第一章 | ||
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胎動 |
Mox Ruby | [Artifact] |
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ある晴れた日のことだった。
3人は丘陵を越えるために、人通りのある街道を使って坂道を登っていた。街道とは行っても、人や馬が踏み歩いてできたもので、周りに人の住む場所があるわけではなく。草原や林の中続く硬い道なのだ。
そんな彼らの目の前に重い荷物を背負った小柄な老人がいた。少し進んでは立ち止まり、また歩き出す。
すぐに彼らは追いついた。見ると、額に吹き出した汗が目にしみて、立ち止まっては顔を吹いていた。それに重そうな荷物のせいで、肩が今にもつぶれそうだ。
「おじいさん、どこまで行くのぉ?」
茜はお祖父さんの荷物を横から支えながらそう尋ねてみた。
お祖父さんはニカッと大きな口を横に開いて笑った。
「おお、かわいいのう。ワシの孫よりかわいいのう」
「まあ、ありがとう」
照れている茜が手をゆるめても、確かな足取りでお祖父さんは歩みを止めなかった。
あわてて、お祖父さんの横へ並ぶと、ちらっとお祖父さんの目が動き、下から上まで茜を眺める。
「うむ、じゃが、もうちっと、胸が欲しいのぅ」
そう言って、また、前を見て進む。
「うっ・・・」
茜は思わず手を離して、立ちつくしてしまった。
紫苑と霞が彼女に追いついた。
「どうしたの?」
「えっ?ええ、いやぁ」
霞の問いにごまかす茜。結構、悔しかったらしい。
「あっ!」
紫苑が声を上げた。すぐに大きな音が響いたかと思うと、お祖父さんが倒れて、荷物が草むらに転がっていた。
3人が駆け寄って、お祖父さんを抱き起こす。
「大丈夫?変なこと言うからよぉ」
茜はここぞとばかりに言い聞かせる。
「ち、ちいさいもんはちいさいんじゃ」
息を切らせながら負けん気だけは強かった。
「な、なんの話ですか?」
紫苑が聞くと、茜がグッと怖い顔でにらむのだった。
草むらに落ちた荷物の中身がバラバラになっていた。
野菜や果物ばかりで、それらを3人で拾い集めた。
話を聞くと、この先の昇龍山の手前にある村までこれらを届けるというのだ。
月に二度、その荷物をある家に届けに行くというのだ。
「へぇ、そのおばあさんって、お祖父さんの初恋の人だったりしてぇ」
茜がからかう。
「ふん、胸は小さいが感は良いみたいじゃ」
「余計なことをぉ」
また、茜の形相が変わると、紫苑が思わず笑いを堪えていた。見ると、霞まで笑っていた。
「まあ、似とることは似とるが・・・。声しか聞いたことがないからのぅ」
記憶を呼び覚ますようにお祖父さんは目をつぶって空を見上げた。彼の耳にはそのおばあさんの声が聞こえているのだろう。
「声?それだけ?」
「そうじゃ。いや、最初に一目だけ見たことがある。いやいや、現実には手しか見たことがないがのぅ」
「手だけですか?」
紫苑も興味を覚えたようだ。
「そう、その村に野菜を売りに行って、みんなに断られたんじゃが、その家だけはよろこんで迎えてくれた」
「へぇ・・・」
茜の返事はめんどくさそうに聞こえた。興味が長続きしないらしい。
「じゃが、不思議なものでのう。夢を見たんじゃよ。そのばあさんが、野菜を売りに来て欲しいって言うもんじゃから、その村へ行ってみたら、確かにその家があったんじゃ」
お祖父さんは、孫の興味を引くために昔話をしているような口調になってきた。
「じゃあ、夢の中でおばあさんに会って、それで村へ行ったの?」
茜もすぐに興味を取り戻した。お祖父さんはそれを満足そうに見返している。
「そうじゃ。だから、夢の中で一度会っている。だが、実際には顔を見せてはくれん。それになぁ・・・」
「そ、それにぃ?」
「家の中には、どうしても入ることができんのじゃ」
「ど、どうしても?」
「そう、どうしてもじゃ。それに、ばあさんも家から出られないらしい」
霞と紫苑は腕組みをして聞いていたが、茜は楽しそうにお祖父さんににじり寄っていた。
「それで、野菜を売りに来てって言ったのかしら?」
「そうじゃろうな。あんた、賢いのう」
お祖父さんは満足そうにガハハと大声で笑った。
そこで照れている茜は脳天気かも知れない。
「それは実に不思議ですね。何か訳がありそうで・・・」
紫苑が言い終わらないまでに、お祖父さんが突然奇声を上げた。
「そうじゃ、そうじゃ。思い出した!」
その声の大きさに驚いて、茜は後ろへ尻餅をついた。
「今度、三人のお客を連れて来るように言われておった。途中で知り合った三人を道案内するように頼まれておった」
三人は顔を見合わせて驚いた。
「それはあんたらのことじゃな」
茜が首を横に振った。
「私、知らないわよ。そんな約束してないもの」
「そうじゃなくて、これは予言だよ」
紫苑が落ち着いて言う。おばあさんは彼らの来ることを知っていたのだ。
「じゃあ、行ってみる?」
茜の決断は早かった。もう立ち上がって、お祖父さんの荷物を持ち上げようとしていた。
「行くしかなさそうだ」
紫苑が手を貸して、二人で荷物をぶら下げて持つ。
「仕方ないわね。導かれているのよ」
霞も異存はなかった。
「そうとなれば、急いで行くとしよう」
お祖父さんも立ち上がって、元気に歩き出した。
こうして、4人となった一行は照月(しょうげつ)という村へ向かって出発したのだった。
さて、照月村までは2時間ほどで着くことができた。
しかし、実に閑散とした村だった。まるで生活の匂いのない村だった。どうやら、人はいるらしい。しかし、話し声も聞こえなければ、その姿も見えなかった。
いや、どうも彼らの姿を見て隠れてしまったようだ。
物陰から送られる数々の視線が、奇妙にまとわりつく。
「お祖父さん、何か変なことしたんじゃない?」
茜は先頭を歩く源太爺さんに聞いてみた。
「何を言うか、ワシぁなんもせんぞ。あの館へ野菜を売りに行ってから、いつもこうじゃよ」
強がっているようだが、お祖父さんは少し悲しそうな表情を見せた。
「昔はもっと活気があった。ワシが若い頃はな。そこの酒場なんぞ、いつも誰かが喧嘩をしておった」
その酒場は、看板もとれかかり、扉は半分開いたままであった。
「あの八百屋の主人は一番声が大きかった。村の入り口まで声が聞こえていたもんさ」
木の台だけが並んでいる店が八百屋らしい。
「いつからこんなになっちまったのか・・・」
その声は本当に寂しそうだった・・・。
「知ってる人はいないの?」
茜はなんとか明るい話にならないかと思った。源太爺さんは立ち止まって振り返った。
「ここはワシの生まれた村さ。若い頃、村を飛び出したまでは覚えているがな」
「じゃあ、あのおばあさんも?」
「ああ、本当に初恋の人かも知れんなぁ・・・。懐かしい声に思えるわい」
そう言ってきびすを返し、再び歩き始めた。すると人影がその前に立ちはだかる。
「早介(そうすけ)、またか」
源太は幼なじみの姿を見定めて言った。
年は源太と同じであったが、背筋がシャキッとしていて少々若く見える。白い半袖のシャツと膝までのズボンが妙に似合っていて、それも若々しい原因だろう。頭はすっかりと髪の毛をなくしてはいるが、白い眉と蓄えられた白いあごひげ、そして、何より射るような鋭い眼光があった。
「また来たのか。何をしに来ているかは知らんが、あの教会には近づくなと何度言わせる」
その強い口調の中にも親友を気遣う心があふれているようだった。
「ふん、これがワシの使命じゃ。神の啓示に従うまで・・・」
「源太、おまえは呪われた教会の本当の悲劇を知らんのだよ。あれ、何人も寄せ付けぬ。入ることも出ることもできない、魂の監獄じゃ」
「その囚われの魂が救えるかもしれん。そう信じているのだ」
源太はその信念の元にお婆さんの家を訪れているのだ。
「今日は悪い予感がする。行かぬ方がよい」
早介の意味ありげな言葉に、茜が霞と紫苑を振り返る。
霞は大丈夫と言うように、にこっと笑って見せた。紫苑もうなずいている。
「ふん、お前に言われんでも、ワシはワシの思った通りにしか動かん。どけ!」
源太は彼より一回り大きな早介の体を払いのけて、ズンズンと歩き出した。
茜も慌ててその後を追う。
「い、いいの?あんなこと言って?」
「いつものことじゃ、気にせんでいい」
それからは源太も無言になった。茜もシュンとして静かになった。
どうもこの村の雰囲気は私たちを歓迎していない。その気持ちが決定的になっただけだったのだ。
前方の小高い場所に一件の背の高い建物が見えてきた。
そこもまた、独特の不思議な空気を持っていた。
壁を覆っているツタは屋根まで届き、朽ち果てたようにもろく見えた。
土壁も所々に小さな穴があいているが、建物そのものは堅牢な石を途中まで積み上げて補強されている。
「ここは教会ですか?」
霞が小さなステンドグラスを見つけて言った。
「昔は牙羅(ガーラ)神教の華留羅(カルラ)様が祀られておった。じゃが、大聖変(だいせいへん)によって信者がいなくなってしまったからのう」
「あ、それ、習ったことあるぅ」
茜には歴史の重みも形無しの軽さだった。ようやく口が開けて気が抜けたのだろうか。