないから止めておこう。
 2人は火から葉の鍋を降ろして、その大きな木の実を2つに割った。大きなお椀のようになった木の実の中には白い果汁が湯気を立てて入っていた。
「わあっ!あったかい。これ美味しい。ホント、牛乳みたいねぇ」
 見たことも、味わったこともない不思議な木の実に感激しながら、ジワジワと体が温まって元気が沸いてくる。
 朝食にもう一度魚を捕って、昼食用に果物を幾つか調達し、ミルクの実も1つ持って出発することになった。
 今日中に森を出ないと、雨の中を寒い森で野営しなくてはいけない。
 朝から順調に行進は続いた。昼の霧も馴れたモノ。夕方が近づいて霧が晴れる頃、空も少しづつ雲に覆われ始めていた。
 紗蘭は木の枝を振りながら邪魔な草や枝を払いながら進む。少し離れて朧が後を追う。 「ねぇ、あれ!」
 紗蘭が突然何かを見つけて前方を指さした。
「もしかしたら、森の出口じゃない?」
「そうだな」
 朧が言ったのはそれだけだった。
「何よ。もっと感動しなさい」
 そう言いながらも、紗蘭の顔は喜びではちきれそうだ。
 森の木の影ばかりが広がっていたが、前方には明るい木立の合間が見えていた。
「紗蘭!離れるな!」
 今にも走りだそうとしていた彼女に朧の緊迫した声が飛んだ。
 紗蘭の足がピタリと止まった。同時に、草木のすれる音がガサガサと大きな雑音となる。
「ヤツらなの?」
 紗蘭は手にしていた枝を握り直し、危険の迫る感触を背に受けて振り向いた。
「狼だ。この森の守り神、緑狼だ」
 朧はすでに何枚かの呪符を手にしている。
 狼達は森を抜ける間際、安心したところを襲うためにひたすら静かに追跡していたのだろう。
「4・5匹はいそうだな。呪符は用意してきたか?」
Fireball ならあるけど・・」
「森では使えんな」
「そ、そうね。じゃあ・・」
 紗蘭は袋の中に手を入れた。
「来た!」
 朧は手に5枚の呪符を持っていた。その中の2つを空に放った。青く輝く呪符は飛びながら形を変え、自ら羽ばたいた。
 紗蘭もその見事な鷹の姿に驚いた。Zephyr Falcon だ。
「俺が同時に出せるのは2匹までだ」
「じゃあ、これを使いましょうか」
 紗蘭は袋からようやく目的の呪符を取り出した。
「何だ」
Giant Strength よ」
「誰が使うんだ」
「やっぱり、私かな?」
「狼を殺さないように、突破口を作ろう。後ろは俺に任せて、出口へ走れ!」
 朧の声と同時に、背中を押す手があった。
 紗蘭は勢い良く走り始める。手にした呪符を掲げ、自身に Giant Strength をかけた。そして、手にしていた枝を体の前で横にしながらいつでも突き出せる体勢だ。体を赤い光がうっすらと包むと、中から力が沸き上がってきた。
「さあ、いつでもいらっしゃい」
 強気なことを言いながら木々の奥に狼たちの動きを目で追った。確実に狙われていることが分かる。徐々に間合いが狭くなって行く。
 後方は2匹の Zephyr Falcon が守っていた。その2匹は後ろと横から近づく狼を牽制している。朧の手にはもう1枚の呪符が用意されていた。それは緑の光を放つ。
 紗蘭はそんな様子を知らずに、ひたすら前だけを見て走っていた。2匹の緑狼が前を塞ぐようにお互いの間合いを詰めて来た。
 グッと歯を噛み合わせながら、紗蘭はさらに走る速度を上げた。
 それを見たのか、前方の2匹が方向を変えた。
「来た!」
 紗蘭の声と同時に、狼は飛び上がって向かって来た。神聖なる森の守護者は侵入者に容赦しない。牙をむき、2匹同時に襲ってくる。
Fog!」
 朧が持っていた呪符を使って、一瞬にして濃霧を発生させた。この霧の中では敵を傷つけることは出来ない。全ての五感がこの魔法の霧の中では消えてしまうのだ。
「狼より先に外へ出るんだ」
 霧の中から先に脱出すれば狼を置いて逃げることができそうだ。
 必至で霧を走り抜けると、森の出口はもう直ぐだった。2匹の鷹もすでに姿を消していた。
 森を抜け出して、紗蘭は勢い余って転がって倒れた。
「おい、大丈夫か?」
 朧の声に、うつ伏せになった体をひねる。そのまま仰向けになっただけだった。
「お、狼は?」
 切れ切れの息を吐きながら、朧を見上げる。
「大丈夫だ。彼らは森からは絶対に出ない」
「そう・・・」
 ホッとすると、余計に体が動かない。目だけで森の方を見ると、確かに狼たちがこちらを見て立ち止まっていた。
 彼らは侵入者から森を守るが、森の外へは出ることはない。それは彼らも森に守られているからだった。
 狼が森の奥に戻っていく頃に、ようやく紗蘭は体を起こした。
「疲れたよ。朧は平気なの?」
「いや、疲れた。村がそこに見えている、行こう」
 紗蘭は目が回りそうだった。朧は表情は相変わらず平然としている。しかし、彼の額の汗を見て、何だか微笑んでしまった。いや、思わず声が出ていた。
「変なヤツだな」
 朧は歩き出していた。それを追って、紗蘭も立ち上がった。
 森を抜けた今、ようやく村を目の前にしていた。海も近い。かすかに潮の香りがしている。
 漁村は月明かりの中にうっすらと浮かび上がっていた。低い壁の向こうに、背の低い家が思い思いに並んでいる。それは静かなたたずまいであった。

死地深海

 輝緑島にある唯一の村、深海(しんかい)。
 元々、ある異端視された宗教者たちが本島から流れ着いて作った村だった。
 そのため本島との交流はほとんどなく、漁業と森の近くで取れる野菜や果物を取り、まれに小動物を捕獲して生計を立てていた。
 当然人気の少ない静かな漁村であった。
 しかし、村に近づくにつれ、疑問が徐々に大きくなってきた。余りにも静かすぎたのだ。そして、明かりがどこにもない。
 漁業は朝早いため、漁師は日が沈むと直ぐに寝てしまう。そして、日が出るまでに漁へと出発するのである。だが、それでもにぎわう場所があるはずだ。
 そんな様子はこれっぽちもない。村の門は開いたまま、門番もいない。
「ど、どういうこと?」
 その異様な雰囲気は益々強くなる。紗蘭も不安に顔を曇らせた。
「人気がないな」
 朧も疑問を確認するように口にした。
 二人は村の大きな通りを歩きながら、月明かりだけを頼りに進む。火の明かりも、物音も、人の気配さえなかった。
 時折、海からの風が砂埃を巻き上げる。潮の香りも何故か生臭く感じずにはいられない。
「何か、嫌な感じね」
 不安がどうしても口を吐く。
「まるで、死人の町だ。何が・・・」
 朧の表情も硬く緊張している。昨年の様子とは余りにも違うのだろう。
 どこにも生活の明かりがなく、物音さえなく、人がいる様子もないのだ。当然ありえない状況だ。
 突然、朧が走り出した。沙蘭もあわてて、彼を見失わないように必至で後を追った。
 大通りから細い路地に入り、教会の見える一角へとたどり着くと1軒の家に入っていった。
 門を入って、庭に入ってみた。家の中に朧が立ちつくしている。何かを肌で感じようとしているのだろうか。
 そして、再びそこを飛び出し別の家へと飛び込んだ。それを何度か繰り返した。
 そのどこにも人の気配がなく、ある時点から、生活が止まったままになっていた。
 干したままの洗濯物、腐臭物の残った鍋、柵に入ったまま死んだ鶏・・・
「随分長い間、留守になっているわね。病気が流行った様でもなさそうだし、みんなどこへ行ったのかしら」
 あきらめて寂しそうに立ちつくす朧の背中に沙蘭が声を掛けてみた。
「少なくとも、無理矢理拉致した様子ではないな」
「ここって牙羅(ガーラ)神教徒の村よね。さっき、教会があったわね」
 洗濯物が残っていたのは日中まで人がいたことになる。日曜日なら昼の礼拝に人々が教会へ集まる様子を朧は思い出していた。
「そうだな。行ってみよう」
 そこに何かあると確信を抱いたのだろうか。二人は民家を出ると、村の東側にある教会へと道を急いだ。
 教会は背後に森が見える場所に立っていた。その影は闇の炎の様に教会を覆っている。月明かりが教会の正面を照らし、二人を導いていた。
 教会の門をくぐり、大きな扉の前で二人は立ち止まった。左右対称に流れる屋根に、正面の2階部分にはステンドグラスがはまっている。朧がその下の扉を静かに押した。
 中にはステンドグラスを通り抜けた月明かりが、色とりどりに差し込んでいた。
 朧は中に入ると硬直してしまった。紗蘭が彼の体を押しのけて中にはいると、そこには異様な光景が広がっていた。
 並べられた礼拝席にはグッタリと倒れた人で満席になっていたのだ。みんなで何かに祈りを捧げながら、そのままその場で事切れたようだった。そして、彼らの崇める神、ガーラ神の大きな像が正面の祭壇から彼らを見下ろしている。  ガーラ神は世界を再生する神として知られ、右手には降魔の剣を持ち、左手には念珠を握っている。その威容は今にも動き出しそうなくらいの迫力を持って侵入者をにらんでいるようにも見えた。
「何、これ・・・」
 唾を飲み込んで、ようやく紗蘭の口が開いた。それは小さくかすれた声だった。
「やはり、昼の祭礼に集まったんだな」
 そう言って、朧はゆっくりと正面に向かって歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 扉を閉めて、紗蘭もあわてて彼の後を追う。
 二人の足音だけが教会の中に響く。両脇の礼拝席は静かな村人たちが並んでいる。
 朧が突然立ち止まり、紗蘭は彼の背に顔を打った。驚いてそのまま床にしゃがんでしまった。彼は礼拝席の中に見知った顔を見つけたのか、ジッと一方向を見つめていた。
 紗蘭が見上げると、朧は今にも涙を流しそうな様子だった。
 と、その時、外から足音と人の声が近づいてきた。それは慌ただしい様子で、扉の前でなにやら話し合っている。
 朧がおもむろに紗蘭の腕を引っ張った。
「隠れよう」
 二人は走って祭壇の下まで行き、礼拝席の前に体を隠す。息を飲んで、落ち着かせようとしていた。
 扉はゆっくりと開いた。2人の影があった。中を警戒して眺めている。足音を聞かれていたのかもしれない。
 扉の閉まる音が聞こえた。再び静寂が訪れる。心臓の激しい音が聞こえてくるようだ。
「どうするの?」
 朧は紗蘭の問いに答えなかった。しかし、手には2枚の呪符を用意していた。
 次の瞬間、青い光が飛んだ。2匹の Zephyr Falcon が吹き抜けの上空から舞い降りた。
 だが、青い光飛び散って、その姿は瞬く間に消えた。
「うおっ」
 朧がうめき声を上げて、その場に倒れる。意識を無くしたわけではなく、直ぐに体を起こした。
「Power Sink だ」
「えっ?そんな高度な魔法を?」
 敵はただ者ではないようだ。見る間に新たな Creature が召喚されていく。それは見たことのない精霊のようだった。
「あれは、Sea Spirit!」
 そう叫ぶと、朧はおもむろに立ち上がった。
「涼!」
 彼は敵の名を呼んだ。いや、敵ではなかったのだ。二人に合流するためにやって来た鳳涼だったのだ。
 そして、鳳涼と一緒にいたのは源春菜(みなもと・はるな)であった。彼女は源王家の傍系に当たり、艶やかな容姿は人を引き寄せるモノがあった。まだ、20才と若いが才色兼備の将来有望な呪術師(Shaman)であった。長い黒髪は腰まで届き、涼と肩を並べても引けを取らない長身に白いシャツと黒いジャケット、引き締まった腰から膝上までをピッタリと黒い革の巻きスカートが包み、そこから伸びる足はどこまでも艶やかに透明な白さであった。
 彼女がいるということは、同じチームの鷲重継(わし・しげつぐ)と隼翔の二人も一緒だった。教会の外で待機していた二人も中に入ってきた。
 彼ら3人も森を抜けて来たらしく、村の外で涼と出会ったということだった。そして、かれらも村の異様に気が付き、様子を見るために教会までやって来たのである。
 涼と春菜は教会の中にいた人々を丹念に診察してみる。
「死んではいないようだな」
 確かに血の気を失ってはいるが、今にも息を吹き返しそうな張りのある肌をしていた。
「本当か?涼」
 朧が直ぐに聞き直した。
「そうね。これは羅魅亜(ラミア)の胡弓(こきゅう)を思い出すわね」
 春菜はその深い神秘の瞳を輝かせながら神話を引き合いに出した。
「何それ?羅魅亜って楽器を使って人を操る悪いヤツじゃないの?」
 沙蘭が子供の頃に聞かされた話を思い出して尋ねる。
「羅魅亜はね。主神牙羅(ガーラ)に仕える第二の使徒で、その胡弓をかき鳴らして人々の迷いを救うと言われてるのよ」
「えっ、いい人なんですか?」
 緊張感のない返事だった。春菜もあきれてしまう。
「でも、敵にしたら恐いわよ。胡弓を持って不安をかき立てたり、静かに眠らせたりってこともあるわ。な、何よ?」
 沙蘭が春菜の顔をジッと見つめたまま動かなくなっていた。
「あ、あれ?何か、春菜さんに魅入られちゃいました」
「私は羅魅亜じゃないわよ」
 春菜は腕組みをして冗談に紛らそうと、彼女の目を避けるように首をひねった。
 呪術師である春菜にとっては、神話の羅魅亜は目指すべき至高の存在である。そのため思い入れは強く、決して羅魅亜と呼ばれても嫌な気はしなかったはずだ。
「まあ、ともかくそれに近い存在がこの村を訪れた訳だ」
「目的は何だろうな」
 涼の意見に、重継が初めて口を開いた。彼は温厚な人物で、細身に細い目が特徴だった。何事もじっくりと考えた上で、的確な判断を導き出すため、頼り甲斐のある修道士である。
「二ヶ月前にも本島の東海岸でこれに似た事件があったはずだよ」
「そこから、ここまで逃げてきたヤツがいるのか・・・」
 涼も重継に応じて思案を巡らせる。沙蘭も他の者も一様に頭をひねっていた。
「ともかく、ここに長くいても仕方ない。奥の屋敷を調べてみるか」
「お、奥ですか?」
 涼の意見に、翔が震えるように声を出した。沙蘭がすかさず、意地悪に詰め寄る。
「なぁに?蛇使いのくせに、何が気味悪いのよ」
「う、うるせえ。嫌な予感がするんだよ」
「確かにね。でも、原因を突き止めないと・・・」
「そうだね」
 春菜と重継は賛同の声を上げた。翔も仕方なくうなずいた。
 その時、光の輪が三人の体を捕らえた。
「うおっ!な、何だこれは!」
 涼、春菜、重継が同時に体の自由を奪われてしまう。強力な Paralyze だった。一人に対して三重の Paralyze を仕掛けていた。
「逃げろ!」
 涼が声を上げるまでに、朧の姿は奥へつながる扉に走り去っていた。沙蘭と翔もその後を追う。
 敵はかなりの使い手のようだが、9つの Paralyze を使っている間はほとんど魔法を使えないはずだ。朧はそれを考えて奥への扉を開けに走ったのである。
「愚かな者たちよ!聖域より立ち去れ!」
 それは女の声であった。牙羅の像のその後方から声が響いて聞こえた。
 すでに朧は扉の取っ手を握っていた。しかし、びくともしない。
 その間に春菜がバランスを失ってその場に倒れてしまった。
「春菜さん!」
 戻ろうとする沙蘭を朧が後ろから捕まえて止める。
「行くな!早く敵を見つけないと危険なんだぞ!」
「でも、あんなに苦しそうじゃない!」
「無駄なことはするな!三人を助けるには敵を見つけるしかないんだ。来い!」
 朧は沙蘭を掴んだまま、扉の前に彼女を押しやる。
「ほら、得意の Fireball だ。頼むぞ」
 沙蘭は難しい顔をしていたが、実践の経験不足はいなめない。ここは朧を信じることに決めた。
「よおっし!行け、Fireball!」
 彼女の声を聞くと同時に、朧は閃光に視力を奪われないように、腕で目をカバーた。翔もあわててそれにならい、目を閉じる。
 渾身の呪文が彼女の手から扉に向かって突き刺さったのはその直後だった。木の扉にはかなり大げさな呪文であった。赤い閃光が扉を突き破りながら炎の固まりとなって奥の部屋に飛び込んで行った。
 沙蘭の体が急激な疲労に崩れそうになるのを、翔が後ろから抱きかかえて支える。
 それを置いて、朧が先に奥へと足を踏み入れた。苦痛のうめきと、彼が倒れる音が響く。
 翔は沙蘭を支えながら、無くなった扉をくぐり抜けた。
 部屋は真っ暗で何も見えなかった。さっきの Fireball で、闇に慣れた視力が再び失われてしまったのだ。
 しかし、翔にはしっかりと敵の姿が見えていた。彼は呪符を手にし、1点を見据えて身構えていた。
「動くな!Counterspell を持っているぞ」
 その彼のそばに朧が倒れていた。朧は気合いとともに Paralyze を解除して、体の自由を取り戻す。しかし、一時的に効果を中和しているにすぎない。
「どうやら、これが最後の切り札か」
 膝をついてゆっくりと体を起こしながら、朧も敵をその目に捕らえていた。
 闇の奥から不気味な低い笑い声が起こった。そして、ピンと張った弦がかき鳴らされる音が聞こえた。
「フフフ。この音が聞こえるか、愚かな者たちよ」
 間断無く聞こえる音に、緊張感が高まる。
「私は羅魅亜、これこそ伝説の胡弓なのさ!」
 そう言うと、魔女のごとき女は弓の形をした竪琴を激しくかき鳴らす。
「聞け!そして、私の前にひざまづくがいい」
 毒々しい声が闇に響く。朧と翔に異変が生じた。戦意を失い、その場で体を支える力さえ失って行く。
 今更、耳を押さえても無駄であった。体が痺れるというのではなく、脳が徐々に機能を停止させていくのだった。
 と、その時、元々うつろな状態だった沙蘭には効き目が薄かったようで、手にした Fireball を放つことができたのだ。
 赤い閃光は真っ直ぐに胡弓に向かって飛んだ。
 鈍い音がして、胡弓の音が止んだ。
 脳の動きが回復し、体も再び自由となる。
「や、やったのか?」
 翔が闇の奥を探るように見つめる。
「無駄だよ。この胡弓はそんなもので壊れるほど陳腐なモノじゃないのさ」
 おぞましい笑い声が闇から沸き上がる。
 羅魅亜がゆっくりと三人に近づいてきた。その手にはしっかりとあの胡弓を抱きかかえていた。その魔女は白い神父の衣装を身にまとっていた。しかも、その胸元から血が飛び散って赤く染まっている。それは何度も重ねて染まったようだ。
「あんたたちの魂も生け贄になってもらうよ」
「い、生け贄?」
「その魔法陣は、羅魅亜の幽閉陣!」
 朧の目に、魔女の後ろに描かれた血の魔法陣がはっきりと見えてきた。それは、鶏の生き血で描くと人々の魂を生きながら閉じこめることができるという秘術であった。
「ほう、この魔法陣を知っているなんてねぇ。でも、この中心に来るモノが誰にも分からなかった。私を除いてはね」
 振り乱した縮れた長い黒髪の奥に魔女羅魅亜の瞳が異様にきらめいていた。その唇もぞっとするほど血の色を帯びていた。
 その時、礼拝堂の中で異変が起こっていた。春菜が力尽きようとしていたのだ。
 ついに、気を失い、その場に体を硬直させたまま春菜が床に激しく倒れた。
「春菜!春菜ー!」
 涼の叫び声が奥の部屋まで響いて届く。
「さあ、これで3つの mana が自由となった。あんたたちを捕らえるには十分だね」
 そう言ったかと思うと、羅魅亜は呪符も使用することなく、春菜に掛けていた Paralyze を3人に掛けていく。朧には2つ目となり、翔と沙蘭には1つで十分に拘束することができた。
 朧も Paralyze を解くことができなくなり、再び床に倒れてしまった。それでも、魔女の動きを見逃さないようにしながら、体を動かそうとしている。
「ふふふっ、これで魔法陣を開けば羅魅亜の力を得ることが出来る」
「や、やめろっ!そんなことをしても、貴様が羅魅亜になることはできない」
 魔女は手にしていたロウソクに火を灯した。そして、魔法陣を書いた紙にその火を近づけた。
「魔法陣の真ん中に羅魅亜を表す古代文字を入れた。この魔法陣が燃えるとき、幽閉された魂と羅魅亜の魂を交換するのさ。そして、それは永遠に私の力となる!」
「バカな!やめ・・」
 言葉を振り絞る朧を後目に、魔法陣の中心に書かれた羅魅亜の古代文字に火をこすり付けた。
 それは一瞬にして変化を及ぼした。激しい閃光が魔法陣の中心から発し、ロウソクの炎が飛んだ。魔法陣は中心から激しく燃え、綺麗に円を描いて燃え広がっていく。その燃えた後には闇よりも遙かに暗い空間が広がり始め、全ての光を吸い込んでいるようだった。
 魔女の甲高い笑い声が小さな部屋に溢れ出す。狂気の笑いは耳をつんざく。
 闇は徐々に光へと変化を始めた。魔法陣の奥から小さな光が広がり始めた。
 次の瞬間、魔女の激しい叫び声があがった。彼女の体は闇の奥から現れた光の束に捕らえられ、強い力で引き寄せられていた。その抵抗は虚しいモノでしかなく、魔女の体は忽然と消え去った。
「き、消えた・・」
 翔もこればかりは声を出して驚いた。そして、体の自由が戻ってきた。
 3人が体を立て直したその時、再び異変が起こった。魔法陣の奥から急速に光の固まりが近づいてきて、ついにその外に飛び出した。
「きゃあ!な、何?」
 沙蘭は頭を押さえて、その場にうずくまった。
 翔は後ろの壁まで飛び下がり、大の字に張り付いていた。
 朧はその場にゆっくりと立ち上がり、その存在を確認して呆然としていた。
 それは人の形をしていた。服を着ているようには見えなかった。それは若く凛々しい女性のようだった。
「ら、羅魅亜?」
 朧はそれがどちらを指しているかも分からないでいた。しかし、彼の考えは間違っていなかった。
「私は牙羅様の使徒、羅魅亜。彼女は私の胡弓を盗み出し、私の紋章を手に入れた。どうやらこの村は、そのために悲劇に見舞われたようです」
 清らかで意志の強い声が教会全体に響いていた。
 徐々に彼女の存在が現実に近づき、薄い衣を身にまとい、手に先ほどの胡弓を持っていることが分かってきた。
「彼らを元に戻せないのでしょうか」
「もちろんです。私の過ちが信仰心の厚い人々に災いをもたらせました。捕らわれた魂はそれでもなお、私たちを信じて止みません。そのために私は魔法陣を開いたのです」
 羅魅亜は朧の問いに優しく答えたのだった。
「さあ、お行きなさい。貴方の愛する人たちも、貴方に会いたがっています」
 そう言うと、羅魅亜は手をかざし、ゆっくりと目を閉じた。
 魔法陣のあった場所から無数の小さな光が飛び出して、線を描きながら礼拝堂の自分の体を目指して飛んだ。
 涼は春菜を抱き起こしていた。そして、春菜の目にも多くの魂の光が、元の場所へと帰っていく様子が見えた。
 そして、次々と息を吹き返した村人から歓声が沸き上がる。
「みなさん、私も主も、みなさんの信仰心に感謝しています」
 そう言って、最後の光を見送り、羅魅亜は砂のように魔法陣の中へとかき消えて行った。壁にはただ、焼けこげた木目があるのみ。
 翔と沙蘭も朧の後を追って礼拝堂へと戻ってみた。
 そこには羅魅亜の声を聞き、6人の魔法使いを感謝と尊敬で迎える村人たちがいた。
 朧は見知った人々との再会を涙で迎えていた。それは彼の両親や親戚、親友の姿だった。
 涼や春菜、重継も幾人かの村人と抱き合って喜んでいた。
 そして、沙蘭にも翔の元にも喜びに沸き立った村人が両手を開いて、生きて帰った喜びを分かち合うのだった。

祝福風下

 朧の住んでいた家は教会の近くにあった。村に入ってから朧の後を追いかけて最初にたどり着いた家だった。
 6人の冒険者はそこで一晩を過ごして、輝く朝を迎えた。
 村を救った英雄たちは、朝食を終えると早々にそこを出発することにする。村でも一番大きな漁船が本島まで送ってくれるという。
 村人たちの声援を背に受け、全身で波を感じながら深海の村を後にする。朝日は生きている喜びを若者たちに実感させた。そして、波の鼓動がさらなる冒険へと彼らを歩ませる。
 まだまだ、旅は始まったばかり、魔導学院新入生たちの特別訓練は首都神月まで続くのだった。