Magic: The Gathering

Oriental Gold

This Novel is written by Shurey


Prologue / Sec.1
第一章
胎動

第三話 隼 翔


Fireball

[Sorcery]
Pay for each target beyond the first: Fireball deals X damage divided evenly, round down, among any number of target creatures and/or players.

鈴鳴の森

 隼翔(はやぶさ・しょう)は小さな漁船の先端に立って、潮風を感じながら目前に迫る港町を眺めていた。
 村の魔法学校を卒業して、首都神月へと始めて出てきたのはつい四日前のことである。神国の魔法教育の頂点とも言うべき魔導学院に入学を果たし、新入生のための早速の特別訓練であった。新入生たちが各チームのリーダーとなり途中で課題をクリアして首都神月を目指さなくてはならないのだった。
 つい昨日までこれほどの広い世界の中で次々と新しいモノを目にすることがあるとは思ってはいなかった。その自分が様々なモノに触れながら一つ一つ吸収していく気分は、体の内から沸々と血が沸き立ってくる感じがしていた。だから、潮風が顔に当たっていないと体がオーバーヒートしそうなのである。
 昨日は一緒に入学した双子の妹、(あかね)のことなどこれっぽちも考えることはなかった。これも今までにないことであった。いつも後ろを付いて歩いていた茜がいないことで、羽が生えたかのような軽やかさを感じている自分に気が付いた。
 目前に草原と小さな港町が近付いていた。この晴れた空の下のどこかにいるであろう妹も異なる景色を見ながら同じ思いを抱いているのかもしれない。
 魁朧(さきがけ・おぼろ)の生まれた村を出発した一行は昼頃には対岸の村で魚船を下りた。
「ありがとう!」
 鳳涼(おおとり・りょう)と紅沙蘭(くれない・さらん)の二人は最後まで大きく手を振って漁船を見送っていた。
「ねえ、潮風で髪も服もベタベタだわ。私、どこかでシャワーを浴びてくるわ」
 源春菜(みなもと・はるな)はいかにも不快そうであった。それでも、その妖艶な美貌は明るい太陽の下で色あせることはなかった。黒い薄手のジャケットに白いシャツ、腰には革製のミニスカートで身を包み、やや上から翔を見ていた。端正な顔も、半袖の腕も、細く長い足も雪のように透き通って白く、それと対照的に漆黒の黒髪は滑らかに腰まで降りてくる。
「どこかって言っても・・・」
「宿を探してくるわ。そこでお風呂場だけ借りてくるから、待ってなさい」
 あきれる翔を無視するように、荷物も預けたままさっさとと歩いていってしまった。
「まあ、いつものことだ・・・」
 彼女の後ろ姿を黙って見送りながら鷲重継(わし・しげつぐ)は翔の後ろで笑みを浮かべていた。彼と春菜は幼なじみである。彼の家は古くから大陸各地との交易を任されていた三家の一つであり、彼も独自の情報源を持つという情報収集のエキスパートなのだ。また、信仰心も厚く、修道士として一流の魔法使いでもある。一見堅物の坊ちゃん風だが、実は決断力があり頼り甲斐がある人物なのだ。
 翔はしげしげとそんな二人を見比べながらため息を付いていた。チームのリーダーとして二人を率いながらも、二人に翻弄されているような気がしてならなかったからだ。
「おや?どうした。また、春菜の悪い癖か?」
 今度は涼がやって来て、またかと笑っていた。
「じゃあ、俺たちも行こうか」
「行くって?」
「腹減ったろう。たまには町中で飯でも食うか」
「俺、お金なんて持ってないですよ」
「そう、残念だな。俺もねえや」
「どうするんです?」
 翔はあきれるばかりであった。そんな彼を後目に、涼は沙蘭を呼びつける。
「おーい、沙蘭。腹減ったなぁ」
「うん!腹減った」
 沙蘭は目を輝かせて喜びながら走り寄ってきた。 「飯でも食うか」
「おごってくれんの?」
「やだよ、金持ってねえか?」
「ない!あるわけないでしょう」
「しゃあねえ。シゲ、金貸してくれ」
「また、ですか」
 そう言いながらも、重継は快くお金を貸していた。
「俺たちは3人で飯を食って来るわ。翔、春菜をほっといたら、後が怖いぞ。じゃあな」
 忠告なのか、言いたいことを言って、涼は沙蘭と朧を連れて行ってしまった。
「どうします?」
 翔は自分の手荷物と春菜の手荷物を担ぎ上げて、涼たちの後ろ姿を恨めしげに見ていた。
「ここで、待つか」
「ふう、それしかないですかね」
「仕方ない、春菜の後を追って行こう。それからだ」
 ようやく二人の男も町のにぎやかな方へと歩いて行った。

 翔と重継は簡単に春菜の入った宿を見つけることができた。そこで、春菜に伝言を残して、同じ宿の中にある食堂で昼食を食べながら彼女を待つことにした。
 結局、彼女が出てくる頃には、翔は待ちくたびれて寝てしまっていた。重継はその向かいで分厚い古い本を読みふける。
「あら、待ってたの?」
 そう言いながらも、それが当然という風であった。
「ああ、もう昼食も終わって、お茶の時間じゃないか」
 重継も堪らず嫌みの一つも言ってみるのだった。もちろん、それが本気で通じるとは思っていない。
「そうね。私もお腹空いたわ」
 春菜は翔の隣に座って、遅くなった昼食を取った。
 その後、翔を起こして一行は宿を発ち、町を出た。神月へと向かうのではなく、港から南西にある鈴鳴の森を目指すのだった。
 この鈴鳴の森の南には沙蘭の住んでいた村がある。だが、翔は遙か北方にある村に住んでいたため、この森についてもまったく知らない。
 この森には、古くからの住人が居り、彼らこそ鈴鳴の一族と呼ばれる人たちだ。昔、彼らの中に森の外で暮らした男がいたという。それが鈴鳴という名前だったことから、親しみを込めてそう呼ばれるようになったのである。そして、その鈴鳴は今でもこの森の中で生きていると信じられてきた。しかし、彼ら鈴鳴の一族の姿を見たモノは今ではほとんどいないのだった。
「鈴鳴の森で試練の石を探すんでしたよね?」
「そうだ。詳しいことは分からないけど、ともかく鈴鳴の森の奥地で試練の石を見つけよということだ」
 重継は常に落ち着いた口調で答えている。その手には宿でも読んでいた古めかしい書籍が広げられていた。
「あの、その本は何ですか?」
「ん?ああ、これ。神記の副秘本でね。古の魔法に関する補足と研究が書かれているんだ」
「ああ、神記か。村でも全部読んだ人はいませんでしたよ・・。俺も授業でやりましたけど、1巻の創世伝のとこしか覚えてないですね・・」
 そう言いながら首を横に振る翔。
「まあ、4巻までは世界の起こりと、神々の歴史がつづられているからね。神記の第5巻と6巻は古の魔法について書かれていて面白いけど、ほとんどの魔法が失われて誰にも分からない。そこで、様々な解説書が昔から出されているんだ。これはね、正式な副本の一部と考えられている、最も古い神記解読本なんだ」
「へえ。難しそうですねぇ」
「そうだな。でも、例えばだ。Fireball は古の魔法からそのまま現在の形になったけど、Counterspell は違う。今の魔法では古の Counterspell を防ぐことはできないんだ」
「古代魔法の多くは世界を創世するために使われたって言われてるでしょう。鈴鳴の一族はね、その古代魔法の封印を守っていると書いている本もあるのよ」
 重継に続けて、春菜が補足した。食事時や寝るときになると文句ばっかりいってるが、こと魔法のことについては彼女も勉強家である。
「そ、それってかなり危険じゃないですか?」
「あら?言わなかったかしら。大変よって」
「ええっ?すごくお気楽に聞こえたけど・・・」
 学院の新入生を対象とした特別訓練では、3人のチームで行動をするとはいえ、実際は2人の試験官がいるのと同じなのである。それを知らないのは新入生たちだけであった。
 重継も翔から見えない位置で笑いをこらえていた。鈴鳴の森での指令を伝えたのは彼だった。
 森の入り口にさしかかり、3人は足を止めた。入り口とは言っても何があるわけでもなく、木々の林立する一体が目の前に広がっている。しかし、この森は奥にもう一つの深い森を含んでいる。それこそが、鈴鳴の森なのだった。
 ウサギを追って夕食を確保しながら、森の奥へと進んで行く。
 不意に翔が立ち止まった。誰かが遠くからこちらを見ているように感じた。何度か歩いては立ち止まった。
「どうしたの?疲れた訳じゃないでしょう」
 見かねて春菜が声をかけた。
「ええ・・。でも、何か感じません?」
「さあ、森の奥はまだまだだと思うけど・・・」
 重継も辺りを見回しながら答えた。だが、マナの躍動を感じていないわけではなかった。翔に見えないように、ときどき春菜と目配せをしている。
「まあ、それならいいんだけど・・」
 そう言って、翔はまた歩き出した。しかし、一つだと思っていた影はいつの間にか二つになっていた。それは、3つになり、4つにと徐々に増えているようだった。
「本当に気づいてない?」
 翔は歩く速度を保ちながら、首を少し後ろに返した。
「お迎えが来たのかな。害はない、警戒深いのさ」
「でも、囲まれてる」
 翔の言葉にも緊張が高まっているのが分かる。
「古代の森までまだあるわ。それより、さっきから妙なマナの動きを感じるのよね」
 森に足を踏み入れたころ遠くで鳥の群が騒ぎ出し、激しく鳴きながら大群で移動していくのが見えた。春菜はそれから何度か森の中で魔法が使われているのではと感じていた。
「誰か他のチームも森に入っているのかな」
「最近、ゴブリンの動きが活発で、この森に住み着いているヤツもいるらしいよ」
 重継の表情はやや曇り気味であった。本来、この森だけでなく国内でゴブリンを見かけることはまずありえなかった。それが、昨年頃から南の方の村などでゴブリンによる被害が現れだしたのだ。
「ゴブリンって灰銀島にしかいないって聞いてましたけど。海を渡って来たんですか?」
 本島の南には灰銀島という小さな無人島がある。10年前まではそこに小さな集落が点在していたのだが、疫病の発生により村は全滅した。以来、灰銀島は呪われた島として人の近付かない土地となっていた。
「まあ、そういうことになるな。でも、それだけじゃなさそうだけど」
 重継の顔がますます難しくなる。
「あんまり深刻な顔しないでよね。こっちまで頭が痛くなるわ」
 陽気の中を歩き続けていて疲れた顔をしながら、春菜がその長い黒髪をかき上げて、それを束ねようと持ち上げていた。
「そういえば、ここ最近、軍の方も忙しいらしいわね」
「また、新しい彼かい。もう怖くて名前は聞けないけど・・」
「ど、どういう意味ですか?」
 半信半疑で翔は聞き返した。聞かなかった方が良かったのかもしれないが、思わず口走っていた。
「まあ、私なりの情報網ってとこね」
「はあ、そうですか・・」
 察して、頭をかく翔であった。
 しばらく歩いて、川辺に出た。森のわき水が作った小さな小川だった。
 春菜は真っ先に走って行き、水をすくって顔を洗った。そして、冷たい水でのどを潤す。
「ああ、生き返るわ!おいしいわよ」
 二人の男も彼女の隣に並んで水をすくう。そして、ゆっくりと手のひらから飲み干して行く。
「冷てぇ!」
 そう言ったかと思うと、翔は水をすくって頭から浴びる。
「ほら、あなたも浴びたら?」
 春菜も水をすくって、重継に浴びせるように水をかいた。慌てて逃げるのを本当に楽しそうに笑いながら水を浴びせていた。
「何やってんの、もう」
 重継も怒ってはみたものの、春菜もすでにびしょぬれであったから、笑うしかなかった。
 彼に逃げられた春菜は次に翔を標的にして、水をかき上げた。でも、翔も既に自分で水をかぶっていたので、すぐに反撃されてしまった。
「何するのよ!」
 自分のやってることは棚に上げる春菜であった。こんなことでキャアキャアやってる子供っぽさや人なつっこいところが、わがままで気分屋の春菜が人を惹き付ける部分である。
 さて、再び歩き出した一行は、目前の森がゆっくりと高くなって行くことに気が付いた。
 古代の森というのは、小高くなった一帯のことである。木の密度が濃くなり、足下の雑草も茂っており、踏み込むことを躊躇させるのだ。
 鈴鳴の一族はこの古代の森を聖域として、滅多に森を出ることはないという。そして、侵入者をやすやすとは許さないとも言われる。
「さて、ここからが本番だ」
 重継は気持ちを引き締める。春菜ももう余計な口を挟まない。
「よし、俺が先頭で入ります。次に春菜さん、後ろは重継さんでお願いします」
 と、その時、森に背を向けていた翔の背後で草をかき分ける音がして、振り返ったところへ、汚れた布を全身にまとった人が突然倒れ込んで来た。
 訳が分からなくて、逃げた翔に代わって、重継がその体を支えた。
「何逃げてんの?」
 春菜もすぐにそのそばによって、顔をのぞき込んだ。その後ろからゆっくりと翔が近付く。頭を覆っていた布が落ち、黒く長い髪がこぼれ出た。
「お、女?」
 細い顔は泥にまみれていたが、長いまつげが見て取れる。
「気を失ってるわ。翔、水をちょうだい!」
 春菜に言われるまま、腰にぶら下げていた革製の水入れを外して彼女に手渡した。すると、ふたを開けて泥まみれの女性の顔に遠慮なく水を浴びせる。
 ゆっくりと顔の泥を取り除いていた春菜の手が止まり、それの作業を見ていた二人も目を見張る。
 その顔は美しくもあったが、醜くもあった。左半分の顔は色白で血の気は少ないが、華奢な顎で、お嬢様的な病的な美しさがあった。しかし、その右半分は赤黒いアザに覆われていたのだった。は虫類のように堅い感触は痛々しくもあった。
 3人が言葉を失っていると、その女性のまつげが静かに揺れた。
 重継はしっかりとその体を支えて起こし、彼女の体に力がよみがえってくるのを感じ取っていた。
 春菜は愛おしげにもう一度その顔に触れた。
 目を開けると同時に驚いてその手を弾いた女性に春菜は優しく声をかけていた。
「大丈夫?心配ないわ・・」
 汚れた布で顔を隠してしまい、重継からも逃げるように体をよじって後ずさりしながら、その女性は小さく震えていた。
「何が・・あったんですか。助けが必要なら遠慮しないで・・」
 一番頼りないはずの翔が、女性に向けて優しく言葉をかけていた。いや、その様子、そのかいま見た美しさと、どこか冷たく憂いに溢れた瞳に心を奪われたと言っても良かった。
 春菜が優しく彼女の背中をなでながら、体が冷えているだろうと寄り添ってしっかりと抱き留める。
 重継は立ち上がって森の奥に目を走らせていた。いつでも呪文を唱えることができる体勢を維持していた。
 翔はどうして良いか分からないままに立ち上がってはみたものの、彼女から目を離すことができなくなっていた。 「ねぇ、あなたの名前は?教えて・・・」
 そう言いながら、春菜は彼女の頭らしいところをなでていた。ゆっくりと顔を隠していた布が落ちていく。
「もう大丈夫。私は麗(れい)。仲間と狩りに森に入ったところをゴブリンに追われて・・・」
 それはかなり疲れた声であった。見た目のか細さとは裏腹に、瞳には力強い光がみなぎっていた。
 彼女は森の中でゴブリンに襲われて、仲間とはぐれてしまったらしい。しかも、古代の森へと迷い込んでしまい鈴鳴の一族からも追われて逃げてきたと言う。
「そう。でも、よく無事でここまでこられたわね」
「・・仲間を探さないと。私は戻らなければ・・・」
 そう言うと、麗はフラフラと立ち上がろうとする。春菜が手を貸して彼女の体を支える。
「どちらにしても、我々も鈴鳴の一族に会いに行く。なあ」
 重継は言葉の最後を翔へ向けた。
「そう、だな。でも、彼女を連れて行くのは・・・」
「私は大丈夫。魔法の修練もしているし、こうして呪いを体に受けながらもね」
 そう言って笑った麗の口元は冷ややかな憎悪に満ちていた。しかし、それはまた耽美な魅力に満ちており、翔は身震いせずにいられなかった。春菜と重継もまた言葉を飲み込んでいた。
「呪い・・ね。でも、歩けるの?」
「ええ、もう大丈夫。彼らの集落へ着くまでには十分に回復できるわ」
「集落?森の中に村があるのか?」
「彼らはエルフよ。古代樹(こだいじゅ)があれば彼らは生活できるのよ」
「古代樹?この森の奥に・・・」
 重継もさすがに知らなかったらしく驚きの声を上げた。
 500年以上の古い大木で、霊的な生命力を持っているのが古代樹であった。古代樹そのものが精霊と言っても良い。
 古代樹で暮らすエルフはより強くて洗練された魔法を使用すると言われる。古代樹に守られたエルフは、無限のマナを使って何者からも古代樹を守って大切にして暮らしているのだ。
 今では古代樹の森もエルフの住んでいる場所もほとんど人に知られなくなっていた。
 一行は4人、エルフの襲撃を警戒しながら茂った草をかき分けて進む。しかし、いくらがんばっても気配を消して近付くことは無理なくらい草や木が進路の邪魔をしていた。
「これじゃ見つけてくれって言ってるようなもんだな」
 翔もブツブツと文句を言いながら先頭で木や草を払っていた。
「魔法さえ使わなければ大丈夫よ、でもトラップには気を付けてね」
「そんなの分かんないよ」
 麗の励ましにも文句を言って答えている。後ろで3人が笑っているのも気が付きそうになかった。
 しかし、前進を続ける内にマナの重圧を感じるようになってきた。盟約の土地からマナを得るときにその余波が発動する。その微動は魔法を使いこなすものにしか伝わらないのだが、この森は全体がマナの根元であるかのように常にその波動を発している。それがプレッシャーとして一行の足取りを重くして行く。
 日の浅い翔でさえ、その重圧を感じていた。額に汗をかいていたのは体を動かしているからではなく、その重圧を吹き飛ばそうという葛藤からであった。
「これでは普通の人間では近付けないな。まるで命が吸い取られていくようだ」
 重継もマナの重圧に耐えていた。
「すごいわね。これほどの力が森の外では感じられなかったなんて・・」
 春菜は実はこれが初めてのことではなかった。彼女も初めての特別訓練でこの森を訪れたことがあったのだ。
「・・・・」
 麗は黙って静かに春菜の後ろを歩いていた。その動きが止まる。
 重継が、春菜がその歩みを止めた。そして、翔も急激に増幅するマナの力を感じて四方からのマナの流れを正確に感じようと立ち止まった。
「・・来た。Fog!」
 麗の反応は迅速だった。翔たちが白い影が飛んでくるのに気づいた時には、一瞬にして目の前に濃い魔法の霧が広がり、飛来する矢の音が霧の中に吸い込まれて行った。
 どうも敵の気配が分からず、翔は戸惑いながら周りに目を走らせているだけだった。もちろん、何も見えるはずはなかった。
「この霧は直ぐに消えるわよ」
 仲間の影だけが霧の中で動いていた。
「私に任せて!」
 春菜が魔法を詠唱する。霧の中から2匹の鷹(Mesa Falcon)が飛び出した。
 重継もそれに続いて、Clay Statue を召喚した。土が盛り上がって霧を払い、それは巨大な人型となった。
「今の内に霧の中を走ろう。手をつないで走れ!」
「はい!」
 翔は麗の手を取って、重継は春菜の手を取って霧の中を真っ直ぐに突き進んだ。
「あっ!」
 だが、疲れの残る麗が草に足を取られて倒れてしまった。
「ああっ!」
 空を切った手を戻して、翔は慌てて彼女の元に引き返す。
「立って。行けるか?」
 その声は以外に落ち着いて優しかった。麗は足をくじいたのだろうか、足首を押さえてしゃがみ込んでうつむいていた。霧は薄く晴れかかっていたが、重継と春菜の姿は見えなくなっていた。
 翔は腰を下ろして、彼女の顔をのぞき込む。
「さあ、早く。肩に掴まって」
「ダメよ。もう走れないわ。ここは私一人でなんとかするから、先に行って」
 彼女の発言は決して弱気なモノではなかった。魔法を使う自信にあふれた発言であった。
 翔も負けていられないとばかり、説得しようとする。
「バカなこと言うなよ。仲間を助けたいんだろう」
 それはまるで妹に話しかけているような口調であった。
「あなたも仲間とはぐれるわよ」
 麗の声は冷静そのものだった。それで、翔もハッと我に返った。
「あの二人は大丈夫」
「ふふっ、あなたの心配をしているのよ」
 麗が初めて笑顔を見せた。一番便りにならない新米が自らのことや仲間のことより、自分の身を案じてくれていることを素直に喜んでいた。
「でも、私は大丈夫。それにあなたが走って逃げれば、私には都合が良くってよ」
「えっ、どうして?」
「あなたがおとりになるからよ。もしかしたら、あの二人が彼らを引きつけているかもしれないわね」
「そう言えば・・・」
 翔は改めて辺りの様子をうかがった。霧の向こうに森の様子がハッキリと見え始めていた。特に動くモノを見つけることはできない。
「それでも、一緒に行きたいんだ。ダメかな」
「どうして?そんなに優しくしなくても良いのよ。私は醜い女だから・・・」
 自暴自棄な発言には聞こえなかった。まるで、達観したような、悲しみの一線を越えた強ささえ感じずにはいられない。
「そんなことはない」
 歯を食いしばって押し殺した声で、彼女の瞳を見つめながら力強く声を出していた。
「・・ありがとう」
 また、彼女に笑みが浮かんだ。だが、それは一瞬だったようだ。
「・・・・」
「でも、行って・・・。もう一度、Fog を使うから、その間にあの二人に追いつくのよ」
 二度までも同行を拒否されて、最早一刻の猶予もない。翔は大きくうなずいて立ち上がる。
「分かった。今度会うときには・・。また、会えるな」
「ええ、きっと。それじゃ、やるわよ」
「ああ!」
 翔は振り返らずに走り出した。その姿は直ぐに濃い霧の中へと消えて行った。
 そして、霧はまたゆっくりと白いベールを失って行く。その中にはスックと立つ、麗の姿があった。そのシルエットは大地に降り立った天使のようであった。
 大きな羽ばたきが森の木々にこだまして、大きな影が彼女の背後に飛来した。それこそは、天使の姿と見まがうような端正な顔立ちと大きな白い羽を広げた隆々たる体躯の男であった。
「ラムザ、一緒にいたのは何者だ?」
 鳥男は静かに口を開いた。それは脅しにも似た声色であった。
 ラムザと呼ばれたのは麗と名乗った女である。その口元がヒッと笑い、振り向くことなく冷たく言い放つ。
「おとりさ。エルフたちをおびき出すエサだね」
「ほう」
 男は信じていないのか、関心がないという返事のしようだった。
「それより、ロムル。ラゴルは見つかったかい」
「ああ、やはりエルフに捕まっていた」
「そう、なら助けに行こうかねぇ。あの頼りない魔法使いたちが、うまくやってくれる間に・・」
 鳥男のロムルが大きく鷲のような翼を振るって飛び立ち、麗はその足につかまって宙に浮いた。余り、高く飛ぶと目立つため、森の木を避けながら、森の奥へと消えていった。


大古代樹

 翔は一人、森をさまよっていた。そびえる広葉樹の下を、胸までの深い草をかき分けて進む。息を切らして、汗を吹き出しながら懸命に歩みを続ける。
 そして、どうしても不安が収まらなかった。まったく敵の様子がなく、一緒にいた仲間の姿もない。それだけではない、自分を逃がすために後に残った麗のことが気がかりで仕方なかった。
「くそっ」
 邪魔な草木を乱暴に払いながら、彼は後悔と葛藤していた。
「どうして、こんな・・」
 そう言いながら、自分が一人でいることに悪態を吐くのだった。
「後悔するくらいなら何もしない方がましだ」
 いつも父親が言っていた。その言葉が自然に翔の口から飛び出した。
「でも、何もしなければ後悔もできないんだ」
 必ずそう付け加えるのだった。だから、後悔をするということは前向きに行動した結果だと言うのだ。この相反する言葉の輪は考えても答えが出そうにない。だが、その答えのでない状況に気が付き、何が必要かということに前向きに気持ちが切り換わって行く。
 そうして、翔は次第に気持ちを落ち着かせて行く。徐々に注意力もよみがえってきた。マナの圧力がさらに強みを増しており、森の際深部が近いような気がしてきた。
 そのとき、翔の足下で何かが揺れた。
「うわっ!」
 翔は身動きのできないまま、網にすくわれて木の下に吊し上げられてしまった。
「やったー!」
 翔の吊された枝の上に、赤茶色の長い髪をした女の子が姿を現した。それは明らかに人間とはことなる大きなとがった耳のエルフだった。
「へへん、やったね。私の罠にかかるなんて」
 大木の下には他に何人もの若いエルフが集まってきた。そして、彼女と足下の獲物を見上げている。
「何だ?よりによって愛梨(あいり)の罠にかかるなんて」
「イノシシも捕れない罠だったのになぁ」
 どうやら、翔はどうしようもない罠にかかってしまったようだ。とにかく、もがいて木下の様子が見えるように体の向きを変えようとする。
「おとなしくしなよ。何てったって私の初めての獲物なんだから、光栄に思いなさい」
「あーあ、またやってるよ」
「行こうぜ」
 あきれた連中は彼女を置いてさっさと森の奥へ帰っていってしまった。
「あー!何てヤツら?ひどいわね。あっ、桂貴(けいき)!あんたは手伝ってくれるんでしょうね」
 木の下に長髪のおとなしそうなやさ男のエルフが残っていた。愛梨と呼ばれた彼女はロープの端を持ってスルスルと木を降りて行く。
「・・・」
 大柄なエルフの男が黙って愛梨が降りてくるのを見ていた。
「やあ、雷嘩(らいか)。手を貸してよ。私の獲物だからね。大事に連れてってよ」
 雷嘩は鈴鳴のエルフの若頭であった。寡黙で頭も切れる便りになる男だが、怒らせると手が付けられなくなる。
「ああ、さっき捕まえたヤツと一緒でいいな」
「そうだね。私は長老様の所へ報告に行ってるから」
「えーっ、ずるいよ」
 文句を言う桂貴を無視して、愛梨は木の陰でおとなしく待っていた若い女のエルフの方へ歩いて行った。
「行こっ、葉詩(ようし)」
 愛梨は物静かで弱々しい彼女の手を取った。申し訳なさそうに振り返る葉詩とは対照的に、愛梨は振り返ることなくドンドン歩いていくのだった。
 その後ろ姿にブツブツと文句を言っているその横で、雷嘩はテキパキと棒を用意して、翔の入った網をその真ん中にくくりつけた。
「あの、ちょっと、待ってよ。ここから出してくれよ」
 網に絡まりながらころがっていた翔は、懸命に頭を上げて彼らの顔を見ようとしていた。
「・・・・・・」
 雷嘩は無視して棒を担ぎ上げた。
「うわっ!」
 突然体が浮いたので、思わず叫んでいた。  桂貴が後ろから棒を持ち上げると、翔は横向けになって彼の顔を見ることができるようになった。しかし、網が体に食い込んで痛い。
「ねぇ、俺は試練の石ってのを探しているだけなんだ」
「知らないよ。とにかく、君の処分は長老様が決める」
 桂貴は目を会わさないようにしながら淡々とそう言ったのだった。
「くそっ、痛てっ・・」
 翔は揺れと同時に、体に食い込む痛みに耐えなくてはならなかった。
 長老様というのはそれほど偉い人らしい。もしかしたら、他の仲間も捕まってるかも知れないと、翔は暴れても痛いだけと悟り、おとなしく処遇を待つことにした。

 翔は古代樹の巨木の上に作られた木の牢に入れられた。
 牢の格子は2重になっていて、外側の格子には手が届かないようになっている。入り口から床までが滑り台になっていて、後ろ手に縛られたまま頭からそこに放り込まれた。
「うわっ」
 床を転がりながら、何とか顔を網から出すことができた。 「くそっ、何にもしてないじゃないか!人の話を聞けってんだよ」
 雷嘩たちがいなくなってから威勢のいいことをまくし立てる。
「うるさい!静かにしやがれ」
 背後の暗がりから地獄の底から響いてきたような太い声が押し付けられた。
 恐る恐る目を凝らしてみると大男があぐらをかいて部屋の隅に座っていた。
「だ、誰だ、あんた」
「・・・」
 大男は無視していた。良く見るとその顔はいかにも獰猛な虎そのものである。頭の真ん中を一直線に髪が逆立っている。
「何だよ、あんたみたいな強そうな人がどうして捕まってるのさ」
 虎男の両目がギラッと光ってこちらをにらみつけていた。男の自負心を傷つけたらしい。
「フン、見てくれはヤワだが、ヤツらの魔法が効いているんだ。お前の頭の骨なら今直ぐでも割ってやるぞ」
「・・・」
 怒らせると本当にやりそうだ。よく見ると床に黒い飛沫が散っていた。しゃがんで触ってみると指先がねっとりと赤く染まる。
「血?」
 その跡は自分の立っている辺りから、壁際の虎男の所まで続いている。振り返ってみると木の格子の内側が血で染まっていた。
「あんた、怪我してるんじゃないか。無茶しすぎだよ」
「うるさい、静かにしてろ」
 恐らく何度も体当たりを繰り返したのだろう。両肩がどす黒く血で汚れてしまっていた。それほどに堅牢だということだ。
「どうしたものかな」
 翔は外の様子を見下ろして、何か助けとなる者がいないかと木々の隙間に視線を走らせる。そうしながらときどき背後の気配も確認している。
「あ、あれは・・・」
 しばらくして、さっきのエルフの女の子、愛梨(あいり)がやってきた。
「どう、おとなしくしてる?」
 二人の男のエルフが見守る中、楽しげな表情であった。
「なあ、俺、何もしてないだろう。出してくれよ」
「ダメ。長老様がお決めになるまではここにいなさい」
「・・あんまり、気分良くないんだよな」
「まあ、夜までおとなしくね。あなた、名前は?」
「翔。君は?」
「私は愛梨。疾風の愛梨よ」
「何それ」
 葉詩が愛らしい笑顔で笑っていた。
「逃げ足は早いよね」
 桂貴がすぐに横やりを入れる。 「何!?」
 愛梨が桂貴の胸ぐらを掴むのも早かった。
「またか、止めろ」
 雷嘩がその腕を押さえてなだめる。
「ふふん、私の獲物には違いないんだからね」
 愛梨はまだそんなことを言っている。
 冗談でも取って食うことはないにしても、何だか調理前のイノシシの気分であることに違いはない。翔は密かにそう思っていた。
「雷嘩!そこにいるのか?長老様がお呼びだ」
 木の下から呼びかける声が聞こえて、彼らは行ってしまった。翔がいくら呼びかけてもどうにもならないのだった。

 さて、雷嘩が呼ばれたのは、長老を訪れた客人があったからで、その客人こそ春菜と重継であった。
 長老は白髪にあご髭も地面に付くほどの長さであった。大きな木の杖を手にして、椅子に深くもたれかかっている。二人の客人がその前に座って背を向けていた。
「おお、来たか、雷嘩よ」
「はい」
「実は、このお二人の客人がはぐれた仲間を探しておられる。さっき、愛梨が捕まえた人じゃあないかと思うんだが」
「はい、先ほど翔と名乗っておりましたが」
「間違いないわ、翔という男の子を探しているの」
 春菜が雷嘩の方を振り返った。
「ああっ、あなたは神月の・・」
 雷嘩が珍しく感情を表に出して、喜びを満面に浮かべていた。
「あら、覚えていてくれたの?」
「はい、春菜様ですね」
 雷嘩は彼女に見つめられて緊張したように声がうわずっていた。去年、春菜がこの地を訪れたとき、雷嘩にとって初めて人間の女性を美しいと感じた瞬間がやってきたのだった。それ以来、彼女のことを忘れることはなかった。
「よかった、彼は無事なのね」
「は、はい。今、牢に入っております」
「じゃあ、そこまで連れていって下さい」
 重継が立ち上がって長老に礼を述べようとしたその時、外でエルフたちが騒ぎ出した。
 それは逃げまどう足音と、怒声のようであった。まるで戦場のような喧騒が突然辺りを包み込んでいた。
「何事じゃ!海那(かいな)!海那はいるか!」
「私が見て参ります」
 守衛の返事がないので、雷嘩が外へ出て行った。それと入れ違いに一人の男が慌てて入ってきた。
「長老様!大変です。何者かが古代樹に火を放ちました」
「何じゃと!」
 春菜と重継も慌てて外へ飛び出した。すると、雷嘩が巨大な炎を見上げて立っていた。まるで見えない力に縛られたように呆然と立っているのだ。
「何?どうしたの?」
「牢が・・・。牢が燃えています」
 春菜の問いに呆然としながら雷嘩が答えた。
「早く助けないと」
 重継の声に押されて、雷嘩が走り出した。二人も後を追って走る。

 翔は木の周りから炎が近付いてくるのをずっと見ていた。輪を描いていた炎は中心に向かって草の上を走り、見る間に木の上に向かって生き物のように伝って来たのである。
 エルフたちが慌てて走り回るのも見えていたので、何らかの事故なのだろう。そういう意味では安心したが、火の勢いは止まりそうになかった。
「どうする。その傷で動けるか」
 こんな状況でも頼りになるのは虎男だけだ。だが、今更どうにもなるまい。
「・・・・」
 男はじっとしている。どうして、この状況で落ち着いていられるのだろうか。翔は虎男が何とかしてくれないかと期待していたが、腕を組んだまま、壁にもたれて動くことはなさそうだ。
 熱気が強く、外を見ることができなくなってきた。あっという間に、炎は外の格子の向こうに壁を作ってしまった。
 翔が牢の真ん中まで引き下がったとき、頭の上で何かが落ちてきた大きな音がした。
 虎男はゆっくりと顔を上げていた。
 誰かが天井を拳で叩いて、女が呼びかけてきた。
「ラゴル!ラゴル?居るんでしょう」
「おお!ラムザ!ここにいるぞ」
 虎男が腕をかばっいながら立ち上がろうとしていた。そのまま、前に倒れそうになったところを翔が体を支えていた。
「出られるのか?」
「放せ!仲間だ」
 虎男は無理矢理、翔の腕を振りほどいた。その時、大きな音と共に、天井に小さな穴が開いた。そこに見えたのは大鷲の足であった。
「どけ、ロムル。後は俺がやろう」
 そう言うと、虎男は穴の下へ行き、全身のバネを利かせて大きくジャンプした。頭から天井へ体当たりして、大きな穴を作って戻ってきた。だが、肩の傷を更に増やしてしまっていた。うずくまる男に翔が急いで駆け寄る。
「ラゴル、大丈夫?」
 天井から明瞭な女性の声が聞こえてきた。
 聞き覚えのある声に、翔はハッとして顔を上げた。
「麗さん!どうして、そこに・・・」
「翔!また、会えたわね」
「何だ、お前。ラムザの知り合いだったのか」
 虎男がようやくまともに口をきいてくれた。その口調は旧来の友達のような優しさと喜びに沸いているようだった。
「いや、まあ」
「早く!火の回りが早い」
 麗の声にせかされて、もう一度空を見上げると、赤い炎が空をも覆い隠さんばかりに燃え上がっていた。
「俺の背中に乗れ!先に上に上げてやる」
 虎男ラゴルは背中をかがめて待っていた。恐る恐るその背中に乗った翔は、バネのように飛ばされて、天井の上に出たところを大鷲のロムルが受け止めた。
 下を見ると、麗とラゴルが天井の上に立っていた。麗がこちらを向いて何やら手で指示をしているようだった。
「あの、彼女、麗さんだよね」
「昔の名前だ。忘れた方がいい。俺たちのことも・・・」
 その声はとても寂しそうであった。その後の沈黙は過去の記憶によって作られているに違いない。
 大鷲の羽と足を持った男は、翔を少し離れた場所にある古代樹の上で降ろした。そして、直ぐに二人の待つ方へと飛んで行ってしまった。
 大きな赤い炎がうねる海のようになっている。その中へと吸い込まれていく様は神か天使のごとき神々しい後ろ姿であった。
 再び、黒い影が近付いてきたときには、ロムルの足に二人がぶら下がっているのが見て取れた。
「じゃあね、翔」
 頭上を横切るとき、麗は初めての笑顔で手を振っていた。ああ、あれが仲間といるときの本当の彼女なのかと、少し悲しくも悔しくもあった。それは初めての感情である。
 しばらくは、彼女たちの消えゆく方角を見つめていた。その影が見えなくなって随分と時間がたったのだろう、振り返ったときにはあれほどの炎の海が消えていた。だが、黒い爪痕がしっかりと残っている。
 翔は急いで木から降りると、くすぶる焼け野原を目の当たりにして、その熱気に気圧された。くすぶる煙と蒸発した水の蒸気が混ざって視界を遮っていた。
 そのカーテンの向こうから翔の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。そう、彼にも仲間がいた。
 そう気づいたとき、自然と走り出していた。熱さも忘れてとにかく自分の無事な姿を見せたかった。真っ直ぐに、声のする方へ向かって焼け野原を駆けた。
 白いもやをかき分けるように走り抜けて行くと、エルフたちが焼けこげた牢の大木を見上げていた。
「翔!」
 それらに混じっていた重継が白い闇から現れた彼に気づいた。
「重継さん!春菜さん!」
 大きな声で叫んだ翔は煙も多く吸い込んでしまって、咳き込んでしまった。
 目を開けると、二人が駆け寄ってきていた。
「何よ、生きてたの?」
 そう言う春菜の目に一杯の涙が溢れていた。
「春菜さん・・・」
 翔と目が合うとバツが悪そうに後ろを向いて、涙を拭いている。
「それにしても、よく逃げ出せたな。しかし、ひどい有様だよ。誰がこんな・・」
 翔は耳を疑った。事故で発火したのかと思っていたからだ。どうやら火は牢の木の周りを囲むように立ち上がり、古代樹を根本から焼き尽くしたのだ。
 謎の美女麗はその名を捨ててラムザと呼ばれていた。じゃあ、どうしてその名前を名乗ったのだろう。きっと、本心から喜んでラムザと呼ばれているのではないのだ。
 しかし、仲間を助けるためとは言え、こんな思い切ったことができるのだ。確かに彼女は一人でも仲間を助けに来たはずだ。エルフの宝、古代樹を灰にしてでも仲間を助けたかったのだ。そして、翔を助けてくれた。
 だが、本当の彼女はどこにいるのか、分からないことばかりだった。目の前の現状をどう受け入れればいいのか分からない。
 翔は彼らの飛んで行ったであろう北の空を見つめていた。ゆっくりと夕日に染まった雲が流れて行く。それはまるで、次々と燃えさかる綿のようであった


宝玉探索

 焼け落ちた古代樹は、誰の目にも寂しく映っていた。夕闇が訪れ、月と星が焼け跡のように暗い空を飾り始めた。
「仕方あるまい・・・」
 長い嘆息と共に、長老の達観した言葉が耳に残る。
 翔たちは再び長老に招かれて彼のテントへと戻り、試練の石について尋ねることとなった。その場には、雷嘩と愛梨も同席していた。
「なるほど。思い当たるのは、宝玉のことじゃろうか」
 長老は直ぐにそう答えた。その宝玉とは、天然宝石のことである。大陸では宝石が装飾品として使われているが、神国ではまったく見られることはなかった。
 そして、エルフたちは魔力を帯びた宝石を宝玉として、魔獣(Creature)を封印して運ぶ道具として利用していた。代々親から子へと引き継がれる宝玉には強力な魔獣や妖獣を秘めた物も多いという。
 雷嘩や愛梨もそれを取り出して見せてくれた。確かに、小さな何かが目映い宝玉の中に潜んでいる。だが、それをもらうわけにはいかない。
「この森の中に宝玉が手に入る場所があるのでしょうか」
と、翔は丁重に尋ねてみる。
 長老は遠くを見つめながら一呼吸置いた。
「うむ。ないとは言わんが、この森では良質の宝石は取れぬ。我々鈴鳴の一族は大陸から渡ってきたときに、既に宝玉を持っておったからのう・・」
 そう言って、また考え込んでしまった。
 それを見て、愛梨が口を開く。
「でも、長老様。宝石があったとしても、宝玉は直ぐに手に入らないと聞いたことがあります」
「左様。一流の職人が磨いた宝石に、魔導師たちが三日三晩魔力を注いで1つの宝玉を作り出すのじゃ」
 概ね二人の魔導師が交替で宝石へマナを送り込み、その力が宝石の中で安定したときに宝玉が完成するのである。また、使いこなす者も、宝玉のマナをコントロールできなければ、それこそ宝の持ち腐れとなる。だから、全くの素人が使いこなせるモノではないが、ある程度のマナを思い通りに操ることができれば容易く宝玉を扱うことができるのである。何より、魔獣を封印する力を持っているため、魔獣使いだけでなく魔導師誰もが魔獣を扱うために必要とする道具なのである。
「今でもその方法は伝わっているのでしょうか?」
 重継も古くから伝わる魔法の伝承に大きく心を引き寄せられていた。
「うむ。そうじゃのう・・・。この村でそれを成し遂げることのできるものは、おらぬかもしれん」
 長老の言葉に重継はうなだれた。
「じゃが、その法を記憶しておる者はいるやもしれん」
「ほ、本当ですか?」
「そうじゃ、愛梨。お前のところのババ様は元気じゃったか」
 その答えに愛梨の突き放す声が上がった。
「長老様、私のババ様は20年前に亡くなっています」
「おお?そうじゃったか?」
「・・・・」
 春菜も悪態を吐くどころではなかった。そんな様子を後目に雷嘩が長老へ進言する。
「長老様、王華様ならご存じではないでしょうか?」
「おお!そうじゃ、王華殿がおったか。うむ・・・、じゃがのう」
 長老はあまりその話題に触れるのが嫌なようであった。
「王華様はすでに300才を越えておられるそうですが、昔は祈祷師として村でも一番だったと聞いております」
「その通りじゃが。今はこの村を追放された身。どこにいるのかも分からぬ・・・」
「私、王華様の居場所について聞いたことがあります。明日にでも出発できます」
 愛梨の歯切れの良い言葉に、長老もうなずくだけであった。
「うむ、うむ。良かろう。では、雷嘩、愛梨、お客人を連れて王華の話を聞きに言っておくれ。後は任せる」
 長老は彼らに全てを任せることに決めた。愛梨は妙に喜んでいた。雷嘩は自分が言い出した手前、その責任を負うことは覚悟していたが、どこか複雑な表情である。愛梨が足手まといではないかと思っているのだろう。
 翔、重継、春菜の3人はその夜、鈴鳴の森にあるエルフの村で泊まることになった。

 翌日の早朝は雨がシトシトと降り、寒い中で目を覚ますことになった。
 春菜は愛梨の部屋で目を覚ました。すでに愛梨はベッドにはなく、荷造りをしていた。程なくして、食事の用意ができると、彼女を呼びにやってきた。
「春菜、起きてる?」
「ええ、起きてたわ。だって、何をバタバタしてたのよ」
「へへっ、ゴメンゴメン。町に行くんだから、嬉しくってさぁ」
「町?町って、何?」
 春菜は決して寝ぼけて聞いていたわけではなかった。
「やあねぇ。王華様に会いに行くんでしょう。長老様は知らないんだよね。王華様があの龍の牙の近くに住んでいることを・・」
「それって、昇龍山のことじゃないでしょうね?」
「そうかな?ここから西にある山よ。森の中からも見えるわね」
「それよ!まさか、神月に行くんじゃないでしょうね」
「神月?ああ、あなた達の住んでいるところね。おババ様は龍の牙の近くに一人でおられると聞いているわ」
「そんな近いところにいるんなら、早く帰りたかったわ、もおっ」
 彼女が怒るのも無理はない。森の探索に一日費やしたのに、目的地が昇龍山だったらもっと早く温かいベッドで寝ることができていたはずなのだ。
「でも、長老様には内緒にしてね。私、森の外に出たことがないの。だから、こういう時を待ってたのよ」
「ええっ?」
「私、神月にも行ってみたいの」
 これまた、迷惑な話になってきた。このまま子守をしながら神月まで行くのかと思うと、気が重い。
 だが、エルフは見かけは子供とはいっても、実際には人間の5倍以上の寿命を持っているため、少女のような愛梨でも30年は生きてきたはずだ。しかも、この森の中でずっと変わらぬ生活を守りながらである。
 彼らは長老の許しなく森を出ることは許されないのである。その王華という女性はその掟に背いたため、二度と鈴鳴の森に帰ってこれなくなったらしい。だが、それは王華の望んだことでもあった。
 エルフの森を一行が出発してから、春菜は愛梨から聞いたことを二人に話して聞かせた。当然、翔は苦労しただけに怒りも収まらない。
「何だよ。何がどうしろって?・・・分からないよぉ」
「まあ、男が細かいこと気にしないのっ」
 愛梨にドンと背中を叩かれて、翔も口を塞ぐしかなかった。
 重継と春菜はただただ笑っているだけだった。エルフの雷嘩は最後尾を黙って無表情で付いてくる。よくよく見るまでもないが、エルフにしては体ががっしりとしていて背も高い。眉も濃くて、厳つさではあの虎男に引けを取らないのではないだろうか。この男はもうすぐ50才になるという。エルフたちは100才でも十分に若者なのである。
 そんな奇妙な連中を連れて、小雨の降る靄のかかった森の中を最後の目的地であろうへと向かうのだった。