フランス

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June 13, 1998 in Paris [雨] 

自由時間の2日目。朝食後、外出しようと準備を終えた頃、旅行会社の現地責任者が現状の報告を行うという連絡が入った。
10時に一室へ集められ、現地パリ支店長と、日本から前パリ支店長がやってきた。現状報告はどれも期待に添うものではなく、非常に状況が悪化しているような雰囲気である。また、日本旅行がいかに積極的に事態解決に向かって努力しているかを感じることはできず、多少の紛糾した意見も飛び出した。
その後、旅行者だけの話し合いをして、裁判云々という話も出たが、旅行中にわざわざ話をこじらせる必要もないし、この場の一部の人間で弁護士を雇うという話をするもの早計と思う。血気にはやっても解決にはならないのだから、今後の保証として、次回のワールドカップなりの優先権を得るなどの方策が最も有益だと認識する。
さて、12時にはその話し合いも終わり、とりあえず代表者に連絡先をまとめさせて解散した。
この日は、姫路からの二人組と同行することにした。オペラ座とオルセー美術館という同じ予定があったため、3人で地下鉄に乗った。
オペラ座までは地下鉄1本である。ルーブルへ行ったときの2駅手前がOpera駅で、乗り換えの拠点ともなっている。
 小雨の降る中、オペラ座の前に出る。やはり観光客が多い。交差点では美人の警官がいろんな人から話しかけられていた。
オペラ座の中は、荷物検査だけで入れる部分と、見学料のいる部分とがあった。奥までは行かず、きらびやかなシャンデリアと曲線を描く階段を見上げる。手前の階段には4人の作曲家だろうか、大きな石像が並んでいる。また、柱の上には表情を持った顔がレリーフとなっていた。
エントランスの端にある土産物売場へ私が入ったところで、閉店の看板が掛けられて同行した二人が入れなくなった。この辺りはきっちりとしている。結局、私もそこを出て、昼食後に再び来ることにした。
13時を過ぎていた。昼食は近くの日本料理店にしようと言うことで、あまり高いのは困ると言いながらついていった。「竹」という店で、外のメニューを見ると70F(@\26=1820円)前後でいくつかの定食があり、寿司定食(70F)に決めた。
カウンターの中は日本人だった。テーブルにつくと、お茶が出て、箸と小鉢まで出た。ウェイターは東南アジア系で、白人もいた。
さて、問題の寿司定食。見た目は完全に日本の寿司と変わらない。かっぱ巻きにたい、まぐろ、えび、いかなど8カン、たまごの厚焼きに赤だしが付いている。魚は日本のものと同じだった。味も同じであるが、ただ、フランスでは香水の香りがするのだった。うーん、フランスの魚はお洒落である。
ここで、お茶もお代わりしたが、帰りの飛行機で話したドイツからの帰国者の話では、寿司屋でお茶は2マルク(@\89=178円)したと言っている。我々は70Fを出して店を出た。基本的に日本料理店もチップは不要である。
さて、再びオペラ座へ戻り、買い物に時間を費やした。
オペラグラス(双眼鏡)を買ったのだが、お姉さんがなかなか親切だった。買う前に見本を手渡され、ピントのダイヤルを見えるように動かしてから向こうを見てみなさい、というようにして試すことができた。その上で買うのかどうか聞かれたのだった。こういうやり方の方が日本より親切な感じがする。

その後、Avenue du l'Opera(オペラ通り)を歩いてオルセーへ向かうのだが、この途中でも買い物に時間を費やした。一度買い始めると止まらなくなる。周りにいるものもついつい買ってしまい、連鎖的に買い物が増えてしまう。
ルーブル美術館まで行くのに随分と時間がかかった。それから宮殿の下をくぐって南へと抜け、セーヌ川を渡った。
セーヌ川に沿って西へと歩いた。歩道には露店の本屋や絵が売られている。緑色の本棚が川沿いのコンクリートブロックに固定されていて、営業しているときはそれがパカッと開くのである。絵やポスターも沢山売られていた。
時折、セーヌ川には観光用のタグボートが通っていく。観光のアナウンスの中に日本語のものも聞こえていた。100Fほどで乗れるらしい。

そうこうして、大きな4車線の通りに沿って行くと、大きな時計が見えてきた。それがオルセー美術館だった。
美術館の西側に回り、入り口を見つけた頃には16時になっていた。閉館の時間が2時間に迫っていた。
通常の入場料は40F、学生などは30Fのようだ。中は4階までの吹き抜けになっていて、ほぼ作者ごとに作品がかためられていた。中央に彫刻を並べ、左手はマネ、ピサロなどの作品、右手にはナポレオンの調度品などがあった。また、奥にはオペラ座の内部を再現した模型が置かれ、オペラ座周辺の町並みが足下に埋められていた。

Millet Golden Clock Opera
ミレー黄金の時計オペラ座の町並み
Musee d'OrsayMusee d'OrsayMusee d'Orsay
Musee d'Orsay Musee d'Orsay Musee d'Orsay

 奥のエレベーターで乗り継いで4階まで上がると、外から見ていた大きな時計の裏側を見ることが出来た。隙間からは小高いモンパルナスの丘が見えていた。
 その横にカフェテラスがあった。トイレに行ってから戻ってみると、すでにレジが締められていて、何も注文することはできなかった。これまた、シビアである。
 この階にはゴッホの作品があった。自画像などの作品が手の届くところに置かれている。とにかく、有名な見覚えある絵があちこちにあった。
 3階には金で飾られたきらびやかな居室があった。また、彫刻も置かれていて、数枚の写真を撮った。
 閉館時間(18時)が迫っていて、何度も館内放送が流れていた。足早に歩いて回ったが、早くも封鎖された部屋もあり、全部を見ることはできなかった。結局閉館15分前に外へ出る。
 外の広場には人があふれていた。広場の中には動物の彫刻が数点有り、広場の南側には人物の彫像が並んでいた。ここに立って、回りを見ているだけでも、何もかもが絵になっている。

さて、同行していた2人はここで別れてタクシーでモンパルナスへ行った。私はお腹も空いて疲れたので、ホテルへ戻ることにした。バスもあるようだが、やはり手慣れた電車が安全だ。だが、この駅は特別だった。
 広場から地下へ降りるとそこはRER専用のMusee d'Orsay駅だった。この特急列車は市内と郊外を結ぶものだが、市内に限りカルネを使って乗ることが出来るのである。
この駅から1駅移動してから地下鉄を乗り継いで、4 Chemins駅へ戻ったのだった。
4 Chemins の交差点にあったケンタッキーフライドチキンでジュースとポテト、チキンが3つで39F(@\26=1014円)のセットを買った。日本のセットより1ピース多い。
ちゃんと英語が通じるというか、若い黒人の女の子だったが明るく対応してくれた。フランス語ができんのか?英語がちょっとね。なんて、2人で話しているのが分かった。
実は天気が雨模様になっていて、ホテルに戻るまでに少しずつ降り始めた。
ホテルには20時頃には戻っていたが、明日は本命のトゥールーズで、朝も早い。歩き疲れたのもあり、早々に寝てしまった。


Next Day

Written by Shurey