フランス 

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June 12, 1998 [曇り]

ホテルから地下鉄へ

ホテルの部屋から さて、この日はパリでの自由時間を楽しむ1日目。
ホテルの部屋から フランスの現地時間7:00に目覚める。薄く曇り、冷たい風が吹いていた。
朝食は用意されているということなので、2階のレストラン(restaurant)へとエレベーターで降りる。通常、1階(1e; premier etage)の表示があるのは日本での2階だが、このホテルでは3階から上が客室のため1階の表示は3階になっていた。
で、ややこしいのが、1階と2階の間にINTERMEZZO(イタリア語)とかかれた階があったことだ。ここには会議室があった。
ちなみにロビーのある1階は「reception(Entrance)」と表記されていた。

 朝食はクロワッサンとフランスパンが1つ、カフェオレにオレンジジュースである。クロワッサンは期待に添う物ではなかった。フランスパンは表面がガチガチに堅く、ノコギリナイフで輪切りにしてバターで食べる。食べる分には丁度良い堅さであった。
カフェオレはコーヒーと牛乳が別々のポットに入れてあるので自分で混ぜて作る。オレンジジュースは結構濃いめだけど美味しい。

 朝食を済ませると徒歩で地下鉄(metro)へと向かった。今日の予定はルーブル美術館と凱旋門の見物だ。
 ホテルを出て、ともかく付近の地図を頼りに大通りを伝って行くことにする。右手に道を進み、またすぐに右へと曲がる。途中に映画館があって北野武の巨大ポスターが壁に張ってあった。HANA-BIだけでなく、いくつかの作品名が書かれていた。その半地下になったところには小さな本屋があった。また、向かいにはスイミングスクールがあった。
街角のビル そうして、大きな通りへとぶつかった。ここを更に右へと進めばメトロ(metro)と書かれた標識があるはずだ。この角のビルが面白く、1階部分に通行人の絵が描かれていた。
さて、さらにトコトコとAvenue de la Republiqueを歩きながらキョロキョロしていると、パン屋、肉屋、病院などがある商店街であった。
カフェはどこの通りでも見られる。大抵はガラス張りになった部分が歩道に飛び出して小さなテラスのようになっている。
そういう物も気にしながら足下をふと見ると犬の糞がコロコロ落ちている。これは要注意である。
どこまで行ってもメトロの入り口がなさそうだったので、立っていたおじさんに尋ねたら、向こうへ行けと言う感じだった。ともかくまだ先のようだ。しばらくしてまた大きな交差点へと出た。目の前にメトロの看板があり、地下への小さな階段があった。ここでは、Metroと書いてあったが、場所によっては○の中にMと書かれた丸い看板の場合もある。

 メトロの7番線(Ligne 7)、オーベルヴィリエ・パンタン・キャトル・シュマン(Aubervilliers-Pantin Quatre Chemins)駅だ。とても覚えられん。でも、略してQuatre Chemins もしくは 4 Chemins と表記されていた。
 地下鉄の切符(billet)は1枚8F(@\26=208円)だが、10枚セットのcarnet(カルネ)を買うと48F(1248円)になる。地下鉄は距離に関係なく切符1枚で乗ることができる。市内であればRER(特急)にも乗れる。
 4 Chemins 駅では自動改札を通ってからホームが分かれていたが、ホームの入り口が別の場合もあるので要注意である。乗り換え(Correspondance)の看板はオレンジ、出口(Sortie)の看板は青と覚えておく。
 行き先の方向は線路の終着駅名を見る。ルーブルへ行くには La Courneuve Mairie D'ivry または Villejuif行きの電車に乗らなくてはいけない。終着駅が二つあるのだが、分岐するのは随分先である。

 

地下鉄でルーブル美術館へ

Palais Royal駅のホームは半円形の地下水道のような中にある。電車は静かにやってくる。ゴムタイヤなので、ガタガタという音はしないが、停車するためのブレーキの音がキーィッと響く。車両の扉はボタンを押して自分で開ける。乗るときも降りるときもだ。
車両は比較的小さく、そこら中に落書きがある。朝の通勤時間のようだが、座ることはできなくても肩が触れ合うほどの混雑ではない。
パレ・ロワイヤル(Palais Royal)駅までは30分ほどかかっただろうか。地下から階段をタッタッタと上がるとそこは石積みの建築物が整然と並ぶ、正しく中世の町並みであった。
パリ市内は4・5階の高さの石積み建築物が調和を以て並んでいて、どこを見ても隙のない町並みに感激する。
メトロの出口の横ではカフェテラスがイスを並べているところだった。道路を渡って、パレ・ロワイヤルとルーブル美術館の間にある小さな四角い広場はパレ・ロワイヤル広場に立ってみた。時折、急ぎ足の人が広場を通る。広場の両端は大通りに面していて車の往来は多く、その通りには人通りも多かった。

街角のビル広場の一方にはメトロや周囲から集まってくる大勢の人が信号待ちをしていた。方角にいまいち自信がなかったが、その集団と一緒に信号を渡ることにする。
さて、海外で信号の渡り方にも特徴がある。例えば、オーストラリアでは、ほとんどの交差点に押しボタンが付いていて、歩行者用の信号はそれを押さないと変わってくれない。信号のない道路では横断歩道を通れば車はきちんと止まってくれる。
グアムでは通常の道路でも向こうへ渡るための信号と押しボタンが設置されていた。大抵は車の来る隙をついて道路を横断する。ドライバーはクラクションを鳴らして歩行者を威嚇するようなことはしない。行列で道を渡っていても割とのんびりと待ってくれていた。
そして、フランスでは押しボタンは見たことはないが、信号のない横断歩道は多い。オペラ座の前などは道路が6方向からやってくる。丁度オペラ座の両横を通る道路には、どちらも歩行者用の信号がない。しかし、車の往来は激しい。そこで、どうするかというと、車の間隙を抜いて渡るのだ。車はあまり止まってはくれない。しかし、例え赤信号でも隙を見て渡っていくのだ。行動あるのみなのだ。

ルーブル美術館のピラミッド

Musee du Louvre広場から大通りを渡り、真っ直ぐに建物の下を通り抜ける通路を歩く。その通り抜ける途中で長い行列に出会う。その先頭まで歩いていくと、丁度入り口が開いてゆっくりと行列が動き始めた。警備員がいたので、ルーブル美術館はと尋ねたら、「こっちはダメだ、向こうだ」と更に奥を指さした。その方向をよく見ると噴水が見える。そして、出口に近づいたところでガラスのピラミッドがその後ろに見えてきたのだ。
Musee du Louvreそう、広場の目の前にあった建物こそルーブル美術館そのものだった。北の棟であるリシュリュー翼(Richelieu)の下をくぐって来たのだった。ルーブルの建物に囲まれた空間は噴水とガラスのピラミッドがあり、人通りは少なかった。街灯が綺麗に広場の周囲にならび、西側の開けた方角にはカルーゼル門が立っていた。その門の上には見事に輝く黄金の像が並んでいる。その後ろは広大な新緑の公園のようだ。
ちょうど開館時間だったようで、ピラミッドの前に行列ができていた。その後ろに並んで、5分ほどでピラミッドの中へ入る。そこでは、手荷物をX線で検査し、金属探知機を体に近づけてボディチェックを受ける。
そして、エスカレーターで地下の広場へと降りていくのだ。広場の中央に丸い案内カウンターがあり、周囲には3つの入り口があった。
カウンターで日本語の案内書をもらい、チケット売場で45F(\1170)の一般チケットを購入した。特別展示を含む60F(\1560)のチケットもあるようだが、そこまで時間を掛けられないだろうと思った。実はこの時、お釣りが10F足らなかった。してやられたわけだ。後にも先にもこういうことはなかったが、くやしいなぁ。

さて、地下から3方向に入り口があり、リシュリュー翼から入ることにした。後で気付いたが、シュリー翼(Sully)から入るのが良かったと思う。
ルーブルはセーヌ川の北岸にある宮殿を改装した美術館で、正方形のシュリー翼から西へ両手を伸ばしたようにリシュリュー翼とデノン翼が伸びている。

Musee du LouvreMusee du LouvreMusee du Louvreリシュリュー翼の入り口を入ると迷路のように壁を組んだ部屋に彫刻が並んでいた。その左右に広場があって、どちらにも大きな彫像が並べられていた。地下から1階には数多くの彫像が並んでおり、古の人々の生き生きとした表情、躍動する体がそこにあった。その多くはギリシャ神話に基づいていて、アテナ神像などは多かった。別棟のデノンには古代ギリシャの巨大な彫刻が並びこれも壮観であった。
ルーブルの見所は10万点を越える美術品だけではなく、ルーブルそのものも芸術品なのだ。どの部屋も見事な天井がが描かれていて、金や象牙の装飾が惜しげもなく使われている。その粋がナポレオン3世の居室である。柱も壁も金ピカなのだ。
ともかくルーブルは広い部屋数も多く、これらが上下左右に絡み合う。何を見たか覚えていられないくらいの圧巻だ。すぐに現在地が分からなくなってしまう。

昼食はルーブルの中のカフェテラス cafe Mollien に入った。Double Experss(19F)と一番安いサンドイッチDaguette Jambon(24F)にした。エスプレッソのダブルというのは良くわからんが、バゲットは大きなフランスパンにハムとレタスを挟んだ簡単なもの。これは結構美味しかった。
このようなカフェテラスでは、注文の品と同時にレシートを置いていく。そこでもう一度値段を確認する。そして、15%のサービス料(チップ)も「SERVICE 15% COMPRIS」とレシートにあれば値段に入っているのでそのまま支払うだけでよい。
それと、美術館の中の各部屋にはアルバイトの見張り番がいるのだが、大学生のような若い女性が多かった。じっと座ってなくてウロウロしているから見張りになっていない。目が合って笑いかければ向こうから気さくに「Bonjour」と声を掛け合う。
それにしてもフランスの女性はスタイルは良いし、身なりも小綺麗だし、姿勢も良いように見える。また、蒸れるほどではないが必ず香水の匂いがしていた。
声を掛けるとちゃんと返事が返ってくるなんて、日本では考えられないことだが、それこそ実に人として失礼なのだ。フランス人はそれを知っているし、フランスの男性は声を掛けない方が失礼だとすら思っているのだろう。挨拶は敵意のないことを示す基本的なコミュニケーションだ。この重要度の差が、狩猟民族と島国の農耕民族の間には大きな隔たりがあるのだろう。
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サモトラケのニケ
NikePont des ArtsMusee du Louvre
サモトラケのニケポン・デ・ザールシュリー翼から

上の写真の真ん中は、フランス学士院とセーヌ川にかかるポン・デ・ザール(Pont des Arts)だ。京都の先斗町から鴨川に掛けようと言ったモデルとなったのがこのフランス最古の鉄橋だ。そういえば、pont を英語風に読むとポント(先斗)だななんて思った。

かなりの距離をあるいただろう、3階を見て歩く頃にはクタクタになっていて、イスに座って休憩する回数が増えてきた。絵の大きさもさることながら、部屋も当然大きい。どこも天井は高く、一つの階を上がるのに階段を3・4回折れて登ることもあるくらいだ。
一番の目的はサモトラケのニケだ。これはドノン翼の2階から3階へ上がる階段の途中に据えられていた。とがった船のような台座に立ち、天井から漏れる太陽に洗われるように、その二つの翼を優雅に広げていた。腕はなく、頭もないのだが、今にも飛び立とうという勢いである。
ミロのビーナスは地下のギリシャ神像がズラズラと並んでいる部屋から出たところで見た。そして、モナリザは疲れて休んだイスの前にあった。
また、見ていて豪華絢爛で壮観だったのはリシュリュー翼の2回にあるナポレオン3世の居室である。
黄金に輝く壁と天井、その天井と壁の合わさる部分には輝く天使がいた。残念ながらシャンデリアは電球になっているが、これが本物のロウソクの明かりだったらなんとも幻想的な光の反射がそこにいた人たちを包み込んだことだろう。
Appartements Napoleon-III Appartements Napoleon-III
ナポレオン3世の居室

ともかく、あれだけの量の作品を一度に見るのはもったいないことだ。やはりじっくりと2・3日に分けて鑑賞するほうが楽しいことだろう。

カルーゼル門からチュイルリー庭園へ

さて、そうこうしてルーブル美術館には6~7時間はいただろうか、出口を探してさまよい、外へ出たのは15時を過ぎた頃だった。もう一度ガラスのピラミッドから出るのだが、かなり長い行列が入り口に並んでいた。
そう言えば、出口から入れるぞという話を聞いたが、これは無理だ。ピラミッドの出口は回転扉になっている。昔はチケットを持たなくても出口から入れたと聞くが、中の出入り口は一緒になっていて2人の係員がチケットのチェックをしていた。

ルーブル正面のカルーゼル門から西へと向かう。そう正面にはコンコルド広場のオベリスクと凱旋門が見えるのだ。このカルーゼル門の上には馬車と黄金に輝く女性の像があった。この黄金は外にあるとは思えないほどきらびやかな見事な光を放っていた。
テュイルリー庭園を通り抜けながら、途中のカフェテラスに寄った。日差しが暑かったのでアイスクリーム(glace)を食べたかったのだ。Mystere Royal(30F)を注文した。水と一緒にレシートを持ってきたので、まさかだまされてるのかと思いながら待っていると、ちゃんと出てきました。しかも、水は無料のサービスだった。大抵は5Fから10F(130円から260円)は取るんじゃないかな。これで安心したのでグレープフルーツのジュース(22F)も頼んだ。この店はメニューに英語も併記しているので発音はそれで大丈夫だ。Jus はジュース(発音はジュ)だと分かった、グレープフルーツは分からなかった。ここもサービス料混みだ。
カフェで出るときに店員を呼ぶのが不安な場合、レシートの上にお金を載せておけば、お金を取ると同時にレシートの一部を破いてくれる。もちろん、レシートにお金を載せてそのまま出ても大丈夫だ。
テュイルリー庭園の噴水の周りにはベンチや眠れるイスが置かれて沢山の人が休んでいた。またその周りを白い彫像が取り囲んでいて、緑の豊かな公園でもあった。

コンコルド広場から凱旋門まで

Avenue Des Champs Elysees 庭園を西へと出るとそこはコンコルド広場だ。ワールドカップの前夜祭でジュール・リメ杯(優勝したらもらえるやつ)の形になったため、その骨組みがずっと残ったままになっていた。
そのオベリスクの周囲は円形の道路になっていて、車の往来は多く、なかなか渡っていくことができなかった。
道路を2つ渡るとそこから凱旋門までシャンゼリゼ通りが延びる。片側で4車線あり、コンコルド広場から途中までは公園に隣接しており木立の間に売店がしつらえてあった。
道沿いにはワールドカップ参加各国の国旗がフランス国旗とペアで掲げられていた。この辺りまで来ると日本人観光客の姿も見えるようになる。通りを半分ほど行った辺りから商店街とカフェテラスのにぎわいの中に入っていく。
歩道も5mほどの広さになって人混みも急に立ち止まるとぶつかるような具合だ。また、歩道の半分をカフェテラスが占拠しているところもあった。オランダのサポーターたちは頭もオレンジに染めているのでよく目立つ。また、体も大きいので、どこから見ても体一つ飛び出ていた。
Arc de Triompae Etoile コンコルド広場から凱旋門まで20分程歩いただろう。凱旋門の辺りはシャルル・ド・ゴール広場となっていて、ここも周囲を道路が周り、そこから放射状に大通りが延びていく。
2・3人の日本人がチケットを売ってくれとメッセージボードを持って立っていた。写真を撮る観光客と、周囲の柵にもたれて地べたに座る人たちがいた。
しばらく黒い柵にもたれて、凱旋門を見上げながら、目の前を通るバリジェンヌを眺めていた。この時、凱旋門の上にいる人影に気付かず、上れることも知らなかった。
10分ほどそこにいて、ホテルへ帰るかどうか迷ったが、折角なのでそこから南へと向かい、エッフェル塔を目指すことにした。

エッフェル塔からのパリ

Rue Hamelin 大通りから、セーヌ川の方へと狭い通りに入ると、目前にエッフェル塔が見えてきた。
凱旋門から30分ほど歩いてシャイヨー宮の前まで来るとパトカーやうろつく警官の姿が見える。宮殿の前には巨大なスクリーンが設置されていて、丁度オランダが試合をしていたようだ。そこから、大きな橋を渡るとエッフェル塔の下の広場だった。
そこは多くの人が集まり、中にはマシンガンを構えた兵士までいた。オランダのサポーター、ドイツのサポーターが声を上げていた。しばらく、パトカーの音が絶えない。
エッフェル塔へ登るためにそれぞれの脚に行列が並んでいた。南は閉鎖されていたが、北と西のエレベーターには長い行列ができていた。しばらく行列を眺めていたが、比較的空いている東の階段を使って登ることに決めた。
行列に並んで簡単な荷物のチェックを受けチケットの窓口まで随分と時間がかかった。
この時、後ろの若い男のフランス人に話しかけられた。お互いに片言の英語である。エッフェル塔は初めてか?とか、ワールドカップを見に来たのか?、国籍は?なんてことを聞かれた。やはり、日本人だとは分からなかったらしい。
14F(\364)のチケットを買うまでに15分~20分くらいかかったのではないだろうか。この後、階段の登り口で改札を受け、簡単な作りの階段を登っていった。
この日は風が強かったので時折横にふらつきながらも20分くらいで1階まで登った。さらに、2階まで登ると、凱旋門も遙か下である。風がなければもう1つ上まで登ることができるようだ。
やはり、パリを一望するには格好の場所である。セーヌ川もルーブルも何もかも見渡すことができる。モンマルトルの丘もこんもりとしたその全容を見ることができた。
また、写真の中心に黄金のとんがり帽子の建物が見えている。これがもう本当に綺麗に輝いて見えた。ここにナポレオンの棺があることは後で知った。
西の方にはブローニュの森の向こうに、新凱旋門を中心とする副都心の新しい近代的なビルが立ち並んでいた。この界隈はフランス現代建築の代表的な建物がひしめいていて、新たな観光名所とも言われているそうだ。

Tour EiffelTour EiffelTour Eiffel
北東の風景南の風景2階からの風景

ともかく数枚の写真を撮って、再び階段を使って下へ降りねばならなかった。階段の途中でアナウンサーとカメラマンの2人がテレビレポートの撮影をしていた。

ホテルへと戻る

Rue Hamelinエッフェル塔を降りてから南東にあるシャン・ドゥ・マルス公園をしばらくあるいた。ここからのエッフェル塔は非常に絵になったのだが、いかんせん逆光であった。
この時はあまり気に掛けていなかったのだが、エッフェル塔の下の方に人の顔が見えているが、これは網を張ってその陰が形になっている。これがワールドカップの最終日にエッフェル塔の下で開かれた三大テノールのコンサートの告知だったのだ。
それにしても、この公園を歩いている頃にはかなり疲れていた。ともかく、目の前の陸軍士官学校(Ecole Militaire)まで向かって行き、そこから北側へメトロを探して歩いた。
途中で通りが六方向くらいに分かれて訳が分からなくなった。目の前から白バイに先導されたデモ行列がやってくるので引き返す。先導の白バイにメトロの方角を聞いて、ようやくメトロの Ecole Militaire駅にたどり着くことができた。
ナポレオンの棺を納めたアンバリッドは目の前だったのだが、まったく気付かずに足早にメトロに乗ってしまった。ともかく、クタクタだったのだ。もう、歩きたくなかった。
途中、Opera で乗り換えるのだが、その連絡通路ではジャマイカのサポーターグッズを販売する店が賑やかにレゲエ音楽をかけていた。

4 chemins に戻り、行きとは違う細い路地を通って何とかホテルへと戻ることができた。大通りとは違った生活の雰囲気が良かったのだが、道が正しいのか分からないので随分と不安であった。
ホテルに早々と明るい内に戻ったのだが、19時頃だった。ホテルの隣にあった大きなスーパー、Champion(シャンピオン)でお土産用の雑誌とお菓子を買い、紙パックのグレープフルーツジュース(500ml,18F)も買ってホテルの冷蔵庫へ入れておいた。
さて、この日の夜もホテルの向かいにあるバーへ行き、昨日薦められたビフテキを食べた。
テレビではフランスと南アフリカの試合が始まり、近所の年寄りたちが集まってきた。
前半でフランスが1点を入れ盛り上がっていたが、それを後にしてホテルへ戻った。
ホテルの風呂だが、湯を張って体を寝かせて浸かったが、切り替えスイッチをひねっていざシャワーを使おうとすると水がでない。根本から水が漏れるのを見るとどうやら詰まっているようだ。結局、このシャワーは直ることはなかった。
寝ようとしたころにはようやく夜らしくなっていた。それでも23時であったが、疲れたので早々に寝ることにする。

ちょいとフランス語(2)

(注)「r」の音は「る」のようにひらがなで表記する。「る」はかすれたような音で「ふ」「う」に聞こえるか、聞こえない音。

メトろ[metro]地下鉄の愛称。シュマン・ド・フェール・メトロポリタン(Chemin de Fer Metropolitain)
ギシェ[guichet]切符売場。
ビエ[billet]切符。アン・ビエ・シィル・ブ・プレ(Un billet, s'il vous plait.)
カるネ[Carnet]

Next Day

Written by Shurey